殺戮の魔術師のモルデファルクス
「まさかアンタが殺戮の魔術師だったのか? 風格がなさすぎて気づかんかったわ」
塔矢が言う通りだ。
クリームシチューを食べていた男はの見た目は普通すぎた。
どれくらい普通かと言うと、山田太郎、ジョン・スミス、ハンス・シュミットというありふれた名前をしてそうなくらい普通の男だった。
「この店での暴力行為は控えるように……このムネーナ街に住む人間なら、どれだけ品がない馬鹿でも知っていることだったのですが、さらなるお馬鹿さんが現れるとは……」
男は口元を紙ナプキンで拭いて、椅子から立ち上がる。
「悪いな……内戦が文化のベルムハイデよりかは、常識的な国から来たんだが、この店でのルールについては知らなかった。でも許してくれよ、先に殴りかかってきたのは、そこに転がっている乳離もできていない男だぜ」
塔矢は頭にミルクをかけた男を指差した。
「そう仕向けたのは君だろ」
そう言って男は塔矢を観察し、最近聞いた噂を思い出した。
「最近このムネーナ街で、辻斬りまがいに強者を襲う愚か者がいると聞きました。それもムネーナ街、もしくはベルムハイデ国内に影響力があるものばかりをターゲットにしているとか……。特徴は黒髪黒目、妙に目を惹く腕時計の割に安っぽいロケットペンダントを首からかけているそうです。……噂通りの特徴だ」
「辻斬りだなんて失礼だ。……別に俺は問答無用で襲っているわけではないぜ。……なぜか俺が用件を伝えると断られ、襲われるから返り討ちにする。それが真実だというのに」
心外そうに首を振る塔矢に男は聞く。
「ならば要件を聞こう」
「近々このベルムハイデに冒険者ギルドの支部を建てるつもりなんだが、その邪魔をしないでほしい。……用件はそれだけだ」
塔矢の用件を聞いた男は、クックックって小馬鹿にした笑いをする。
「君が襲われた理由が分かったよ。……当然私も答えはNOだ。このベルムハイデには兵器会社、マフィア、宗教団体など、様々な組織がいますが、冒険者ギルドがそこに参入するとその勢力図が崩れ、下手すれば大規模な抗争が起こる。……まあ、別に抗争はいいんですよ。組織同士で勝手にやってろって感じです」
「なら何が気に入らないんだ?」
「外部からクエストを受け冒険者にクエストを委託する、その冒険者ギルドの事業が気に入らないのさ。……私は殺戮の魔術師の異名通り、人を殺すのが得意です。だから殺人の依頼を受け人を殺し生計を立てています。しかし、冒険者ギルドなんて組織ができたら私の仕事が減るでしょう」
「ならアンタも冒険者になってクエストを受注すればいいだろ」
塔矢の提案を殺戮の魔術師は拒否する。
「それは嫌です。なんのために私のような優秀な魔術師がベルムハイデのような危険な国にいると思っているんですか? 自由だからですよ。……それなのに冒険者なんて型にはまった職につくなんてナンセンスです」
「冒険者ほど自由で多用的な職業はないと思うけどな」
「だとしても、ピンハネされそうなので冒険者の仕事はしたくありません」
「ピンハネは言い過ぎだろ、必要な手数料をもらってるだけだ。それに冒険者だからこその恩恵もうちの会社は用意している」
「その恩恵とやらが、この荒廃したベルムハイデで役に立つとは思えないですけどね」
殺戮の魔術師の言葉に塔矢は言い返すことができなかった。
たしかに、冒険者ギルドから冒険者へ与えられるギルドポイントは商品券やクーポン券と交換できるが、それは冒険者ギルドと提携している企業があるからできることだ。
残念ながらベルムハイデに(株)冒険者ギルドの提携企業はない。
「そういうわけで冒険者ギルドを邪魔だと思う私は君を殺そうと思う」
「おいっ、殺意高くねーか?」
塔矢のツッコミに殺戮の魔術師は言い返す。
「絵の才能を持つものが絵を描く。料理の才能を持つものが料理をする。殺しの才能を持つものが人を殺す。自分の才能を活かしたいと思うのは人間の性質です」
「……いいぜ、殺し合いは俺も望むところだ、逃げはしない。でもいいのか? 遠距離での戦闘を得意とする魔術師が店内という閉じた空間、それもこの距離で戦うなんて……お前の不利は明白だ」
そう言って塔矢は拳を握り構える。
「それはどうですかね、魔術師だからと言って、近接戦闘ができないとは限らない」
そう言った殺戮の魔術師も戦闘準備を開始する。
彼の体からまがまがしい魔力が溢れ出し、塔矢を威圧する。
しかし、塔矢より怯えたのは、店内にいる他の客たちだった。
「やっべー、あの人今からここで戦うつもりか?」
「巻き込まれる前に逃げるぞ!」
「あの人の魔術は掠っただけでも死んじまう!」
酒場から外へ逃げる男たちは、店内は伽藍堂、閑古鳥が鳴いている。
静かな店内で殺戮の魔術師が唱える。
「殺人術式を構築、起動」
そう呟いた彼の背後に巨大な魔法陣が出現し、回転を始める。
殺戮の魔術師、彼の戦闘準備も整った。
「殺人術式については知っていますか?」
塔矢は答える。
「ああ、知っている。魔術師狩りが横行していた時代に開発された古臭い魔術だろ。そして、その効果はシンプルかつ強力で相手は死ぬ。……しかし、殺人術式の使い手と戦った経験もあるから、その弱点も当然、知っている」
「そうですか。……君が弱点を突く前に勝負がつくかもしれませんから、冥土の土産に自己紹介でも済ませておきましょう、私はジョン山田です」
ありふれた名前とありふれた苗字のありえないフルネームに塔矢は思わず確認する。
「……冗談か?」
「本名です」
「……そうか、俺は周防塔矢だ」
…………。
ジョン山田は魔術を発動する。
「
彼の手元に殺人術式で作られた漆黒の大鎌が生成された。
大鎌から黒い瘴気が溢れている。
「死にたくないなら避けることをおすすめします」
そう言ってジョン山田は、塔矢へ走り寄る。
大きく振りかぶった大鎌が高速で、首を斬り飛ばすように振られた。
自身に迫る大鎌。塔矢はとっさに屈んで避ける。
ギリギリだった。毛先にかすり、塔矢の髪の毛が数本落ちる。
――魔術師にしては速いな。
ジョン山田の実力に塔矢は驚きで目を見開いた。
一振り目を避けた塔矢に二振り目の大鎌が襲いかかる。
引き戻されるように振られた大鎌の刃を後ろに下がり避けた。
しかし、ガタッ、と塔矢は何かにぶつかった。。
背後には木製の古いテーブル、これ以上は下がれない。
「狭い店内が仇になりましたね」
そう言ってジョン山田は大鎌を振り下ろす。
迫る大鎌の刃先を見た塔矢は、テーブルの下に転がり避けた。
真っ二つに割れたテーブルの木片が宙を舞い、大鎌の刃先が床に食い込む。
――チャンス!
塔矢はテーブルの木片を掴み、ジョン山田の顔へ投げる。
首を傾げて避けるジョン山田へ塔矢は疾走し、拳を握り……。
――入る!
塔矢はそう思ったが、ジョン山田は早かった。
彼は素早く大鎌を床から抜き、縦横無尽に振り回した。
ヒュンヒュンと風を斬る音が鋭い。
器用に手で回転させながら振り回される大鎌は、まるで刃の結界だ。
避けられる斬撃の密度ではない。塔矢は思わず後ろへ下がる。
無数の斬撃は酒場内の家具を細切れにした。
宙を舞う木片の嵐の中、塔矢は塵に紛れてジャンプし、天井に足をつけた。
頭上という死角からの攻撃を狙う動きだ。
しかし、塔矢が振り下ろした拳はジョン山田に避けられ、床を破壊するだけとなった。
一見、無防備な塔矢に殺人術式の大鎌が襲いかかる。
――言っただろ、殺人術式の弱点は知っているって――
勝利を確信していたジョン山田は、塔矢の不穏な呟きを聞いた気がした。
――リアリティコントロール、強化!
自身に迫る大鎌を前にして、塔矢は心の中でそう唱えた。
リアリティコントロールとは、異能、魔術、闘気のいずれかを一つでも使える者ならば、必ず持っている力だ。
その効果は、自身を含めた周囲の状況を維持すること。
分かりやすく言うと魔術や異能の耐性。
つまり、かけられた魔術より強いリアリティコントロールを維持できれば、魔術を無効化することができるのだ。
そしてそれは、この状況も例外ではない……。
ジョン山田の大鎌が塔矢の体に刺さり、遠慮なく振り切られる。
しかし、ジョン山田は困惑した。
――命を刈り取る感触がないだと。
塔矢のリアリティコントロールが殺人術式の魔術を防ぎきったのだ……。
殺人術式の魔術は、対象にヒットし効果を発揮する際、人体に物理的なダメージを与えることなく、ただ死という概念を植え付け絶命させる呪いだ。
つまり、魔術効果の死の呪いさえ無効化することができたなら、血を流すこともなく無傷で乗り切ることができてしまう。
それが塔矢が言う殺人術式の弱点だった。
ジョン山田の【
体勢を崩すジョン山田に塔矢は横蹴りを放ち、鳩尾に命中した。
グエッ。
汚く咳き込むジョン山田が壁まで吹き飛び激突する。
手放された大鎌がカランコロンと金属音を鳴らして床に転がり、最後には黒い粒子となって消える。
発動中の魔術を維持できないほど、ジョン山田が追い詰められている証拠だ。
塔矢はとどめを刺すために、崩れ落ちそうになるジョン山田の後頭部を片手で掴む。
なかなかの握力だ。
「クリームシチューが好きなんだろ? 皿を舐めるほど楽しませてやるよ」
戦闘中、ジョン山田の大鎌が縦横無尽に振るわれたため、酒場内の家具はぐちゃぐちゃだ。彼が食べていたクリームシチューの皿も床に転がっている。
奇跡的に割れてはいない。
塔矢はその運が良い無傷の皿にジョン山田の顔面を叩きつけた。
割れる皿、木製の床にめり込む頭。
――勝負は決した。
そう判断した塔矢は、ジョン山田から手を離し立ち上がった。
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