信心と闇
是宮が問う。
私が何を信心しているのか。
どこに重きを置いているのか。
それは命が一番大切であるという教え。
その命を尊重すればこそ、これまでも伝えたように相手にも宇宙が存在する。
その神に問いたい。
人を恨み心の中にその人を棲まわせてまで、囚われる心こそ無駄ではないのかと。
その神まで闇堕ちさせてしまっては、一番恐れる事態に通じるのではないのかと。
それぞれ生きるもの全てに存在する宇宙という可能性を、私は信じている。
その神仏に手を合わせるのであって、枠に囚われすぎて全ての可能性を否定し、排他する心こそ愚かなのではないかと問いたい。
その答えとして見えるのは、もう少し先なのかもしれない。
ただ言えるのは、現象として感じ取っている事。
体験している事。
その危機感こそ、答えなのではないだろうか。
激化することを、重々承知で敢えて言う。
科目上の知識だけでは、戦えないこと。
心の底から理解し体験した言葉でなければ、誰の心も動かすことなどできない現実。
それは喉元に突きつけられた刃に似ている。
それほど命取りな現実に身を置いているからこそ、敢えて言うなら何を持って正しきを説き、
逸れたことに気づくのか。
どんなに正しき事すらも、人を介して伝わりし現実。
そこに意図しないモノの介入。
可能性を、否定できるのだろうか。
その結果歪みに、つながってはないだらうか?
これは可能性の一つ。
その一つさえ潰せない限り、変えること。
救う事すらできるわけがないのである。
愚かな争いが起きるには、尊重する心が足りないからこそ。
真に信じる事ができていない所以。
だからこそ切り開く為に、存在はいつの時代にもあったはずなのだ。
その出来事をどう感じ、学び成長するか。
戦う相手を間違えてはいけない。
それは己にある闇であり、他者という鏡ではないのだ。
自分の姿が映る鏡に挑んでも、何も変わらない。
堕ちるだけではなかろうか?
気になってしまうからこそ、相手の言動を監視する。
捨てたなら、気に留めなければいいだけではなかろうか。
果たして囚われているのは、誰なのか?
晴れぬ思いをしているのは、誰なのか
恐怖を煽る存在は誰なのか。
もはや言葉などいらない。
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