殺人術式とエネルギー変換補助術式

 塔矢は軽くズボンの埃を払い、酒場の外へ出ようとする。


 しかし外へ出る直前、塔矢は足を止め振り返った。


「……魔術師というのは、打たれ弱いものだと思ってた」


 塔矢がそう言った理由は……。


 倒れているジョン山田の頭上に魔法陣が現れ、回転を始める。

 彼は床に手をつき立ち上がった。

「間違いではないですよ。魔術師の世界に回復魔術なんて都合が良いものは存在しない」


 ジョン山田の言っていることは正しい。

 基本的に、魔力というのは人体にとって毒である。

 毒薬変じて薬となる、と言うが魔術の世界では本当に薬になったりはしない。


 魔力とは、どうしようもなく人体にとって害なのだ。

 それは非魔術師より、魔力に耐性がある魔術師も例外ではない。

 だから魔術師を回復させる魔術も存在しないのだ。


「私のかっこいい顔が台無しじゃないか」

 ジョン山田は鼻血を乱暴に拭う。


 塔矢は呆れる。

「いや、あんたの顔はチョー普通。記憶に残らない薄い顔面だよ」


「これは君の顔も壊さないと気が済まないな。……大鎌で命を刈るモルデファルクス


 ジョン山田の手に再び、人の命を刈る大鎌が生成された。


 塔矢は指摘する。

「おいおい、またその魔術か。……近接戦では俺に勝てないと分かってるだろ。殺人術式には大鎌を出す以外の魔術もあるのに使わないのか?」


「ええ、近接は不利だと認めましょう、ですのであなたと距離を取るための術式を用意します」


 塔矢は警戒する。

――距離を取る……移動系の魔術でも使うのか?


「エネルギー変換補助術式を構築、起動」


 塔矢が初めて聞く術式だった。

 殺人術式の魔法陣の横に新しく魔法陣が出現する。


 エネルギー変換補助術式。

 おそらく、主要術式を補う補助術式の一種なのだろうと塔矢は予想した。


 主要術式とは実際に魔術を発動させる術式だ。殺人術式がこれに当たる。


 対して、補助術式は主要術式を補うために存在する。

 補助術式単体では魔術を発動することはできないが、補助術式で主要術式を強化し、発動させた魔術は強力なものも多い。


 ジョン山田は大鎌を持ち上げ、塔矢に迫る。


――リアリティコントロールを強化。


 ジョン山田の魔術の威力なら、塔矢のリアリティコントロールの防御力で耐えられる。


 そう判断した塔矢は、ジョン山田の攻撃を防いでからのカウンターを狙うことにした。


 ジョン山田はゴルフのスイングのように塔矢へ大鎌を振った。


 大鎌が直撃する直前、塔矢は直感する。

――あっ、これはヤバい。


 大鎌をに当たった瞬間、ドッカーン! とまるで大砲を撃ったかのような冗談じみた衝音が響き、塔矢の体は吹き飛んだ。


 そのまま塔矢は酒場のウエスタンドアを通過した、そして、向かいの建物へ激突し、建物を崩壊させる。

 建物がまるでジェンガのようだが、倒壊する音と地響きは遊びでは済まない。


 それにしてもナイスショット! 慌てる塔矢の顔は最高に間抜けだった!


 ジョン山田は塔矢へ追撃する前に、酒場のキッチンで顔を洗いタオルで拭いた。


 クリームシチューは好きだが、顔パックにするほどではない。


 そして、向かいの建物の瓦礫に埋もれた塔矢は、なんとか脱出する。


 砂ほこりだらけの彼は、苛立ち混じりに血の痰をぺっと行儀悪く吐く。


 彼は顔を上げた。酒場の屋根の上にジョン山田がいる。


「顔がさっぱりしたな、お前」


 塔矢が顔を洗ったジョンへ軽口を叩くと、ジョンは言い返す。

「君は汚れたな」


「殺人術式は物理的に人を傷つけず、死という概念を植え付ける魔術のはずだが、さっきのはなんだ?」

 塔矢はボロボロの自分を見下ろす。明らかに物理的なダメージが入っている。


「……殺人術式の効果は死を与えること、それは戦闘において決まれば勝ちが確定する、ある意味最強の呪いです。その最強の呪いを物理的な運動エネルギーに変換し、強烈なインパクトを生ませる。それがエネルギー変換補助術式です」


「最強の即死攻撃をあえて運動エネルギーに変換することで生まれる強烈な一撃か。……だとしても、運動エネルギーに変換されていることを踏まえた上で、対処すればいい。……なんて単純な話でもないか」


 塔矢の考えをジョン山田は肯定する。

「その通り、君は常に考えなければならない。何故ならば次も私がエネルギー変換補助術式を使うとは限らないのだから……次の攻撃は死の呪いの即死攻撃か、それとも物理的な運動エネルギーによる攻撃か、もしくはハーフ&ハーフの両方か。……そして君は選択しなければならない、死の呪いを防ぐか、運動エネルギーを防ぐか、両方を防ぐか。……選択を間違えれば、君は死ぬだけだ」


 塔矢は考える。

――リアリティコントロールのみで、殺人術式とエネルギー変換補助術式の組み合わせを対処するのは難しい。


 なぜならリアリティコントロールは、殺人術式の即死攻撃など、直接人体に影響する呪いのような攻撃には強いが、殴る蹴るなど物理的なダメージには弱いからだ。


 もちろん、全く物理攻撃を無効化できないわけではない、それでも呪いを無効化するように完璧に防ぐことはできない。


 徒手空拳だと勝てないと判断した塔矢は、自身の氷結系の異能【クリオキネシス】を使用することにした。


――異能クリオキネシス、発動。

 塔矢の体から冷気が漏れ、吐息が冷たく白くなる。


「冬茜」

 塔矢がそう唱えると、彼の手に細かく文字が刻まれた氷のナイフが生成された。


 異能で作られた氷のナイフを構える。


 酒場の屋根で塔矢を見下ろしていたジョン山田は嘲笑う。

「そんな氷細工で私の魔術に耐えられるか、試してみましょう……【お前を殺すモルヴラーク】」


 塔矢を指差して唱えた呪文。黒い死の魔力弾が塔矢を襲う。


 それを塔矢は氷のナイフ、冬茜で斬り払った。


 塔矢は内心で笑う。

――俺の異能クリオキネシスは、通常斬れないもの、例え魔力の弾丸であろうと凝固することで一瞬だけ形を与え、斬り裂くことごできる。


「面白い異能だ。……ならこの数は捌けるかな?」

 ジョン山田の背後に魔法陣が追加される。

「増幅補助術式、構築、起動」


 増幅補助術式については、塔矢も知っていた。それは発動する魔術の数を増やす効果がある。


「即死か穴あきチーズか……君はどんな死を迎えたい? お前を殺すモルヴラーク

 そう唱えたジョン山田から複数の死の魔力の魔力弾が放たれる。


 エネルギー変換補助術式も起動したままだ。死の呪いがかかった魔力弾と運動エネルギーに特化した魔力弾が入り乱れている筈だ。

 しかし塔矢にそれを判別する方法はない。


 複数の魔力弾が塔矢がいた場所に着弾し、砂煙が立ち上る。


 その砂煙の中から氷のナイフ、冬茜が投げ飛ばされる。


 ジョン山田は冬茜を大鎌で弾いて呟く。

「あれで死なないのか、しぶといな」


 一瞬だったため、ジョン山田は気がつかなかったが、冬茜には血が付着していた。


 砂煙が晴れる。

 中から出てきたのは、無傷の塔矢だった。


 それを見てジョン山田は不可解そうな表情をする。

「無傷だと?」


 塔矢が無事な理由は分からない。……しかし、ジョン山田は確かに見た、魔力弾の雨が着弾する直前、塔矢が冬茜で自身の左腕を突き刺したことを……。


 不可解で異常な行為だ。


 塔無傷でお前を殺す(モルヴラーク)の弾幕を乗り切った塔矢は、新しく異能の武器を作る。


「牡丹雪」

 塔矢は細かく文字が刻まれた氷の剣を生成した。

 氷の剣、牡丹雪から冷気が漂う。


「お互い、様子見は終わりだな」


「それはどうでしょうか? 異能力者の底は浅いですが、魔術師の手数を舐めないでください。……強化補助術式、構築」

 新たに魔術の威力を上げる魔法陣が現れる。


「我流凍結剣術、裂空斬!」

 塔矢はクリオキネシスで一瞬のみ凝固した空間を牡丹雪で斬った。

 それは文字通り、瞬きほどの瞬間を見逃さない修練の末の凄技だ。

 そして次の瞬間、塔矢が斬った空間の切れ目が広がり、ジョン山田まで伸びる。


 それをジョン山田は大鎌で防ぐ。

 彼の背後で無事に強化補助術式の魔法陣が起動を始めた。


「チッ」

 塔矢は舌打ちをした。

 ――魔術師に時間を与えてはならない、複数の術式を起動されると何をされるのか分からなくなるから。……セオリー通り速攻を仕掛けるか。


「冬茜」

 塔矢は異能で、氷のナイフを三本用意する。

 左手の指に挟んだ三本の冬茜を塔矢は投げた。


 当然のように冬茜は大鎌で弾かれる。


 その間に塔矢は疾走し、接近を試みる。


「安着な手です」

 そう言って屋根の上のジョン山田は、お前を殺すモルヴラークを発動する。

 補助術式で威力を強化し、数を増やした死の魔力弾だ。

 まるで機関銃で撃たれたかのような迫力。


 塔矢は直進をやめ、酒場を回るように走る。

 走った後の地面にお前を殺すモルヴラークが着弾する。


 塔矢は建物の陰に隠れた。


 魔術の弾幕が止む。

――新しく補助術式を追加しているのかもしれない。


 ジョン山田に時間を与えたくない塔矢は、建物と建物の間、二つの壁を交互に蹴り、屋根へ上がる。


「広域補助術式、継続補助術式、構築、両術式同時起動」

 ジョン山田がそう唱えると、新たに二つの魔法陣が浮かび上がり、回転を始めた。

 複数の魔法陣が宙に展開されている光景は圧倒的だ。


 それでも塔矢は屋根伝いに走り、酒場の屋根にいるジョン山田を目指す。


お前を殺すモルヴラーク

 塔矢を指差し発動された魔術は、広域補助術式で効果範囲が広げられている。

 つまりどうなるかというと、塔矢へ死の魔力が雪崩のように迫る。

 それはもはや、弾丸というより津波だった。


 建物や人を巻き込む死の魔力に周囲から悲鳴や断末魔が聞こえる。

 しかし、塔矢はその津波のような死の魔力へ突っ込む。

 その行動には微塵も怯えはなかった。


「裂空斬!」

 振り下ろした牡丹雪が、津波のような死の魔力を真っ二つにし、道を作る。

 その道の先にはジョン山田がいた。


 塔矢は死の魔力の間を走る。


お前を殺すモルヴラーク

 ジョン山田が放った無数の死の魔力弾が塔矢を襲う。


 塔矢は氷の剣、牡丹雪でお前を殺すモルヴラークを次々に切り払いながら接近する。


 しかし、運動エネルギーを強化された死の魔力弾を牡丹雪で防いだ時、塔矢の体は牡丹雪ごと宙を舞った。


 塔矢は驚きで目を見開く。

――エネルギー変換補助術式で強化された運動エネルギーは、人体以外に接触した時も影響するのか!?


 ジョン山田のエネルギー変換補助術式は、殺人術式の人に当たる・・・・・とその人を死ぬ、という呪いを運動エネルギーに変えている。

 だから人に当たった時に運動エネルギーが付与されるのだと塔矢は思っていた。


 しかし、それは間違いだった。


 空中を吹き飛ぶ塔矢は咄嗟に氷のナイフ冬茜を生成する。

――冬茜!


「フリーズ!」

 塔矢のフリーズという言葉をトリガーに冬茜が強力な凍結能力を発揮する。


 瞬間的に冷やされ凝固する空間に左手の冬茜が突き刺さる。


 冗談みたいな勢いで吹き飛んでいた塔矢だが、冬茜を空中に固定することで、なんとかその勢いを殺した。


 塔矢の左右には、真っ二つにしたはずの津波のような死の魔力が残っている。

 おそらく、ジョン山田の継続補助術式によって、この魔術を維持しているのだろう。


 冬茜で勢いを殺していなければ、塔矢の体はこの死の魔力の海に飲み込まれていたはずだ。


 しかし、危機はまだ去っていなかった。


「……ゲームセットです」

 気がついた時には、ジョン山田は塔矢のすぐ近くで大鎌を振っていた。


 相手と距離を取る魔術師のセオリーを無視した戦い方だが、これ以上ないとどめの一手となった。


 塔矢は体勢を崩しながらも、氷の剣、牡丹雪で大鎌を防ぐ。


 その瞬間、塔矢は思考した。

――普通の大鎌で命を刈るモルデファルクスなら問題ない、踏みとどまれるだろう。しかし、エネルギー変換補助術式をを使われていたら、どうしたって吹き飛ばされる。背後は海のように広がる死の魔力だ、吹き飛ばされたら死の魔力に浸かることになる。……ならば……。


(リアリティコントロール強化!)


 塔矢は牡丹雪で大鎌を防ぐが、案の定、運動エネルギーを強化された一振りだった。


 なんとか踏みとどまろうとするが、塔矢の腕がミシミシと嫌な音を立て、結局、塔矢の体は吹き飛んだ。


 そして、彼は海のように広がる死の魔力に飲み込まれた。


「いくらリアリティコントロールを強化したとしても、これだけの死の魔力に浸かって生きられるわけがありません」

 そう言ってジョン山田は、手元の大鎌で命を刈るモルデファルクスを消した。

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