ミリアとリリィのプロローグ

 あの日から。

 私の願いが叶ったあの日から。

 私は後悔をしている。

 だけど、あの日。何があったのかはよく覚えていない。

 だから、今、自分が何を後悔しているのかも、実のところ分からない。

 とても大切な人がいたはずで。しかし、思い出すことは叶わない。

 けれど大切な何かが確かにそこにはあったのだ。


 あの日のことで思い出せるのは、父さんが死んだ。それくらいだった。

 気絶した私は、街の人に街の病院まで運んで貰ったらしい。

 後日、訳もわからないまま裁判にかけられたが、私の精神の異常性と父さんが行った悪事を考慮して無罪となった。

 しかし暫くは魔法が使えないらしかった。

 私、いつから魔法が使えるようになったんだっけ。

 とても大事なものの筈なのに、何も思い出せない。


 あの出来事から、一年ほどが経った。

 私は今、頭に病を患っているらしい。

 自分では全くそんな気はしていなかった。

 しかしお医者さん曰く、それも回復傾向にあるらしいので、病院に通うのは月一の頻度で良くなった。


 ちなみに今は、もうあの家は解体されている。

 邪悪な物が、既にかなり纏わりついているから、らしい。

 今、居住しているのは、保険金で購入した小さな一戸建てだ。

 街の端っこに位置していて、落ち着ける雰囲気でかなり良い場所だと思う。

 だけど本当に小さくて、一人でもかなり狭さを感じてしまうものだった。


 今日は、母さんの命日。

 朝ご飯をもぞもぞ食べながら、思考する。

 今日はとても大事な日である。が、それ以上にもっと大事なことがある気がした。

 やはりそれも、よく思い出せない大事な思い出が絡んでいるのだろうか。


 閉じられていたカーテンをシャッと開く。

 朝ご飯を食べたとは言ったが、最近は目覚めが悪いのでもうお昼。

 その日差しはとても眩しくて、やはり今日は部屋にこもっていようかとも思ってしまう。

 けど。まぁ、行くしかないのでそれは我慢我慢。


 気怠げに、寝巻きから普段着に着替える。

 財布を取り出して、ポケットに仕舞う。

 さて準備は整った、と。

 思った時だった。


 ──コンコンコン。


 家のドアがノックされる。その音が聞こえた。

 誰だろうか、と思いながら私は玄関に向かう。

 と、ドアの下の隙間から、何か封筒の様な物が投げ込まれていた。

 なるほど。宅配屋だったようだ。


「ありがとうございまーす」


 そこにいるかも分からない宅配屋に声を投げ、私はそれを拾った。

 中を取り出してみると、どうやら手紙の様だった。

 書き出しは『親愛なるミリア・フローレスへ』という物であり。

 私に手紙を出す人物って誰だろうと、少し疑問になりながら一行目に目を通す。


『久しぶり。流石に覚えていないかな』


 とても綺麗な文字だった。

 差出人がわからないのに、心臓がドクンと鳴った。

 いや。きっと、心のどこかでこれが誰からの手紙か、理解をしていた。

 迷わず次を読み進める。


『あの後、私は神世界に戻って予定通り神罰を受けてしまいました。その際、ミリアの中にある私の血液も抜き取られたから、ミリアが持っている私の記憶って、うっすらとしかないと思うのよね』


 あぁ。そうだ。

 そうだった。


『けどね。私、エルシー・ベイリーっていう。なんというか、私たち女神の最高管理職的な人に「ごめんなさい」って謝られたの。なんでだと思う?』


 女神という響きが、とても懐かしい。


『理由はね。「何もしてやれなかった」から、だって。考えてみればそうだよね。私が凄く苦しんで繰り返してきたのに、なんで今まで何もしてくれなかったんだーっていう。まぁ、その人もかなり忙しかったらしいから、しょうがないって思うしかないけど』


 うんうんと、頷きながら目を通す。


『だから、私が受ける神罰もかなり軽いものになった。その罰が「神から人間に降格させる」っていうもので。聞こえは悪いんだけど、でもエルシー・ベイリーはこう言ってくれたの。「人間としてあの街に降りさせます。その代わり、あの少女を絶対に、幸せにさせなさい」って』


 心臓の高鳴りが止まらない。


『凄く優しいよね。かなり責任も感じていたんだと思うけど』


 じわじわと、何かが私の中から込み上げる。


『まぁだからね。私はこうしてまた、あなたの元にやってきました』


 気付けばポタポタと、涙が手紙を濡らしている。


『私のこと覚えてくれなくてもいいよ。これからまた、幸せにさせるから』


 目はぼやけて、文字が見れない。

 最後の一文。涙を拭って、


『だから、ね。もしあなたがそれで良ければ、ドアを開けて欲しい』


 手紙の最後には『あなたの事が大好きな、リリィより』とあった。

 私はその手紙を、大切に封筒にしまって、近くに置くと。

 靴を履いて、ドアをゆっくり。本当にゆっくりと開いた。

 まるで夢を見ている様だった。

 けれど。目の前にいた、眩しい光景を見て。

 全て現実で、何か報われた様な気さえもしてしまった。


「私は、リリィ。……ミリア、私のこと覚えてる?」


 彼女は──リリィは、子供のように意地悪に笑った。


「うん。うん、うん!」


 私は泣きながら、何度も頷いた。

 一年前の思い出が、沸々と湧いて出る。

 リリィだ。私の大好きな、リリィ。

 とても大事なあなたのことを、私はどうして忘れていたのだろう。


 あぁ。でも、私たちは会えたのだ。

 もう忘れない。絶対に、忘れない。

 忘れることなんて出来ない。

 私のこの決意は、きっと嘘にはならない。

 もう忘れてしまうような事なんて、起こり得るはずがないのだから。


 私は、溢れんばかりの想いを、ハグでリリィにぶつける。


「うっ──リリィっ。リ、リリィ……。うぅ……」


 だらしなく泣きじゃくる私を、リリィは優しく抱擁した。


「これからずっと一緒にいようね」

「うんっ。……ずっとずっと、一緒だから」


「……そういえば私、魔力とかほとんど無くなっちゃったんだよね」

「そんなこと、気にしないよ。……それ以上に、本当に良かった」


「うん。良かった」

「……あぁもう。なんていえばいいのか。色々と想いが溢れ出しちゃって、凄く言いたいことがあるのに、何も言えないよぉ……」


「今はそれでいいよ」

「……ん。そうだよね」


 私は泣き声を更に大にして、しばらくこのままだった。

 私はずっと、大好きだとリリィに伝えていた。

 けれど涙は止まらずに、枯れるまで流れっぱなしだった。


 暖かい。

 とてもリリィは暖かい。

 全てが暖かい。

 何もかもが暖かい。

 私の中の、氷の様な成分が溶かされていくのを感じる。

 昨日までの私は、とても暗かったのだと思わせてくれる。

 私、本当にリリィが大好きだ。

 その想いが、明るい未来の想像をさせてくれて。

 これからどうなっていくのだろうと思う。

 一緒に暮らして、楽しい毎日を過ごしていくのだろうか。

 それなら、この小さな家も新しく買い替えないといけないのかな。

 なんて、楽しいことで頭が支配される。希望が膨れて、妄想も膨れる。

 でもそれは、結局は分からなくて不確実で。

 だけど。言えることが、一つだけある。


 今の私は、幸せだ。

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