後編


「じゃーん、これがウチのとっておき。アルティメット・ロールキャベツや!」



 帰宅した僕たちを待ち構えていたのは、パスタ皿にのったロールキャベツだった。

 黄緑色のキャベツに包まれたヒキ肉らしき物がスープに浸って湯気を上げている。

どうやら中身がこぼれないよう端をスパゲッティで結わえてあるようだ。

 見た感じだと ごく普通のロールキャベツなのだが、これに四時間を費やしたのだろうか? すごくサイズが大きいとか、難しい技法が用いられているならまだ判るのだけれど。


 肝心のカズヒロも目を丸くしてロールキャベツを見つめていた。



「ええ? アルティメットって言うからには頭が三つあったりするんじゃないの? これ、なんか普通のロールキャベツじゃない?」

「お姉ちゃんが知らんアニメの話せんといて。そんなこと言えるのは今だけや。食べてみたら、減らず口も叩けへんで。ほら、スプーン」

「もう、肉だけかと思ったら野菜に包まれてるし、大人は嘘つきだなぁ」



 ブツブツ文句を言いながらも、四時間待たされた空腹には勝てっこない。

 カズヒロはロールキャベツの一部をスプーンで削り取って口元に運んだ。

 そして、口に含んだ途端ピタリと動かなくなってしまった。


 いったいどうしたのだろう?


 不思議に思い、僕もご相伴しょうはんにあずかることにした。



「それじゃ、いただきまーす。……って、ええ!?」



 美味しさのあまり絶句する。そんなことが本当にあるなんて。

 このロールキャベツに入っているのは、単なるひき肉ではない!

 ピリリと辛いジューシーな肉そぼろには、刻んで炒めたネギが多量に含まれており……包み込むキャベツの甘味、沁み込んだ豊穣なスープのうま味が、ネギそぼろと絡み合うことで別次元の美味しさを口内に生み出すのだ。豆板醬とうばんじゃんの辛さ、ねっとりした「炒めネギ」の風味、脂身を含んだ肉、ダシの効いた汁。それらが重なり合い、互いを引き立てることで生まれる至高の口福ときたら。

 絶品の名に恥じない、期待以上のシロモノである。



「うぉおおおお! 何だこれ! 美味い、うますぎるよぉおお!!」



 我に返ったカズヒロが高ぶった感情のままに叫んでいる。

 恥ずかしながら大人の語彙ごい力をもってしても、同じ感想しか出てこない。


 舌の先に残った余韻よいんが去り、頭がとろける程の恍惚こうこつが収まってから……僕は獣のようにガツガツと食らいたくなる衝動をどうにか抑えて、奈々子に種明かしをせがんだ。



「これ、中身は何? こんなに美味しいお肉は初めてかも」

「へへへ、その言葉を聞いたらきっと檀一雄先生も喜ぶでぇ」



 檀一雄だんかずお、その名前なら僕でも知っていた。

 昭和の初期に活躍した文豪で、太宰治の盟友として知られた「私小説」作家であり同時に優れた料理人でもあったという。

 奈々子の説明によれば、この「ネギそぼろ肉」は『檀流クッキング』というエッセイ料理本の中で紹介されたメニューなのだとか。



「その名もバーソー。檀先生が台湾の人に教わった家庭料理から着想を得て、考案した調理法らしいで。ズバリ言うと、アルティメット・ロールキャベツの正体は、このバーソー入りロールキャベツなんや!」

「へぇ~、そうだったのか」

「リアクション、薄っ! 東京モンのボケ殺しが。まぁ、説明すると、このバーソーが、またエラく手間のかかる料理でな。二時間以上はコイツに費やしとるで」

「ふんふん……」



1、まず、豚バラ肉(豚のお腹にあたる部位、脂身多し)三百グラムを包丁で何度も叩いてミンチにする。豚バラ肉のミンチはスーパーだとまず扱ってないからだ。汗水たらして自分で作るしかない。フードプロセッサーを使うか、もしくは肉屋に頼んでミンチにしてもらう方法もあるそうだ。


2、次にネギ六~九本(三束)ほどを小口切りにしておく。本によればザルがいっぱいになるほど。


3、中華鍋にサラダ油を敷き、みじん切りにしたニンニクと生姜を炒める。


4、そこへ更に刻んだ大量のネギをくわえ、弱火でじっくり炒める。この炒める時間がすさまじく、なんと七十分以上(!)そこまで炒めるとネギが飴色になって粘りが出てくる。ザルにいっぱいの刻みネギが水分を吐き出し掌にのる量まで減ったら頃合い。


5、ネギを炒め終えたらミンチ肉を入れて、酒、醤油、豆板醬、はちみつ等を加えてゴトゴト煮込む。水分がなくなってきたら完成。きっと苦労に見合う味がする!



「んでまぁ、本来は冷奴やご飯に載せて食べるバーソーを、ロールキャベツに入れて贅沢したろと思ってん。キャベツも中身の濃い味付けに負けないよう、天使のキャベツとまで呼ばれる『とくみつキャベツ』を使ったでぇ。これ糖度が高くてごっつう甘いんやで」

「二時間かけてバーソーを作り、その後でロールキャベツを作るのか……」

「せやね。キャベツを湯がいて柔らかくしたら、それでバーソーを包み、鍋で煮る。ダシをとるのには乾燥ホタテとコンソメの素を使ったで」

「気が遠くなるね。でも、なんでそんなことを?」

「それは勿論、和くんの野菜嫌いを直すため……」

「直るの? ロールキャベツで?」

「まぁ、細工は流々仕上げを御覧じろって所やな」



 奈々子は不敵な面構えで、ご馳走にガツついているカズヒロへと向き直った。


 

「どや? 和くん、美味しかったか?」

「うん、こんなの初めてだよ」

「せやろせやろ、せやけどな、その美味しさは野菜があればこそ……なんやで」

「え?」

「キャベツとネギがあってこその『アルティメット』なんや。和くんは、さっき野菜なんか無くても良い物だと言ったけど。野菜がなければこれはただのミンチ肉やで? どう調理しても、ここまでは美味しくならへん。ネギにはな、手間暇かける価値があるんや」

「うぅ、言われてみればそうかも」



 成程、カズヒロの信念が揺らぎ始めたようだ。

 さらに畳みかけるかの如く、奈々子は台所から新たな一皿を出してきた。



「そんで、それだけじゃ足りんだろ? 良かったらこれもどうや?」

「ええ、これって……」



 平皿にのっているのは、よく煮込んで茶色がかった輪切りの大根。

 つまりは「ふろふき大根」に見えた。

 カズヒロは不服そうに頬をプゥっと膨らませた。



「野菜だけじゃん。肉はないの?」

「肉? ちゃんとあるで、野菜の中に入っとる。騙されたと思って、食べてみい」



 恐々と柔らかくなった大根を箸でついばみ、カズヒロは苦手な野菜を味わった。

 直後、ブルルと身を震わせてカズヒロは驚愕の表情を浮かべていた。



「本当だ。この大根、肉の味がする」

「モチのロンや。アルティメット・ロールキャベツと同じ鍋でたっぷり煮たさかい。肉のうま味が大根の中に凝縮されているんやでぇ。どや? 野菜はマズイか?」

「いや……美味しいよ」

「野菜は確かにそれ単品だと主役になれない食材かもしれん。けど他の食材と組み合わせることで、どこまでも美味しくなれる。いや、むしろその大根のウマさは、肉だけでは決して出せへんのや。それが野菜と料理の奥深い所なんやな」

「お肉を美味しく食べたければ、なにかと組み合わせないとダメなんだ。すごいね、野菜ってこんなに凄かったんだ。これならご飯三杯は食べられるよ」

「そう言ってもらえれば、四時間かけた甲斐があるで……お姉ちゃんも感涙ものや」



 流石は成長期の男子。

 アルティメット・ロールキャベツと、ふろふき大根、さらに炊飯ジャーのご飯をペロリとたいらげてから、カズヒロは迎えに来た兄貴と帰っていった。



「どうも本日はご迷惑をおかけしまして……」

「いやー、賑やかで楽しかったわ。気にせんといてや」

「義姉さんにもよろしくね」

「ありがとう、お姉ちゃん、おじさん。これからは野菜を毛嫌いしないで食べるよ。またゲームやろうねー、バイバーイ!」



 玄関の扉が閉まると、室内の温度が急に下がったような気がした。

 さっきまで手を振っていた奈々子は、疲れ切った様子でその場にペタンと座り込んでしまった。無理もないことだ。全部カラ元気だったのだから。


 僕は奈々子の肩に手をやって、出来る限り優しい声をかけた。



「お疲れさん、子ども苦手なのによく頑張ったね」

「ウチ、ちゃんとお姉さん出来とったやろか?」

「ああ、とても立派だったよ」

「ホンマ? 良かった~。いや、慣れてへんとえらく疲れるわ。まだまだお母さんにはなれんな」



 リビングに戻り二人分のお茶をいれると、僕は気になっていたことを尋ねた。



「でも、どうしてあんなこと思いついたの? 野菜嫌いを直す為にロールキャベツや、ふろふき大根を食べさせようだなんて」

「思いついたというか……知ってたんや。オカンがウチに同じことをしてくれたから。ウチも小さい時分は野菜が苦手でなぁ」



 奈々子が語ったことによると。

 ロールキャベツにまつわる小さな事件が切っ掛けで、奈々子は野菜嫌いになったらしい。



「ほら、ロールキャベツって中身が零れないよう爪楊枝でとめるやろ? キッズのウチはその爪楊枝ごと口に入れて怪我したそうなんや。それ以来、すっかり野菜を毛嫌いするようになったらしくて」

「トラウマになったんだ」

「それでな、トラウマを克服できるように考えてくれたのが、あのバーソーを使ったロールキャベツなんや。その美味しさは身をもって知ってるわ」

「そういえば、爪楊枝じゃなくてスパゲッティで結わえてあったね」

「長さを整えたパスタで固定しておけば、茹で終わった後は柔らかくなるさかい。丸ごと食べても安心や」

「お母さんが娘の為に考えた工夫なんだ……なんかいいね、それ」


「でもな~、オカンのは関西の野菜やったからな、今日作ったのより美味しかったかもな」

「え?」

「関東の土地は、ほらあれや、関東ローム層いう火山灰が積もった土やろ? 野菜作りに適しておらん。やっぱり野菜は関西なんや」

「またまた、そうやって関西マウント取ろうとする」

「おっ、スマンな」



 僕らの暮らしは、まだまだお試し期間中。

 時には喧嘩をすることもあるし、気まずい沈黙が部屋を支配することだってある。


 そりゃそうだ。カズヒロが野菜を食べられなかったように、誰にでも得手不得手はあるのだから。年齢と関係なく、大人にだってそれはある。


 でも、それは……。



「まぁ、カンニンな。今日はちょーっとばかり疲れてるさかい。結局、ロールキャベツはウチの分が残らなかったし。食いそびれたわ。くぅ~、成長期、恐るべし」

「まだ冷蔵庫に食材のこっていたよね? 今度は僕が何か作るよ」

「おっ、スマンな。タッちゃんだって疲れているだろうに」

「ははは、奈々子が頑張っているんだから僕だって何かしないとね。そうだな、けんちんうどん、いや、今日はけんちん蕎麦にしようかな?」

「ああん? なんだって今日は蕎麦にするんや?」

「だってさ、バーソーを逆にすれば……」

「ははは、蕎麦になるってか! まったくもう……大阪じゃ通用せんで。そんなオチ。でも他ならぬタッちゃんだから特別に勘弁したる」

「はいはい、おおきに。ちょっと待ってね」



 誰にだって苦手は有る。

 でもそれを克服していくことで僕たちは少しずつ大人になっていくのだ。

 今日の出来事は良い予行演習になった。


 親になるってことの意味を少しだけ理解できたような……そんな気がしたから。



「なぁ、タッちゃんは子ども好きか?」

「う、うん、多分」

「なんや頼りないなぁ。まぁ、ゆっくり行こうか。ウチも似たようなモンやしな」



 もうすぐ同棲生活を始めて一年が経つ。

 約束の期限だ。


 僕たちの中できっともう答えは出ている。

 立ち塞がる全ての「苦手」を克服してみせる。

 東と西でタッグを組んで、どこまでも二人で進む。


 そして僕たちは何時か気付くのだろう。

 本当に大切な誰かの為なら、心に抱く苦手なんか物の数ですらないことを。

 それがきっと大人になるってこと。


 そんな風にいつかはなりたい。

 僕と奈々子で手を取り合って。





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