帝国陸軍無線探査隊の戦い

土田一八

第1話 とある電波戦

 第二次世界大戦中の中国大陸にある都市。帝国陸軍憲兵伍長である私は通称第六班と呼ばれる無線探査隊に所属し見えない敵と戦っていた。今夜も怪しい電波が発信されていないか部下二名を連れ、電波測定任務に励む。

「憲兵隊です。電波測定の為、城壁に上がります」

「どうぞどうぞ。ご苦労様であります」

 歩哨所の兵隊に声をかけてから城壁に登る。歩哨の兵隊は特に怪しむ事もなく呑気に挨拶をする。が、私と部下は軍服ではなく中国人と同じ中国服を着ている。我々は本物の日本軍憲兵だからいいが、これが日本語の達者な敵工作員だったらこんな間抜けな歩哨所などイチコロであろう。そんな無用な心配をしながら階段を上る。大都市の城壁なだけあって結構な段数を登る。おまけに照明や手すりなどという気の利いた設備は無い。ゼーハーしながら階段を登り切り城壁の上に出る。鐘楼は避けてレシーバーを頭に付けラッパのような形をした鑑査機で電波を探る。鑑査機は割と重いので憲兵兵長と憲兵上等兵が交代で持つ。コードは長いが三人まとまって歩く必要があった。


 正式名称無線探査隊。第六班という通称名はスパイを指す“第五列”を越える存在という意味らしいが、いわゆる“女の第六感”から拝借してきたという話を聞いている。私と部下は歩いては立ち止まって電波を探し求める。だが、聞こえてくるのはラジオだったりする事が多いのだ。我々が探し求めるのはモールス信号である。あの、けたたましいピー音だ。モールス信号は1分間で送れる文字数は大体多くて百二十字程度なので大概は音の短い略数字を暗号に用いて通信する。人間が打電する場合、機械通信と違って打ち手の癖が生じてくる。流れるようなリズムのモールスだったり途切れ途切れの聞くに堪えないモールスだったり(書き取る場合は楽であるが)する。機械打電は常に一定のリズムであり無機質な旋律となる。


 今夜も空振りかと思われた時、モールスをキャッチした。

「止まれ!そのまま!」

 ラッパ管を持っていた憲兵兵長に命令する。鑑査機本体を持つ憲兵上等兵も立ち止まる。私はレシーバーから聞こえるモールスを聞き取り一心不乱にメモ書きする。モールスはやはり略数字だが、時折アルファベットが挿入されている。この電波は当たりかもしれない。電波の発信は数分で止んだが、おおよその方角は判明した。私はレシーバーを外し地図を取り出しておおよその見当をつける。

「ラッパ管の向きからして外国人街だな」

 スパイがアジトを構えるのにうってつけだ。その後、私達は大急ぎで隊本部に戻った。


 翌朝、私は上官である憲兵中尉に報告する。

「よくやった。メモ書きは解析班に回す。分隊長殿に報告しよう」

 憲兵中尉は喜んで分隊長に報告した。

「分隊長殿も喜んでおられた。解析班によればソ連系らしい。引き続き探査活動を続行するが組を増やす」

 その日から探査班が増やされて発信場所の特定に動き出した。


 外国人街は普通の街路区と異なり大きな邸宅やアパートが建ち並ぶ閑静な場所だった。軍服ではやはり目立つので便衣(私服)で行動するがこういう場所では中国服も割と目立つから背広や平服を活用する。街路を行動するには洋車という人力車を使って電波探査を行う。この場合は二人一組となって車夫役が中国服、客役が背広や平服を着るのだ。こうして地道な活動が始まった。


 私が客役、憲兵上等兵が車夫役となった。洋車は街路をくまなく走る。が、必ず電波が受発信されるとは限らない。初日は成果なしだった。


 それから数日が経過して再びモールスを捉えるのに成功。探査班が洋車を走らせて特定を試みるが不成功となる。電波が出るのはせいぜい数分なので仕方ないのであるが次の機会を待つしかなかった。ただ、電波を出す時間がほぼ同じだった為、この時間を中心に探査する事になった。その結果数日おきながらもほぼ決まった時間帯に通信を行っている事が判明。区画もだんだん絞られて来た。

 それからは探査活動と並行して区画内の人の出入を四六時中監視する。

「今夜は通信がある筈だ」

 憲兵中尉が呟く。今夜の通信でほぼ特定されるだろう。

「来ました!」

 結果、四つ角の赤い屋根の家である事が突き止められた。

「この家はポーランド系ドイツ人の家という事になっている」

 報告を聞いた憲兵中尉は渋い表情をする。

「分隊長殿に相談しよう」

 という事になって監視は続行する事になった。さすがに同盟国の民間人の家という事が慎重姿勢をもたらせているようだった。戦時中とはいえ、一歩間違えば国際問題になりかねない。報告は分隊から第六班本部を経て南京の憲兵司令部まで上げられた。その結果、上海からドイツ親衛隊将校が派遣される事になった。突入は次の通信予定日とされた。


 いよいよ突入予定日になった。これまでの所、変わった様子はなかった。


 全体作戦会議が分隊にある会議室で行われた。概要を憲兵中尉が説明する。

「建物は、四つ角にある木造二階建ての庭付き民家。塀は板塀でそのままでは、外から中を見ることはできない。玄関は庭の方にありこの部分である。勝手口はこちら側の道路に面している。窓はこことここ、後、ここ。母屋の側に大きな木がありこれが通信塔の代わりを果たしているらしく枝に電線が通じているのを確認してあるが電信機の設置場所までは特定されていない。地下室がある事も想定する。居住人は、届出上ポーランド系ドイツ人でハウル カマンスキー、マリア カマンスキーという若い夫婦。子供はいない。使用人は三人おり、いずれも中国人女性である。いずれも住み込みだ。自家用車は黒のベンツ。庭先の車庫に収まっている。突入隊は玄関が本隊、勝手口を別動隊が突入する。警戒隊は塀の陰に隠れ、監視隊はこことここに配置する。突入予定時刻は22時30分。捜索令状は自分が、ドイツの身分証明書の検分はホーネッカー親衛隊大尉が担当する。何か質問は?」


 22時20分頃。いつもの通信が始まる。補助憲兵も動員した各隊は音も無く既に配置に付いている。しかし、何故か今夜は通信が長い。傍受班によれば発信ではなく長文を受信していると報告が入る。分隊長は発信者に怪しまれないように受信が終わるのを待って突入する事にした。が、暇つぶしで鑑査機を操作していた私はいつも飛んで来る電波の方向がまるっきり違う事に気が付いた。いつもならソ連の方角である北西方向から飛んで来ていたからだ。

「分隊長殿!この電波は敵の策略であります‼」

 私は叫んだ。

「何だと⁉」

「この電波はソ連とは逆の南の方向から飛んで来ているであります‼」

「くそっ‼各隊、突入しろ‼」


 ドンドンドン!


 憲兵中尉が玄関ドアを激しく叩くが応答はない。煙突から煙が出て電気は付いているが人の気配が感じられない。

「蹴破れ‼」

 玄関はビクともしない。勝手口の別動隊が蹴破って中に突入する。しかし、中はもぬけの殻だった。捜索すると焼かれた乱数表やら呼び出し符号一覧表などが暖炉から発見された。

「電信機もある筈だ!」

 このタンスが怪しい。1階を捜索中だった憲兵中尉はそう思って補助憲兵に命じてタンスを移動させる。すると隠し扉が現れた。

「行くぞ!」

 憲兵中尉は拳銃を構えながら階段を降りて地下に行く。憲兵が後に続く。地下室のドアを蹴破って中に突入する。そこには壊された電信機が残され、奥の方には半開きになって開いていたドアがあった。


 結論から言うとスパイに逃げられた。奥のドアは下水道に繋がっていてそこから城外に脱出したようだった。みんながっかりしていたが、ホーネッカー大尉だけはあまり落胆していなかった。いや、そのように見えた。



 昭和から平成になりベルリンの壁が崩壊。東西ドイツは統合されて再び一つのドイツになった。私はテレビを見た時、腰を抜かした。髪の毛は薄くなってすっかり老け込んだ黒縁眼鏡をかけた老人だったが、何となくではあるがあの時の親衛隊将校の面影があるのに気が付いた。

「中尉殿!すぐテレビをつけてニュースを見てください」

 急いで私は憲兵中尉の家に電話をかけてそう言った。たまたま本人が出たので簡潔に言えるのは好都合だった。

「これってあの時の親衛隊大尉だよな⁉」

 憲兵中尉も驚いた様子であった。

「そうです!」


 テレビの画面では、東ドイツの国家主席だった人物が証言台に立たされていた。


 その時、私はある情報を思い出していた。上海で活動していた班からの報告では親衛隊将校が不審な行為をしているという疑惑が浮上していた。そして、それを裏付ける出来事が後日発生した。ナチスドイツが無条件降伏した途端、姿をくらませたのだ。そして、ソ連系電波の活動も変化の兆しがあった。


「あいつ、共産主義者だったのか」


 それなら辻褄が合う。共産主義革命はロシアに先を越されたが歴史的にドイツは共産主義者のメッカだった。資本論を著したマルクスとエンゲルスはドイツ人である。


 我々は戦争での電波戦には敗れたが、外交戦での電波戦に於いて彼は敗北したようだ。ある風からの報告によれば、戦時中のスパイ活動がソ連に評価されて東ドイツの幹部となり国家主席まで上り詰めた。戦時中の任務はソ連のスパイを日本軍憲兵や特別高等警察から守る事だったとか。


 第5列を第6列から守る任務とは……。それこそ第六感を極限まで働かせていたのだろう。私はそう思いながら若い頃の思い出に浸った。


                                完

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