ある日ある朝突然に

彼女のことが、分からない

 理解できない。

 目の前の、リリィと名乗った彼女の言った言葉が。

 『私のこと好きになって』って。

 有り得ない。私はこの人のことを知らない。

 本当に。絶対、知らない。

 そんな人に、こんなことをするなんて有り得ない。

 けど、雰囲気が。

 私のことを見つめる、潤んだ彼女のその目が。

 赤に染まった彼女の頬が。

 ……まるで。告白のようじゃないか。

 いや。違うな。これは告白だと思う。

 だって、その言葉に不覚にも心臓を揺らしてしまったから。


 けど、好きとか、そういうんじゃ全くない。

 こんなこと言われるのが初めてだし、それに唐突すぎて困惑しているだけ。

 第一、初対面の私にこんなことを言う時点でかなり怪しいと思う。

 ほら。なんだっけ。詐欺みたいな、そんなやつ。

 この街に、そんなことをするような人がいることに驚きだけど。

 まぁ。こんな人見たことないし、この街の住人でもないのだろう。

 ……その前に、女が女に誘惑されるなんて有り得ないじゃないか。


 けど。ずっと見つめられているのも、いささか恥ずかしい。

 その視線から逃げるように、私は彼女に背を向ける。

 後ろに気配を感じながらもこう問うた。


「……好きってさ。どういうこと」


 まず。この質問から。


「……あなたが好きっていうこと」


 帰ってくるのは細い声。

 内容も薄い。


「答えになってない……。どこかで知り合いだったっけ?」

「ずっと前から。ずっとずっと」


 言われ、記憶を辿る。

 いや。辿る必要もない。

 こんな美人な女の子を見たことがあったなら、直ぐに思い出せる筈だから。


「……私。そんな記憶ないよ」

「そう。……そっか。…………」


 私の背中に当たるのは、悲しげな声。

 一瞬の沈黙に続き、また、


「私。あなたが……好き。なんだよ」


 そんな、力の無い声が。

 ドキリと心臓は揺れるけど。理解は出来ないままだった。

 理解出来なさすぎて、頭が痛い。


 何が理解できないのかって。

 なんで、そんな悲しい声が出せるのか。泣きそうな顔が作れるのか。

 悪い人だとして、どこからその声は出ているのか、理解できなくて。

 だから。その言葉に、返答はできなかった。


「……ねぇ」


 声が聞こえる。

 続くように、一つ二つと足音が聞こえて、私の背中に気配が近付く。

 すぐ、真後ろに彼女がいて。

 なぜか拘束されたように、その場から動けない。

 彼女の視線に、まるで縛られているようだった。


 ──今度は、何をする気なの?


 と、その刹那だ。

 ふわりと、私の耳に風が吹いたかと思えば。


「え──」


 私は彼女に、後ろから拘束された。

 綺麗な腕が、私の胸の前まで回された。

 抱きしめられたというその事実を、数秒遅れて理解する。


「……何、してるの?」


 顔が熱い。

 こんな不審な人物に抱きしめられて、顔が熱くなるだなんてどうかしている。

 だけど。顔の温度は、どんどん熱を帯びていって。


「……大好き。だから……」


 耳に囁かれる、そんな言葉。

 身体がゾクゾクと震えた。


 分からない。自分の心が。この人の心が。

 どうして、見ず知らずの相手に。そんな心の篭った大好きが言えるのか。

 さっきから、ずっと。分からないことだらけで。理解できなくて。

 私の頭は、爆発しそうなくらいにグルグルだ。


「意味わかんない……」


 呟いて「そっか……」と、寂しい声が聞こえて。

 彼女の私を抱きしめる、腕の力がスッと抜けた。

 手がぶらんと、私の胸の下に垂れる。

 そのまま下にずるずると、私の体を伝う様に力無く落ちていって。

 音もなく、彼女は地面に突っ伏した。

 その姿が視界の端に映った。


「え、どうしたの?」


 私は固まっていた体を動かして、振り返り、その場に屈み込む。

 端正な顔が台無しじゃんって思いながら、彼女の肩をぽんぽんとしてみる。

 が、無反応だ。


「大丈夫? ですか?」


 その掴んだままの肩を、ゆっさゆっさと動かしてみる。

 それでも、彼女の反応は皆無だ。


「うーん」


 急すぎる状況に困惑しつつも、

 私は肩に置いていた両手を、地面に向けられていた彼女のおでこと顎に滑り込ませ、ゆっくりとその顔を持ち上げた。


「──?」


 案の定、土に汚れていた彼女の顔。

 目は閉ざされていて、体の力が抜けていて。

 ──なぜか、気絶していた。


「……なんで、かな」


 もう一つ、理解ができないことが増えた。

 さっきまで、私に大好きとか言ってたのに、なんでそんな急に気絶するのか。

 演技とかでもなく本当に気絶しているようで、余計に理解不能だ。

 不審者だと思っていたけど、どうも違うような気もしてくる。

 だって。さっきまでの一連の告白?

 その流れが、演技にはとても見えない。

 だからって、不審なことには変わりないのだけれど。

 だけど、今更気付いたが彼女、何も持ち物がない。

 詐欺とか、そういう感じの人では無さそうだ。


 その事実に気付き、肩の荷が少し降りる。

 んー。しかし。


「どうしたものか」


 このまま地面に寝かせるわけにもいかないし……。

 私が回復魔法でも扱えたのなら良かったけど。

 生憎、私にそんなことが出来る能力なんてない。

 このまま街の役所に預けて様子を見て貰おうかな。それか病院。

 いやでも、私の家からそこまでは結構な距離があるし……。

 このままおぶってそこに運んでいくのは、かなり骨が折れそう。

 …………。


「あー、もう!」


 私だって、ここで見捨てる程、酷い人じゃない。

 仕方ないので、私の家のベッドで起きるまで寝かせてあげよう。

 悪い人じゃ無いっぽいしね?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る