苦難を生きる

等身大のリアルを綴ると決めたから、良い話ばかりでなく、苦しみもまた伝えなければならない。


何故なら、私は生身の人間だから、つまづき悩み、心をざわつかせ落ち込む。

いつも希望に満ち溢れているばかりではなく、リアルがある。


2022.6月3日

要子の入院をどうするか主治医と相談する日であり、午後から田辺に会う予定があった。

見える未来を回避するための、リアルガツンをしにいかなければならなかった。


しかしその朝、要子とのやりとりでプツンと何かが切れた。


「もう無理、わからない…もう無理、わからない」という言葉しか頭に浮かばないほど私は混乱。


感情もなくなり、ただその言葉を呟くしか出来なくなった。

自分が何者なのか、何のために生きているのかすら、何もわからくなくなった。


本当に何もわからないのである。


そんな状況は容易に1時間以上経過し、病院に向かわなければならなかったが、車を運転する気力すら正直なくなっていた。


その時、桜井の言葉を思い出す。

何かあったら、南無妙法蓮華経と唱えてくださいと。


呟きが止まらないまま、その呟きの言葉を替えるように意識した。


それからいくらほど時間を必要としたのかさえ覚えてはいないが、徐々に本来の自分が戻ってきたのである。


そんな出来事から逆説的に、田辺に会いに行くことを拒む存在があるのだと理解し、むしろ妨害される程正しいということに確信を持った。


そして久しぶりに田辺に再会した。


その中で近況として、カクヨムやアメブロに書いてきた内容を伝えた。

以前からこの話しはしており、田辺は知っているはずではあるものの、改めてURLを求められた。


その上で他の友人と一緒にアトラスラジオを聞いて知っているはずなのに、最近見ていないと嘘をつかれたのである。


その嘘は田辺が自ら、一緒に観た友人と私が話す場を作ったことで発覚した。


そんな背景からも、簡単にその場で嘘をついてしまうことすら、田辺には日常であるんだなと少し残念に思った。


そして、前回の記事となった経緯があった。


その影にはマインドコントロールとなりうる催眠が作用していた。

『絶対的な幸福感』これこそ、間違いの始まりである。


その幸福感とは、誰かが作るものでは無く、自分が築きあげるものである。

そして幸福感に満足してしまったら、その魂は成長を止めるのではなかろうか?


それを我々メンバーは心配していた。

田辺はそのマインドコントロールとも言うべき術を「魔法」と呼び、得意気にうそぶく。


果たして、本当に大丈夫か?


しかしどんなに疑問を抱いたとしても、田辺と話をしているうちにその疑問すら、自分の中で消えてしまう。


田辺は完全に信頼関係の上に成り立つ、【ラポール】という空間を作ることを得意とする。

普段からその術を使っている田辺だからこそ、我々ですら術中にはまれば気づけないのだ。


そして「いただきもの」と言って、田辺はとある美術品を見せてくれた。

私がその美術品から感じたものは【小鬼】。


しかし、高価なもので価値あるものだと田辺に説明されているうちに、そうなんだろうなぁに変わっていった。

でも何か感じる違和感。


工芸作家でもあるはずの私が、自分の感覚に自信が持てなくなり、麻痺する。


私は目利きができる相手として、是宮、桜井、要子にその画像を個別に見せた。


3人はそれぞれ【呪物】と口を揃えた。


しかし、私は何も感じなくなっていた。



田辺はいつも私の重要な位置に居た。

そして大切な仲間に変わりはないし、人として様々な一面があって当然である。


しかし、人を救うとまで宣言してしまい、自分の役目として知識を広めなければならないと悟りながら、正しく機能しなければ、結果ガツンとされても仕方ない現状がある。


だが気づいていなければ、何も行動しなければ、罪にならないのかと言ってしまいたくなる私もいる。


その問いに対して桜井は、「法は知らざるを許さず」と言う。

つまり、知っていようと知るまいと、法に背く行いは罪に当たるのだ。


人である以上、欲もあるし完璧にはなれない。

だから【神】ではなく【人】なのである。


天才か、凡人かと問われるなら、間違いなく田辺の才能は前者だろう。

多くの人に尊敬され愛されるほどの存在であるからこそ、起きてしまう悲劇として、私は認識した。


話す多くの中に、ヒントとなる部分、答えとなる部分を伝えた。

しかし、その多くは田辺の中には残ってはいないだろう。

何故なら人は情報量があまりに多すぎると、流してしまうからだ。


そして巡り巡ってこの記事を見る時、改めて仲間の想いとガツンとされる未来となる。


今の田辺が知り得ない、神の存在、宇宙の意味を自分の知識に擦り合わせるため、たどり着くだろう。

自分が必要なタイミングで、おそらく田辺はこれを目にする。


どんなに救おうとしても、それを望まない者には意味を持たない。

しかし、心から求めた時、変わるはずであると私たちは願わずにはいられない。



2022.6.5

神社を参拝した途端、光の存在が大勢の輪となり、そして法華経の題目を唱え始める。

『南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経…』


大合唱にも似たその声は脳裏に響く。

やまない声は参拝したのち、帰るまでずっと続いていた。


その日の朝、目が覚めると首にケーブルが巻き付いていた。


スマホの充電ケーブルではあるものの、一歩間違えれば自死として警察が自宅に入りかねない案件だった。

はっきり言って、洒落にならない。


そして時計の画面のガラスが割れた。

大切なものから犠牲になる。


時計の被害はこれで三度目である。画面割れが二度。

そして動かなくなった時計を、修理に出すと小さな打撃痕が金属部分に無数に付いている。


もちろん、そんな使い方はしていない。

しかし事実として、現れていた。


盛んに霊障案件が起きていた時期である。

身代わり的に壊れたことを悟ってから、身を守るアイテムという認識に変わっていた。


そして再び壊された時計。

一年もまずもたない。

そんな現状でも、私はありがたいと思わなければならない。 


しかし、その日の自分は怒りに呑まれていた。

周りの全ての事象に腹を立てていた。


そして帰りの参拝で諭される。

同日是宮は瀬織津姫の神社を参拝していた。


私はいつも寄る神社で神の声を聞く。

「感情は捨てなさい。そのために我々がいる。穢れ、感情を流すのです」


それは瀬織津姫の役目であり、その神社の脇に小川が流れる。


おそらく感情のまま、行動をしている先は足元を取られる未来しかない。相手の思うツボである。


そう、冷静になろうとした。

しかし、冷静になればなるほど今度は落ちる虚しさに支配される。


怒りというパワーがあった方がまだ、良かったのかもしれない。

怒りは全ての原動力になるから。


しかし、事故につながりやすいし、暴走しやすい感情でもある。

冷静さを欠くからである。


2022.6.7空を分断するような雲を見た。要子は6.2に夕方見ている。


もしかすると大きな地震が起きる可能性もある。


そして更なる試練がやってきている。それについては、次に書いて行こうと思う。

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