第47話 蒼一の答え①




 車を慣れた駐車場へ停めた。エンジンを切りシートベルトを外す。


 隣を見ると、咲良が心配そうに私のことをみていた。そんな表情が、どこか子供の頃の彼女を思い出させて私は微笑んだ。


 二人で車から降りて咲良の隣へ移動する。すぐに咲良の小さな手を握った。それだけのことで、彼女がびくりと緊張で反応したのがわかる。かくいう私も、ただ手を繋いでいるだけなのに心臓がいつもより速く鼓動を打っていた。


 二人で白い家を見上げた。咲良に声をかける。


「大丈夫?」


 彼女は私の方をみる。そしてあの柔らかな笑顔で笑って見せてくれた。


「はい」


「ごめんね、行こうか」


 二人で足を踏み出して実家の門をくぐる。そして鍵を開けて玄関の扉を開いた。今日も来た自分の実家は、ずっと育ってきた場所だというのに酷く嫌なところに見えた。


 そのままリビングへ行こうと移動すると、物音を聞きつけたのかこちらが開けるより先に扉が開いた。


「天海さん!」


 新田さんだった。もう外も暗くなっているというのにまだ残っていたらしい。私の顔を見て安心したような表情になったが、隣にいる咲良をみてはっとした顔つきになった。


 その後ろから、母が駆け寄ってくる。


「蒼一! あなたどこに行ってたの? 何度も連絡したのよ!」


 そう言った母も、咲良の姿を見つけて表情を固くさせた。咲良は落ち着かないように俯く。私は二人から咲良を隠すようにやや前にでた。


「あ、あら咲良さん……こんばんは」


「こ、こんばんは」


 咲良は律儀に挨拶を返す。母はソワソワしながらも奥にあるソファへと移動した。新田さんはその場から動かず、何かを言いたそうにしている。そんな彼女を無視して、私と咲良は母の元へと近づいた。


 座ることなく、二人で母の前に立った。咲良の手をしっかり握ったまま。母もその様子に気がついたようで、繋がっている手をじっと見た。


「なんです、二人並んで。一体今まで何を」


「僕たち離婚はしません」


 単刀直入にそう言った。母がゆっくり顔をあげる。


 複雑そうな顔だった。失笑してしまいそうだ。これほどハッキリ言われて、まだ納得いかない顔をするなんて。


 わかっていた。これはもうこの人の意地なのだ。昔からそう、頑固で自分の非を認めたがらない。頭がよく決断力もある女性なのは尊敬していたが、今はもうそんな気持ちはない。ただ失望するだけだ。


 母は首を傾げて言う。


「咲良さんが朝離婚届を持ってきてくれたんだけど」


「母さんが書かせたんでしょう? あの紙はもうないし無効です。何か問題がありますか? 僕たちは話し合ってちゃんと進むことにした。これ以上の答えはない」


「今更ちゃんと進めるっていうの?」


「しっかり話した。お互いの気持ちはもう理解しあったんだ、母さんたちにとやかく言われる覚えはない」


 睨みながらそう言うも、それでもあの人は頷かなかった。笑って『そうなの、じゃあこれから頑張ってね』なんて言えたらいいのに。


 だがそれは想定内だった。自分の母親の性格をわかっていない子供なんていない。小さくため息をつく。やはり、ダメか。


 私は心を決めた。迷いなく告げる。


「もういい」


「え?」


「どうしても咲良を天海家の嫁と認めたくないっていうならそれでいいです。いつまでも二人で結託しててください。僕が一番守りたいのは咲良です、あなた方のことなんてどうでもいい」


 私は繋いでいる咲良の手をなお強く握った。しっかりと母の目を見据える。


 こんな人でも、幼い頃は優しいお母さん、だったのにな。間違いなく、私を育ててくれた人だった。


「僕はもう天海の名はいりません」


「……は」


 母がぽかんと口を開ける。無言で咲良がこちらを見上げた。それと同時に、私の手を握り返してくれた。


 目をまん丸にしてこちらを見てくる母の視線から逃げることなく答えた。背後で、新田茉莉子も戸惑っているのを感じる。私はさらに続けた。


「会社は継ぎません。あなた方にも二度と会いません。仕事もやめて、自力で転職します。……咲良ちゃんには苦労かけることもあるかもしれないけど、もう決めた」


 私はゆっくり隣を見た。心配そうに、それでも決意を固くした彼女の顔が目に入る。


 継ぐはずだった家の会社を捨てて、普通の社員になれば、思っていた生活とは違ったものになるかもしれない。やりたかった仕事に就けるとも限らない。経済面だって。それでも、咲良を苦しませる因子がそばにあるのにこのままでいるわけにはいかなかった。


 全部捨ててやる。全部いらない。


 何もかもゼロにして、咲良と穏やかに暮らしたかった。このままでは、私の目が届かないところで敵が何をしてくるか分からない。この人たちが知らない場所でやり直したい。


 本当ならこんな結末は望んでいなかった。そりゃ自分を育ててくれた親に祝福されながら生活を送りたかった。それが一番幸せな道だった。


 それでも、この人を見ているにそれは無理だと思い知った。残念だ、母の心にある分厚い雲は結局晴れることはない、残念ながら綺麗さっぱりハッピーエンドとはいかないということ。


 だったら仕方ない。咲良と二人で困難でも私たちの道を進んでいく。



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