第4話 蒼一の憂鬱②
会社へ着き長い廊下を歩いているとき、すれ違う人々の好奇の視線に気づいた。
それは今に始まったことではなかった。そう、あの結婚式以降、会社の人たちはコソコソと噂をしている。
父が経営する会社の跡継ぎである私の式となれば、多くの招待客がいた。もちろん社内にいる者も。そこで、当日花嫁が変わったなどと面白い展開となれば、そりゃみんな口々に噂するだろう。
なぜかは分からないが、元々みんな綾乃のことを知っていた。それが式当日、できたのは妹の方だった……面白いだろうな。
でもそんな視線、覚悟していたし別になんとも思わない。私は自分が本当に結婚したい人と結婚できた、それも自分が仕向けて。真実はそれだけなのだ。
ふうと息を吐きながら歩みを進めると、朝から自販機の前に女性社員が数名集まっていた。彼女たちは面白そうに笑って話している。
「やっぱりさ、天海さんの結婚相手、妹の方だったらしいよ!」
「えー!」
「まだ二十二歳なんだって。元々の婚約者の藤田綾乃に比べるとなんか地味っ子だよ、全然似合ってない!」
「それってうちらチャンスあるかなー? ていうかあんな優良物件から逃げるとか、どんな心境なの婚約者ー!」
「一応新婚だけど絶対上手くいきっこないよねー」
「チャンスとも言える!」
つい足を止めて、にぎやかな声の方を見つめていた。無言でそちらをじっと眺めていると、一人の女性社員が私の視線に気がつき、はっとした顔になった。
全員が振り返り私の存在を認識すると、顔を赤くさせて戸惑っていた。そんな彼女たちに何も言わず、私は少しだけ口角を上げて見せた。
無言で必死に頭を下げてくる彼女たちを置いてそのまま歩きを続ける。
くだらない。そう思っていた。
仕事は嫌いじゃない。会社をいずれ継ぐことも反発したことはないし、全てにおいてやりがいを感じてこなせている。
私は私のやるべきことさえやっていればいい。第三者の目や噂などどうでもいい。
「天海さん!」
背後から名前を呼ばれる。振り返ると、一人の女性が駆け寄ってきた。
ビシッとスーツを着こなし、セミロングの髪を揺らして歩いてくるその人は、新田茉莉子という仕事の仲間だった。キリッとした強い眼光を持った大人の女性で、年は私より一つ下だったか。
ハキハキとしてなんでもそつなくこなす彼女は、なんだか綾乃に似ている人だった。
「新田さん、おはよ」
「おはようございます。朝一ですみません、先ほどメールで送ったんですが、至急確認してほしい書類があって」
「そう、わかった。急いで見るね」
私はそのまま歩き出すと、新田さんは隣りに並んで共に歩いた。特に何も思わず無言でいると、言いにくそうに彼女が口を開く。
「さっきの社員たちの噂……聞いていましたか」
「はは、見てたの?」
「天海さんが余裕綽々の笑みで返すところまでバッチリ」
「余裕なんてないけどね」
「事実なんですか? 結婚の話」
ズバリと聞いてきたのを、彼女らしいなと思った。私は笑って答える。
「本当だよ。結婚したのは綾乃じゃなくて妹の方」
隣で息をのむのが伝わった。私はそのまま歩みを進める。
「二十二歳ってのも合ってる。みんな情報早いよね」
「……大学卒業したばかりのお嬢様ですか」
「まあ、そうかな」
「よかったんですか、そんな結婚相手で」
わずかに新田さんの声が低くなった気がした。隣を見てみると、彼女は真剣な目でこちらを見上げている。
「どういう意味?」
「ずっと結婚すると思っていた方ではなく、その妹だなんて。しかも噂によれば結構地味な子だって」
「新田さんが噂に振り回されるのは意外だな」
少し棘のある言葉を返した。それでも彼女は黙らず続けた。
「立場上断れなかったのはわかりますけど、あんまりかなって。天海さんに憧れてる女性はたくさんいますし、そんな結婚相手じゃそういう人たちも納得がいかないって、もっとお似合いの人がいるんじゃないかって……!」
私は歩みをとめた。釣られて彼女も足を止める。ゆっくり隣りを見下ろしてみると、少し戸惑った顔をした新田さんの顔が目に入る。
「僕の妻を侮辱しないでもらえますか」
今度は笑みなど付けなかった。
噂など勝手に言わせておけばいいと思っている自分だが、どうしても怒りを覚えるのはやはり咲良を悪く言われることだった。どうせ誰も咲良本人のことなんて知らないくせに、面白おかしく噂する。
彼女はぐっと言葉に詰まり、すぐに頭を下げた。
「すみませんでした」
「すぐに書類は確認するね。またメール返すね」
私はそれだけ言うと、新田さんを置いてその場から去った。
咲良がこんな風に言われてしまうのも私のせいだ。私があの結婚を仕組んだから。彼女は必要以上に噂されるはめになってしまった。
その罪悪感で心が痛かった。
(早く帰りたいな……)
結婚式のために取っていた休みの皺寄せがきている。本当ならもっと早く帰って、ゆっくり咲良とお茶でもしたい。いや、でも咲良からすれば一人の方が気楽でいいだろうか。
はあと自分の口からため息が漏れた。
自分がのぞんだ結婚生活、一体これはどう進んでいくんだろう。咲良をしばりつけて、このまま年老いていくつもりなんだろうか。形だけの夫婦で実際は同居人。
もし……彼女が私を好きになってくれたなら。
そんなおこがましいことを考えて自分で苦笑した。ずっと『優しいお兄ちゃん』だったのに、今更恋になんて発展しないに決まってる。
それに……私がこの結婚を仕組んだと知れば、
咲良は必ず失望する。
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