第45話 咲良の答え⑤

「ずっと言えなくてごめん。臆病で、弱くてごめん。そのために苦しめた」


「……ま、ってください、……え?」


「優しくて、明るくて、人を思いやれる君が好きだった。ずっと昔から」


「嘘、です」


「嘘なんてつかない。信じられないかもしれない、でも信じてもらえるまで言う。

 僕はずっと咲良ちゃんが好きだった」


 真剣な目から、彼が嘘を言っていないなんてわかっていた。いや、元々彼はこんなタチの悪い冗談を言う人ではない。


 ただどうしても素直になれなかった。一緒に暮らしていても同居人状態で、誕生日も他の人に祝ってもらい、最後まで触れてくれなかった彼の告白は信じ難い。


 ついふらつく足で数歩後退した。そんな私を見て蒼一さんが悲しげに眉を顰める。だがすぐに、優しく微笑んだ。


「咲良ちゃん。僕はね、綾乃の居場所を知ってるんだ」


「……え!?」


 突然の真実に声を漏らした。お姉ちゃんの居場所は、結局両親も見つけ出せていない。それをどうして蒼一さんが?


「な、なんで蒼一さんが? お姉ちゃんは今どこにいるんですか?」


「大丈夫、楽しく過ごしている。僕はそのサポートをしてる」


「え?」


「幻滅される覚悟で言う。

 あの結婚式は僕と綾乃が仕組んだ」


 次から次へと、蒼一さんは私の想定外の言葉ばかり出した。口を開けたまま、私はただ唖然とするしかない。


「え?」


「元々綾乃とは仲のいい友達で恋愛感情なんてなかった。お互いにだ。

 もし……綾乃が当日いなくなれば、周りに気を遣う咲良ちゃんが立候補するんじゃないかって、そこまで考えて実行した」


 結婚式の日のことが蘇る。お姉ちゃんがいないと騒ぎになり、蒼一さんは困ったように俯いていた。彼と結婚できるチャンスを活かしたくて、私は立候補した。


 お姉ちゃんの身代わりに、立候補したんだ。


 やや似合わないドレスを着て知らない人たちの前で式を行った。それでも、隣に蒼一さんがいてくれたから乗り越えられた。


 彼は私に数歩近づく。そして叱られた子供のような顔で言った。


「ごめん。僕はね、とっても狡くて酷い人間なんだ。

 幻滅されるかもしれないと思って言えなかった。どうしても君のそばにいたかったから」


 信じられない真実に、私はようやく彼の言葉を理解し始めた。


 じゃあ、あの日お姉ちゃんが逃げることを知っていた。私がその代わりになることも想定されていた。


 私が蒼一さんと結婚したのは、なるべくしてなったっていうこと?


 私の顔を見て、蒼一さんは悲しげに苦笑した。そして再び手をとり、そのまま車に近づいていく。


 助手席に乗せられると、彼は運転席に乗り込んだ。シートのひんやりとした温度が背中から伝わる。ハンドルを握り、けれどもエンジンをかけることなく蒼一さんは言った。


「咲良ちゃんは他に好きな人がいるんだ、って思ってた。だから、僕たちのこの関係をどうしようかずっと考えてたんだ。勢いだけであんな計画をして、先のことまで考えてなかった馬鹿なんだよ僕は」


 どこか遠くを見るように蒼一さんが言う。その横顔を見つめながら、私は彼の言葉に耳を傾けていた。


「今更、って思われるかもしれないけど伝えたかった。本当の自分の気持ちを咲良ちゃんに。始まりこそあんな偽りの結婚だったけど、それでも僕は」


 彼のハンドルを握る手に力が入る。私はつい反射的に言った。


「私! いくら気を遣う人間でも!

 ……好きでもない人の結婚相手に立候補したりしません」


 はっとした顔になる。蒼一さんがゆっくりとこちらを向いた。


 私の頬を生ぬるい涙が伝った。ああ、言いたくてもずっと言えなかった言葉をようやく言えた。言った方がいい、と諭してくれた蓮也の言葉が脳裏によぎる。長い間踏み出せなかった一歩をようやく踏み出せた。


 あれはあなただったから。蒼一さんだったから立候補したの。


 私の初恋だったから。叶うはずのない恋だったから。お姉ちゃんが逃げ出したのを見て喜んだ黒い心があったから。


「狡いのは私です……お姉ちゃんがいなくなって、私は心の中で凄く喜んでた。私が蒼一さんと結婚できるんだって、その喜びでいっぱいだった。きっと心のどこかで、お姉ちゃんを羨んでたんです。

 蒼一さんは狡くないし幻滅もしません。あなたの結婚相手に立候補したのは私です、そこに強要も何も存在しませんでした」


「咲良ちゃん」


「私なんです、ずっと好きだったのは、私の方なんです……!」


 ポロポロと涙が流れた。再確認した想いが、涙となって溢れたのかもしれない。


 好きになってはいけない人をずっと好きで、何度も諦めようとした。それでも捨てきれなかった想い。


 苦手な料理を頑張りたいと思ったのも、家にいるだけで緊張してしまうのも、こんなに胸が苦しいのも、全ては蒼一さんが好きだったから。その答え以外何ものでもない。


 私が想いを叫んだ直後、ハンドルを握っていた彼の手が私の体を引き寄せた。そしてゆらりと体を揺らした瞬間、唇が重なり合う。驚きで何も動けなくなってしまった私は、ただ身を委ねるように瞼を閉じた。


 今起こっていることが現実とは思えない。頭が熱く、全身がふわふわ浮いているかのように浮遊感に襲われる。柔らかでどこか懐かしい香りがした。それがあんまりに心地よくて、ありふれた言い方だけれど時が止まればいいのにと思った。


 ふいに彼の顔が離れる。私の頬に流れた涙を、そっと両手で拭き取った。すぐにまた彼がキスを降らせた。頬に感じる蒼一さんの手のひらは驚くほど熱い。


 あなたに触れてもらうのが夢だった。きっと一生叶わないんだと思っていた。


 信じられなかった彼からの告白は、そのたった一度のキスで私の心に嘘じゃないんだと教えてくれた。こんな私を見ていてくれたんだということが、私の生まれてきた意味のように思えた。


 ゆっくり蒼一さんの体温が離れる。両手は私の頬を包んだまま、彼は至近距離で言った。


「涙、止まったね」


「……はい、でも、しん、心臓が口から出そうです」


「それは僕も」


 そう小さく笑った彼は、三度目のキスを私に贈った。


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