四万ゾーラのアレン少年
塔矢はハーピーの羽休め亭の三〇一号室に帰った。
そして、そこで見たのは、ハーフルフの奴隷、クロエとどこか見覚えのある右腕が折れた男の子の奴隷だった。
その男の子はボロボロの貫頭衣を着ている。
全く意味が分からない。こっちはジョン山田との戦いで疲れているというのに……。
椅子に座る塔矢と、正座するクロエと男の子。
クロエは気まずそうにもじもじとしている。男の子は反抗的だ、塔矢から顔を背けている。
塔矢は現実逃避するように窓の外を見る。外はもう暗い、なぜなら深夜なのだから、眠気もある、今すぐ寝て、明日の自分へ問題を先送りにしたいが、そうもいかないだろう。
「で、何があったんだ?」
塔矢はめんどくさいが質問をした。
†
時は塔矢が三〇一号室を出発した今朝にさかのぼる。
部屋に残されたクロエの前には、数枚の紙幣とノー・トリック・リボルバー、それと『サルでも分かる魔術書』という教材がある。
「とりあえず勉強をしますか」
クロエは椅子に座り、サルでも分かる魔術書を読み始めた。
数時間かけて本を読み終わったクロエは、サルでも分かる魔術書を閉じる。
「魔術には主要術式と補助術式があるということが分かりました」
浅い理解だ。
クロエはノー・トリック・リボルバーを見る。
軽くだが魔術を学んだのだ。今なら使えるかもしれない。
彼女はノー・トリック・リボルバーを両手で握り、適当に照準を定める。
「射撃術式、構築」
ノー・トリック・リボルバーの前面に魔法陣が展開された。
銃口の先には塔矢が気まぐれに置いたサボテンがある。ここで撃ち抜くわけにはいかない。
彼女は射撃術式を消して銃口を下げた。
そして彼女は思い出す。
サルでも分かる魔術書を読み終わったら、新しい魔術書を買い、余ったお金は好きにしていいと、塔矢が言っていたことを。
クロエはエプロンと三角巾を外して姿見鏡を見る。
白いブラウスに黒いズボンと遊びのない服装。
彼女は耳にかかる黒い髪をかきあげる。ハーフエルフの人より長い耳がピクピクと動く。
「耳でハーフエルフとバレると、面倒なことがあるかもしれません」
クロエは深い青のレトロなマントを羽織り、フードを被る。
これで長い耳が見えなくなった。
最後に太ももにレッグホルスターを巻き、銃を装備した。
耳は隠した、武器も身につけた……これで安心して外に出れる。
クロエは外出した。
†
「なるほど、俺がいない間に『サルでも分かる魔術書』を読み終わり、外出したのは分かった。……それからどうしたんだ?」
正座しているクロエの弁明を聞く塔矢は、行儀悪く机に片肘をついて続きを聞こうとした。
クロエは机の上にある数冊の魔術書を示す。
「それからご主人様がくれたお金で魔術書を買いました。そして、残ったお金でこの少年を買いました」
「なるほど。…………いや、全然、分からないな」
そう言って塔矢は詳しく話を聞くことにした。
†
ムネーナ街にある寂れた魔術書店からクロエが外へ出る。
彼女は買ったばかりの数冊の魔術書を抱えていた。
魔術書を抱えて歩くクロエは、路上販売されている奴隷たちを見た。
大人から子供まで様々な奴隷がいる。
その中には、クロエが塔矢に買われた日、奴隷商人に殴られていた男の子の奴隷もいた。
そして、今日もその奴隷商人、路上販売のダンは男の子の奴隷に八つ当たりをしていた。
「今日も売れ残りやがって! このクズが!」
ダンは男の子奴隷の右腕を踏みつけて折った。
「があああああ!」
男の子奴隷は悲鳴をあげる。
その様子を見ていたクロエは路上販売のダンに話しかける。
「すみません、その少年を買ってもいいですか?」
ダンはクロエを見る。
「お客さんは……」
彼の視線がクロエの首輪へ向く。
その首輪はアーティファクト、ここら辺で扱っているのは奴隷ショップ『エデン』くらいだろう。
「そうか、お客さんがあの時のお兄さんが買ったハーフエルフですかい」
クロエはダンの言葉を聞いて、フードを深く被り直しハーフエルフの特徴的な耳を隠す。
クロエは警戒するようにダンを見る。
ダンは弁明する。
「そんな警戒しないでくだせー、お客さんのご主人様に奴隷ショップ『エデン』を紹介したのが俺ってだけですぜ。……それでエデンのカスパー殿から、俺が紹介したお兄さんがアンタみたいな上玉のハーフエルフを買ったと聞いてね、……いやーあの日はカスパー殿からご褒美ももらえてラッキーでしたぜ。…………安心してくだせー、流石の俺もハーフエルフだからと言って、エデンが売った奴隷に手を出す気はありやせん、エデンの顔に泥を塗ったとあっちゃ、ここでの商売もできなくなりやすから」
クロエは警戒し続けながらも聞く。
「そうですか……それでそこの少年は売っていただけますか?」
「いいでっせ……それにしても、欲しいのは本当にこのガキですかい?」
そう言ってダンは、男の子奴隷の首輪を引っ張る。
男の子奴隷は、苦しそうに咳き込む。
「はい、その子がいいです」
「腕も折れているから安くしやしょうか……四万ゾーラでいいかい?」
それは塔矢が犯罪国家ベルムハイデに来た日、ダンが提示した値段と同じだった。
路上販売のダンは卑しい男だった。
クロエは残金を確認する。
「……もう少し安くなりませんか?」
†
それからクロエは値切り交渉をして、なんとか男の子奴隷を買うことができた。
そして今は、ハーピーの羽休み亭へ帰っている。
隣には当然、男の子奴隷がいた。
クロエは男の子奴隷に話しかける。
「私はクロエです、君の名前は?」
男の子奴隷はクロエを見上げたが、すぐに顔を背けた。
「……アレン」
「そうですか、いい名前ですね」
クロエの言葉を聞いたアレンは、左手の指で頬をかいた。
「実は一週間前くらいにアレンのことを見ていたんです。……あの時、アレン君が暴力を振るわれているのを見ていたのに、私は助けなかった」
「別にいいよ。この国では自分の身は自分で守るのが当たり前だから」
クロエとアレンはハーピーの羽休み亭に着いた。
三〇一号室へ行く二人に宿屋の女将が話しかける。
「ちょっとアンタ、その子もうちに泊めるのかい?」
「はい」
クロエは答えた。
「なら奴隷は一泊二〇〇〇ゾーラだよ、忘れてんのかい?」
「あ……」
クロエは人が増えると宿泊料がかかることを忘れていた
女将は呆れたようにため息を吐く。
「はあ、今日は勘弁してやるから、もう部屋へ入りな。……そして、お前のご主人様とどうするか相談しな」
†
塔矢は机から肘を離した。
「……なんでクロエさんはアレンを買ったんだ?」
「それは……放っておけないと思ったからです。それにご主人様は余ったお金は好きに使っていいと言いました」
塔矢は、はあーと深くため息を吐き、今度はアレンを見る。
アレンはまだ塔矢から顔を背けていた。
「おいっ、こっちを見ろ、オラ」
アレンは嫌そうな顔で塔矢を見た。
「アンタ俺を見捨てただろ。一週間前、俺を買わなかったし、奴隷商人に殴られる俺を助けなかった。……それに奴隷を買う大人にろくな大人はいない」
「どうしろっていうんだ?」
そう言った塔矢は、クロエに聞く。
「クロエさんって何歳?」
「二十歳です」
「年上なのかよ。……おいアレン、大人のクロエさんは奴隷のお前を買ったわけだが、こいつもろくな大人じゃないってことだよな」
塔矢は大人気ない屁理屈をこねた。
「違うよ、アンタと一緒にすんなバカ! クロエ姉ちゃんはそんなんじゃない」
――このガキっ……。
塔矢は頭にきたが、子供の言うことだと、なんとか冷静になろうとする。
「事情は分かった、宿泊料は払うからアレンもここに住んでいい、でも次からは事前に確認しろよ」
クロエは頭を下げる。
「ありがとうございます、そしてすみませんでした、次からは気をつけます」
「あ? 俺はここに住むなんて一言も言ってねーよ!」
文句を言うアレンの頭を塔矢は抑える。
「うるせぇ、奴隷なるような子供だ、どうせ帰るところなんてねえだろ。……だからしばらくここに泊まっていけ」
「俺にだって帰る場所くらいあるから!」
塔矢は暴れるアレンをクロエへ渡す。
「クロエ、とりあえずアレンを風呂に入れて、きれいにしてくれ」
「かしこまりました」
クロエはアレンを風呂へ連れて行く。
「おい! 舐めんなよ、風呂ぐらい一人で入れる! ちょっ……服を脱がすな!」
浴室からアレンの絶叫が聞こえるが、塔矢は無視した。
「寝るか」
寝室へ行き、ベッドに入った。
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