安倍元首相暗殺事件の考察【桜井編】

カクヨムをご覧の皆さま、はじめまして。

グループLINEの歴史考察担当・桜井博史と申します。



(こちらはアメブロに安倍元首相の初七日に公開した。アメブロの記事となります。)



諏訪野より「どうしても安倍晋三氏についての考察を語って欲しい」との要望がありましたので、今回は私が記事を執筆いたします。



まずは安倍晋三氏の突然の訃報に接し、深く哀悼の意を表します。



日蓮大聖人は「有情の第一の財(たから)は命にすぎず、此れを奪う者は必ず三途(地獄)に堕つ」と仰せですが、他人の命を奪う行為は決してあってはならず、犯人を許してはならぬ事、これだけはまず明確に述べさせていただきます。


その上で、故人である安倍晋三氏を貶める意図は全くありませんが、その批判を覚悟で経文御抄と歴史に照らし合わせて、今回の事件を考えてみました。



私は本年の1月21日、グループLINEに以下の内容を投稿しております。



【2022年1月21日】


日蓮大聖人は「政(まつりごと)悪しくして風荒らし(嵐)」と仰せですが、これは悪政が行われると諸天怒りを成し、大悪風が吹き荒れるとの意味です。


「令和」の出典は「初春の令月にして気淑(きよ)く風和らぎ」ですが、今の世は金光明経に説かれるが如く「暴雨悪風時節に依らず」で風が和らぐ事がありません。


令和の元号を決定したのは、時の総理大臣たる安倍晋三氏です。

安倍氏は「戦後レジームからの脱却」を掲げて日本会議や神社本庁と手を組み、「神の国・日本」を作ろうとしましたが、これがそもそもの間違いだったのです。


その証拠が今上天皇の「即位礼正殿の儀」に現れています。

儀式が行われる直前まで暴風雨が起こり、錦の御旗が二本倒れたばかりか、安倍氏が揮毫した「萬歳幡(ばんざいばん)」までもが倒れました。


これ天の怒りです。


今上天皇の即位礼正殿の儀は2019年11月の事でしたが、最新の研究によると、この頃すでに新型コロナが武漢で発生していた可能性があるとの事です。


新型コロナはいわば悪性の風邪ですが、これは「悪政の風」に通じます。


そして即位礼正殿の儀から1年と経たないうちに安倍氏は再び病を得て、首相を退く事になりました。


その後、次の菅政権が発足するまでのわずかな間に九州は3度台風に見舞われ、菅首相の出身地であり台風から遠く離れた秋田でも悪風が吹き荒れました。


これすべて天の怒りでなくて何でありましょうか。


為政者たる者、「政悪しくして風荒らし」を肝に銘じるべきです。


「萬歳幡」が倒れたのは、安倍氏が病で倒れ、「萬歳=長期」、即ち長期政権を放棄する前兆でした。


そして錦の御旗二本が倒れたのは、「二本=日本」が倒れる前兆ではないでしょうか。


(以上転載)



ちなみに安倍晋三氏の祖先は、前九年の役で源頼義に滅ぼされた、奥州の安倍氏だと言われており、この奥州の安倍氏は、蘇我氏と聖徳太子によって滅ぼされた物部氏の流れを汲んでいます。


では物部氏がなぜ滅んだか。


神道を重んじた物部氏は、仏法を奉じる蘇我氏と聖徳太子の勢力と激しく対立。

用明天皇2年(587年)の4月、身の危険を感じた物部氏の当主である守屋が朝廷から退いたのを見るや、蘇我氏は守屋に謀反の企みがあるとして、同年7月、ついに戦となり、守屋は敵の放った矢に射貫かれて討ち死に。

結果、物部氏は総崩れとなり滅んでいます。



上記を踏まえて安倍晋三氏と比較してみると、


①守屋も安倍晋三氏もかつての権力者であり、その座を退いた後だった。

②守屋も安倍晋三氏も「神の国・日本」を目指した。

③守屋は戦の最中に矢に射貫かれて討ち死にし、安倍晋三氏は「選挙戦の最中」に銃弾に撃ち抜かれて亡くなっている。

④二人とも亡くなったのが「7月」である。


この奇妙な一致は何なのか…?

そしてなぜ、「神の国・日本」を目指した者が滅ぼされるのか?


これ実に、仏法に起因しているのです。


梵天・帝釈などの諸天、天照大神・八幡大菩薩などの善神は、すべて仏法を守護する功徳によって「神」としての果報を得ているのだと、経典には説かれています。

すなわち諸天善神(神々)は仏の弟子であり、仏が主君で諸天善神は家来と言って差し支えありません。


故に普段から神道を重んじ諸天善神を敬っていても、仏法に背いた者を諸天善神が守護する事はあり得ないのです。

これをよくよく心得なければなりません。


つまり安倍晋三氏は、物部守屋の轍を踏んでしまった故に「歴史が繰り返された」のです。




また日蓮大聖人は「夫れ運きはわりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず」と仰せですが、これは、「運が極まり満ちている時は兵法を用いなくても戦いに勝ててしまうが、果報=運が尽きてしまったならば、家来であっても命令に従ってくれない」との意味です。


安倍晋三氏は「選挙に強い総理総裁」と言われ、第二次政権の任期中に行われた6度の国政選挙すべてに勝利しましたが、これが「運きはまりぬれば兵法もいらず」です。


しかし今回の事件の動画を見るに、背後から迫る暗殺犯に対して警備があまりに無防備に過ぎ、さらに言うならば一発目の発砲に際して直ちに反応して動いている警護は居らず、みな棒立ちしてしまっています。


通常の要人警護であれば、一発目の発砲で警護はただちに要人に覆いかぶさって伏せさせ、別の警護が身を挺して二発目の銃弾を防ぎ、さらに別の警護の者が犯人を取り押さえなくてはなりません。

今回はそれが全くできなかった結果、二発目の発砲を許して安倍晋三氏が致命傷を負ってしまった。


安倍晋三氏を護る所従とも言うべき、大勢居たであろうSPや警察、警備員、さらには秘書や自民党県連の誰一人として、安倍晋三氏を身を挺して護る行動が取れなかった。


まさに「果報つきぬれば所従もしたがはず」です。



そして、安倍晋三氏の救命治療に力を尽くされた医師の方の会見を見て、思った事を記します。


「首に銃創が2つあった」との事ですが、これは安倍晋三氏が「首=首相」を「2つ=二度務めた」事に符合します。


また、「銃弾が心臓(晋三)に達していた」と…


さらに事件が起きたのは「大和西大寺駅前」ですが、「大和=日本」「西大寺=最大事」…

つまり「日本にとっての最大事」であったと…


これは何の因縁でしょうか…



日蓮大聖人は「徵(しるし)先にあらわれて、禍(わざわ)い後に来たる」と仰せです。


「萬歳幡倒れる」が安倍晋三氏に対する悪瑞・凶兆であった事は、今回の事件で明白になりました。


そしてこの後に最も危惧されるのが、残る「錦の御旗(=皇室)二本(=日本)倒れる」の凶兆なのです。





私、諏訪野美琴は悩みました。

これら一連の神託含め、表に出す事自体、危険な状況に晒されるのではないかと。


これまで敵認定されていた部分以上に、多種に渡り敵を作り、危険に晒されると知っています。


しかし、考えるのです。

一度はタカムスビの矢として、核を使って、私を含め人類の崩壊のシナリオまで公言された事。

(カクヨム参照)


そこまでの終焉を示唆されている中で、保身に走っても意味すら持たないのです。


そこまで行くと崖っぷち思考でしかないのですが、しかし滅びるか滅ぼされる未来しかないのなら、声を上げ変わる未来に賭けるしかないのです。


だからこそ覚悟を持ち、発信するのです。

それほど事態は深刻なのです。


私たちは明日も続く、未来を望んでいます。

しかし、それは突然終わるかもしれない。


一部の人間が私利私欲に駆られ、魔の思考が世界を滅ぼすと言うのなら、道理と神々の真意を伝える事で僅かな希望に託すのです。


私たちはこれまで、ほんの僅かな針先程の光を感じ、未来は明るいと信じて進んできました。


それでも不安がないと言ったる嘘になるでしょう。

常に身の危険を感じ、命の危機に晒されてきました。


使命があるからこそ、生かされてきたのなら、たとえ命が尽きたとしてもやりきらなければならないのです。


ペンを取れ、武器を持て!発信することを諭したのは、神々でした。

そして己の葛藤も苦悩も全てさらけ出せと言われました。


それがやがて光になるから、救いになるからと言われ続けました。


そして己の中にある神を信じろとも言われました。


神は共にあると。


正しいことを正しいと発信する強い信念が、未来を変える鍵になるのです。


未来は明るいと、強く願うことで叶う未来があるのなら、私は命ある限り綴ります。そしてまだ見ぬ誰かの心に届くことを願っています。


あなたが変わることで、少しでも大きく未来を変えるのです。


道理にきづき、身を正すことは崩壊の危機を少なくできるのです。

大難を小難にできるのです。


まずは一人一人、小さな意識改革かもしれません。


しかし、一人一人のコスモ(小宇宙)が或り、人々が繋がる事でやがて大宇宙(マクロ)になる。

それ自体経文に説かれています。


小千世界あり、小千世界が千集まりて中千世界となり、中千世界が千集まりて三千大千世界となる。


宇宙の理こそ、真実だと進んできた私たちです。

正しいことはどんなに月日が変わっても、変わりません。


なぜなら真実だからです。


だからこそ迷わず、進むのです。

その道が間違っていたのなら、巡ってガツンと案件になる。

しかし、正しい道ならば誰にも阻止できないのです。


だから今日を迎えることができています。

未来を勝ち得た先にあるものは、希望です。


それに気づく為にも、ガツンと案件にて一度は壊さなければならないというのなら、仕方ないこととして受け止めます。


なぜなら、それほどまでに罪を重ねてきたのも、紛れもない自分達であり人類であるのだからです。


そして人々に平等にやってくるのです。

気づき変われるチャンスとして。


それをただの悲劇として、終わらせてはならないのです。

何も学ばなければ、悲劇になります。


しかし、その出来事に意味を見出し、変わることができたなら、悲劇ではなくなるのです。


神様は一人一人が気づくことを願っています。

あるべき姿に、戻る事を願っているのです。


その先にあるのは、平和。


人類みなが命を大切にし、他者を尊重できる平和な世界を待っているのです。

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