第41話 咲良の答え①
小さなアパートの扉が開かれる。蓮也の後ろからこっそり中を覗き込むと、大きなサイズなスニーカーやヒールの靴が乱雑に並べられていた。隣にある靴箱には収まり切らない分らしい。蓮也が申し訳なさそうに言った。
「ごめん、狭いし散らかってる」
「あ、全然……」
私がそう答えたとき、部屋の内部から声がした。
「あれ蓮也ー? どーしたのあんた」
短い廊下の奥に見えるリビングらしきところから、ひょこっと女の人の顔が出てきた。私は慌てて頭を下げる。
ロングヘアに少しつり目のキリッとした人。蓮也のお姉さんが目を丸くして私を見た。
「あれ。見たことあるね、えーと」
「あま……藤田咲良です」
「あーそうだ咲良ちゃんだ! へー久しぶりじゃーん!」
お姉さんはニコニコしてこちらに近づいてきた。高校生の時、会ったことのある蓮也のお姉さんは全く変わらない姿でなぜかほっとした。高校の頃、みんなで蓮也の家に遊びに行った時、フレンドリーなお姉さんも混じって遊んだことがあるのだ。
道端で泣きじゃくる私を、蓮也は家に誘ってくれた。迷っている私に、今はお姉さんと二人でアパート暮らしをしていることを教えてくれた。蓮也のお姉さんは会ったことがあったし面白い人だったから、私はお言葉に甘えてお邪魔することに決めたのだ。どうせ行くあてもなかった。
お姉さんは蓮也に不思議そうに尋ねた。
「あんた仕事は?」
「今日は休んだ」
「え!?」
声を上げたのは私だ。仕事を休んだ? が、よく考えてみれば蓮也だって社会人なのだ、仕事があるのが当然。私は彼の服の裾を掴んで言う。
「ご、ごめん。そうだよね、仕事だったよね」
「あー全然いいから。今そんな忙しい時期じゃないし有給余ってるから使いたかったし」
蓮也はそうそっけなく言うと、話題を逸らすように今度はお姉さんに言う。
「つーか姉ちゃんは今日バイト休みっつってなかった? なんで化粧してんの」
「ああ、風邪で休む子がいるから来れないかって店長に頼まれたから急遽働くことに」
「まじか」
蓮也は気まずそうに私を振り返った。てっきりお姉さんがいるものと思って私を誘ったのだ。二人きりになってしまうが、ここでじゃあ帰りますというのもなんだか言いにくい。
……それに、私はもうそういうことを気にする必要はない。だって、離婚しちゃったから。
力なく微笑んでみせる。蓮也は察したようで、私を中へ促した。
「狭いけど。上がって」
「お邪魔します」
私は頭を下げて靴を脱ぐ。お姉さんがじっとこちらを見ているのに気がつく。蓮也は気づいていないのか、何事もないように言った。
「とりあえず荷物そこ置いといたら」
「あ、ごめん場所取るけど……」
「いいよ。こっち」
多くなってしまった荷物を玄関の隅に置かせてもらう。お姉さんが不思議そうに見ているのはこれだ。どう見ても訳ありなのは一目でわかる荷物の量。
それでも彼女は何も言わずにっこり笑った。
「入って入って〜お茶とお菓子ぐらい出せるよ!」
「急に来たのにすみません」
「いいって。どうぞー」
部屋に足を踏み入れる。どこか可愛らしい部屋が目に入った。置いてあるインテリアやカーテンのデザインなど、蓮也が住んでるとは思えないものばかりで少し笑ってしまう。恐らくお姉さんの趣味だろう。
「どうした」
「いや、お部屋可愛くてびっくりしちゃった。蓮也が住んでるなんて」
「全部あの人が決めたからな」
蓮也は不服そうに言う。それにまた笑ってしまった。きっとお姉さんには逆らえないタイプなのだ。でも一緒に暮らしてるぐらいだから仲がいいんだな。
私はテレビの前にあるソファに座らせてもらった。早速お姉さんがお茶を持ってきてくれる。それと焼き菓子が入ったお皿も。
「あ、ありがとうございます!」
「いいのよー。可愛い女の子は大歓迎! ゆっくりしてっていいんだよ」
優しく笑いかけてくれるこの人は、きっと何か勘付いているなと思った。そりゃあの荷物と目を赤くした私をみれば分かってしまうか。私は頭を下げた。
「じゃ、今日私は夜に帰るからね。泊まっていくなら全然泊まってくれていいから! 蓮也は変なことすんなよ」
「うるせえなバイト遅れるぞ」
「ったく口が悪い弟だなほんと。可愛い妹とかならよかったのに」
ブツブツいいながらお姉さんは鞄を手にする。そして私にだけ爽やかな顔で手を振ると、そのまま家を出て行ってしまったのだ。
私はといえば、二人の仲のよさにまだ笑っていた。私とお姉ちゃんとはまた違ったタイプの姉弟。でも、姉には敵わないという立場はすごく理解できる。
蓮也は気まずそうに言った。
「ごめんうるさくて」
「全然。相変わらず面白いお姉さんだよね。私好きだな、もっと話したかった」
「姉ちゃんも言ってたけど泊まってけよ。夜ゆっくり飯でも食って話せばいいじゃん」
サラリと誘ってくれたことに感謝し小さく頷いた。目の前に出されたお茶をそっと一口啜る。少し苦い緑茶が私の心を少しだけ落ち着けてくれた。
隣に座った蓮也も、自分でいれたと見られるグラスのお茶を飲んでいた。私の前に置かれた焼き菓子を手に取り、無言でもぐもぐと食べ始める。彼のいつもと変わらない態度に、私はなんだ嬉しく感じて微笑んだ。
そんなこちらの様子に気づき、蓮也が言う。
「なに?」
「ううん。普通に接してくれて蓮也は優しいなあって」
「別に。中学からの長い付き合いじゃん」
甘そうなお菓子を食べながらやや早口で蓮也が言った。私は両手でお茶を包み、少しだけ俯く。
一度は私のことを好きだと言ってくれた蓮也に、こんな話をしていいのかという疑問はある。ここまで着いてきてしまいながら、自分の行動が軽薄なんじゃないかと思うが、それでも今は他に頼れる人がいなかった。
私たちの奇妙な結婚のきっかけを知る知人は蓮也しかいない。結局他の友達にも説明できていなかったんだ。
この約三ヶ月、ただ必死で。毎日が必死で必死で、何も気が回らなかった。結婚したという事実を友達に説明することさえできなかった。
「……離婚した」
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