痛いハグ

 結論から話すと。

 私は、無事にリリィ彼女を自室のベッドに運ぶことが出来た。

 父さんに、彼女を家にいれる許可を取るか考えたが、まぁいいや、と。

 どうせ、部屋のドアをノックしたところで返事もくれないだろうし。


 それで彼女をお姫様抱っこして、よいしょよいしょと。

 必死すぎて記憶は曖昧だけど、私の腕の中は荒波のように揺れていたと思う。

 それでも彼女は微動だにしないので、中々の深い眠りだ。

 まぁ。それで、ベッドに寝かせて、濡れたハンカチで彼女の顔を拭ってあげた。

 やったことと言えば、多分それだけ。


 それで、今はすることも無く、彼女が目覚めるのをただ隣で見守っている。

 ベッドの横に丸い椅子を置いて、その上に座ってという感じに。

 見守っている……というより、見つめている。かな。

 先は疑っちゃったけど、その疑いも晴れた今、この人はただの変人な美人だ。

 変人な美人? ともかく、美人っていうことを言いたくて。

 だから、こうして起きるのを待っているのも苦痛は伴わない。

 ……けど、言われた言葉が、未だ私の中に複雑に絡み合っている。

 告白らしいけど、やっぱり何かの間違いだよね?

 こんな綺麗な人なのに、私なんかに告白なんてする訳ないし。

 何度も思考するが、第一知り合いでもないのだから。

 気絶してしまったということを踏まえると、きっと頭が混乱していたのかも。

 混乱したままの状態で私の家に来てしまい。

 混乱したまま先の事を口走ってしまったと考えると、腑に落ちなくもない。

 それ以外の理由が見当たらないので、きっとそういうことだと。

 頭の中で納得した。


 と、ほぼ同時だ。

 目の前の布団がモゾっと動きをみせる。


「お。目、覚めた?」


 無意識に思考を口に出しながら、焦点を彼女の顔に合わせる。

 目を瞑ってはいるけれど、そろそろ起きそうだなと察せる顔だった。

 目に力が集中し始めて、それが眩しさに耐えるようにゆっくりと開かれる。


 私は椅子から立ち上がり、彼女の顔を覗きにいった。

 少しも覚醒できていないボーッとした表情だった。

 けれど、何度見ても。どんな表情でも。その顔の美しさは衰えていない。

 ますます、この人が何者なのか気になってきた。


「おーい。起きてー」


 彼女のぼんやりとした顔の前で、軽く手を振ってみる。

 黒い目が、その動きを微かに追って。

 瞼も少しだけ、開き始める。

 その瞼の動きと連動するように、口もゆっくりと開かれて──。


「……ここは、どこ。……私は、生きてるの?」


 と、未だ夢の中にいるような表情で私に。問いかけた? のかな?

 語尾すらもぼんやりとして分かりづらいけど、多分私に問うたのだ。

 理解し、その言葉の意味も理解しようと思考を巡らし、それに答える。


「私の部屋のベッドだよ。ちゃんと生きてるよー」


 答えたはいいものの、後半はなんかしっくりこない。

 生きてるのは当たり前のことで。

 なんでそんなことを聞くのかと思うけれど。つまり……。

 この人は、それほどまでに追い詰められた状況にあったということだろうか。

 いきなり変なことを口走り、気絶したくらいだ。

 そうであってもおかしな話ではない。


「……そっか。…………」


 彼女はそう零す。

 かと思えば、彼女の表情が急に青ざめていく。

 そして、電流が走ったかのように、彼女の目が大きく見開かれ。

 自身にかかった毛布を跳ね除け、ベッドから飛び起きた。


「今! 今、何時⁉︎」


 私の胸ぐらを掴むような勢いで、そう唾を飛ばしてきた。

 気圧され、反射的にポケットの懐中時計を取り出す。


「え、えーっと。い、今は昼の直前くらい……かな?」


 時計の針が指しているのは、ちょうど十二時前。

 答えると同時に、そんなにも長い時間こうしてここに居座っていたことに、内心ちょっとだけ驚く。

 また。答えると同時に、彼女の青ざめた表情がより一層青みを増した。


「大丈夫? 顔色悪そうだけど……。まだ寝とく?」


 目と鼻の先の彼女に投げかける。

 けれど、彼女は何も反応してくれない。

 目は私の方を向いているけれど、そのずっと先を見ているようだった。

 やっぱり、まだ体調がすぐれないらしい。


「…………」


 彼女は何も答えてくれない。


 放心したように、ただ呆然と。

 そして、唐突に。


「えっ──」


 私のことを抱きしめてきた。

 油断していた獲物に襲いかかるように、それは瞬間だった。

 彼女の腕が二本とも背中を回って、私を捕まえている。


「ちょ、ちょっと。なに……」


 照れと困惑が混同した複雑な心境だ。

 けどやはり「なぜ?」という気持ちが強い。

 いや、この人はまだ頭が混乱しているだけだと思う。

 あの謎の告白と同じで。


 ──それにしても、強く抱きしめすぎだ。


「い、痛い……。離れて……」


 耐えきれずに言うと、案外素直にパッと手を離してくれた。

 俯きながら、私から距離を置く。

 一歩、二歩と、重すぎる足取りで。


 やがて足を止めた。

 そして、地面に向かって──。


「……もう。────は、間に合わない」


 聞こえるか聞こえないかくらいの声でぽそりと。

 というより、一部私の耳には届いてくれなかった。

 考えていることが、つい口に出てしまったような声だった。


 私は呼吸するのも忘れていたのか、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 次の瞬間だった。


 彼女は、勢いよく顔を上げた。

 その勢いで、涙が宙を舞い。それすらも美しくて、つい見入る。

 また、その口がゆっくりと開かれて、私に告げるのだった。


「ねぇ。犯していい?」


 そんな言葉を淡々と。

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