危機感ゼロのリアル

突き動かされるように、考えろとせき立てられる。

生き残るために、何が起きているのか物事の本質を考えろと突きつけられる。


そして連日、平行世界のクロスオーバーの如く、謎解きの答えとヒントだったのかと気づいて目が覚める。

しかし、なんの脈絡もない夢に苦悩する。


どういうことだ?

なにか見落とししているのか?

憔悴仕切っている思考。

見えないものを見ろとばかりに、突き立てられる。


そして気づいた。

圧倒的に尺度が違う現実。


それは当然なのだ。

人間の私が危惧し、想像できる事などたかがしてれいるのである。

どんなに精一杯考えたとしても、身の回り程度しかリアルに見えてこない現実がある。

見えない部分は想像でしかなくなる。


それは世界規模の問題となり、圧倒的にどうすることも出来ない現実の壁としてたちはばかる。


それでも、今起きている現実をきちんと解釈しなければならない。という危機感しかなくなるのである。


圧倒的な力の差であり、私が見える世界はどごく一部でしかないことを知っている上で、あえて言うなら危機感ゼロのリアルがここにある。


日常的な小さな問題をあげるのであれば、普段の発言言動が健康被害となり追い詰められるリアルを見ている。

軽いものであれば、すぐさま還る。


しかし、長年無自覚のまま重ねた罪穢れは、全く理由の分からない体調悪化に繋がり、この先背負って生きていかなければならないような疾患を発症させている。


そのさまを身近な部分で見せられているのである。


またコロナ禍で中止となった祭りが、3年ぶりに復活した。

連日集会所には大人が集まり、酒を酌み交わしながら作業を進める。


祭り決行の判断を下したのは、明らかに感染数値が停滞していた状況が加味したとしか思われない。


開催直前となり、感染者数はこれまでの過去感染者数の最大数を超えた。

それでも中止の動きはない。


祭りに参加するには、3回のワクチン接種が必須となるそうだが、果たしてワクチンが効かない感染力が強いBA5に対して、危機感はないのだろうか?


結局、辞める選択をするにしても、お金が動く。

しかし、目の前の命という規模で考えた時、どちらが優先しなければならないのか、簡単に答えは出るのに誰も声を上げない。


辞めるという英断も必要なのではないだろうか。

そんな地域の状況を見ても、危機感しかない。


その危機感こそ、命を守る行動に直結するのである。


命すら奪われる危機感を感じても、何も出来ず、追い詰められる苦しみも知っている。


クラスター発生した状況も目の当たりにした。

だから余計、感染拡大に神経質になる。


あの苦しみを重ねたくないという思いは、被災した地にもいい当てはまる。

震災からの被災。

立ち直らないまま、更なる被災の危機が発生している。


圧倒的な自然の力の前では、あまりにも無力である私たち。


政府がどんなに素晴らしい法案を通したとしても、災害が一度起きてしまえば全て覆される現実がある。


物価の高騰。食糧危機。自然災害。戦争。


これ程の力を持っていのるなら、あっけなく人類は簡単に滅ぼされかねない危機感を募らせる。


しかし、滅ぼしてなんの意味があると、逆に言われる様に、巡り巡って起きる現象から、学ぶことを神々は期待しているのである。


しかし、学べなければ罪穢れと共に流される。

淘汰される現状を受け入れなければなくなる。

人命尽くして天命を待つしか、残されていないのである。


それを痛感する


そして実際初七日となる日。


直接、対談もしている。

その上で本人に、桜井は解説した。


本人からも、諸天善神が次々と現れ、間違った国づくりをしたと諭されたと言う。


その中で生きているからこそできる戦いと、死してできる戦いがある。

最終的に目的が同じであれば、共に戦う意味があると説かれていた。


そのためにしがらみからの解放と、身軽になった事でできる次のステージが待っていると言う現実があった。


それをヒシヒシと感じる。



私は何ができるのか?

この状況で、どうやって活路を作るのか?


しかし、それはあまりに漠然としすぎて。規模が違いすぎて、眩暈しかしない。

それなのに駆り立てられる。

生き急ぐ様に、追い立てられる。


このままではいけない。


しかし、どうしたら良いのかわからないからこそ悩む。


天の動きに任せるしかないのかもしれない。

それでも巡ってくる困難を目の前に、諦めたくないと足掻く。


天に任せるしかなくて、死を持って自らの役目を果たす者もいる。

と頭では理解していても、感情が飲み込めないのである。


父の死も、今危機的な状況にある妹も。


明るく希望を持たせるだけ、訣別する未来は変わらないのなら、なんのために夢を見せる?


更なる絶望のためかと、詰め寄りたくなる。


しかし、それほど重ねた罪は大きい。


私1人が何かできることなど、決まっている。


そうなんだ。

絶望と希望は隣り合わせで、常に決断を委ねられる。


更なる困難を前に、危機感しかない。

それでも人として、生を受けた限り生きなければならない。

理解している。

それでも闇に囚われそうになる。


それは自分の弱さ。

余裕のなさ。

充分知っているはずなのに、忙しさや過度なストレスが、身を削ぐ。


あれも大事、これも大切とばかり多くを持って、何かを得ることなど不可能に近いのに、過去にしがみつく心。


そして命の危機を感じ、自然の圧倒的力を魅せられた時、人のありがたみや命があることに感謝できる状況。


その一方で災害が一部限定されたところで、繰り返され被災。


体力資金状況的にも追い詰められているリアルが、あまりにも遠い出来事の様で、届いていない。


いや、想像ができないのである。

経験したことのない現状は、私のキャパを簡単に超える。


それでも突きつけられる。

現実として、何ができるか。


何もできないかもしれない、届かない声かもしれない。


それでも叫ぶしかない。

私は逃げない。諦めない。戦う。


いつか穏やかに…まだ見ぬ仲間と共に手を取り合える未来を想像する。


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