時を越えるロールキャベツ

一矢射的

前編


 いつもは物静かな我が家も、さすがにその日ばかりは勝手が違った。なんともにぎやかなお客様を迎え入れたのは、桜吹雪が並木道に降り注ぐ春先の出来事であった。

 本来、子どもとは、恐れを知らぬ冒険者であり、嘘を知らぬ正直者でもあり、それゆえに相対する大人を映す鏡でもあるのだ。


 ☆ ☆ ☆


「おっしゃ! もろたで」

「いや、まだまだ! こっちにはアイテムがあるもんね!」



 うららかな日差しに和らぐマンションのリビングで、ポニーテールの女性と坊主頭の少年が仲良くゲームにきょうじている。TV画面の中で繰り広げられる一進一退のカーレースに、少年は元より、大人の女性もすっかり無我夢中。年甲斐としがいもなく、大興奮の有様だ。

 勝負の世界に年の差なんて関係ないのだろうか?

 その光景をソファーから眺める僕は、ひとり苦笑するばかり。



「ぐあぁ!! ウチのブラック・エンペラーが!」



 紹介しておくと、愛用のマシンがスピンしてうなだれるポニーテールの女性は望月もちづき奈々子。フリルのついたピンクのカーディガンにジーンズ姿で、熱中するあまりコントローラーを盛んに振り回している。力を入れ過ぎてケーブルを引き千切らないか心配だ。

 そのゲーム機、誰の物だと思っているんですかね。


 奈々子と僕は同棲中の許嫁いいなずけで……まぁ見ての通りちょっとお茶目な所もあるのだけど可愛い彼女である。


 隣でガッツポーズを決めた坊主頭の少年はカズヒロ。

 兄貴の長男で、つまり僕から見れば甥っ子にあたる。

 たしか今年小学四年生になったはず。そんな彼が電車とバスを乗り継ぎ、一時間以上もかかる我が家までイキナリやってきたのだ。それも、たった一人で。


 理由は「遊びに来た」としか聞いてない。

 正月に親戚一同でやったゲーム大会のリベンジを果たしたいと。今日は祭日だからまだ良かったけど、そんな事情でわざわざここまで来るだろうか?


 兄貴とは連絡がつかないままだし、よその子を詰問きつもんするのは気が引けるが、一応は家の代表としてすべきことをやらなければ。

 僕は決心すると重い腰を上げた。



「よし、もう充分遊んだよな? カズヒロ、本当の所を聞かせてくれ。お前、もしかすると親に内緒でここまで来たんじゃないのか」

「いや、そんなことはないよ」

「カズヒロぉ~」


「まぁまぁ、タッちゃん。そないに詰め寄らんでも。なあなあ、和くん、お姉ちゃんには本当のところを教えてえな。パパもママもきっと心配してるさかい。なっ? 同じレースで白熱した仲やろ」

「う、うん。実は、ちょっと家出してきちゃったんだ。母ちゃんと喧嘩しちゃって」



 まったくもう、女性にはまるで態度が違うんだから。

 いや、むしろ素直な言葉を引き出す女性は強いと言うべきか。


 そういえば申し遅れました。この浪花娘なにわむすめがのたまう「タッちゃん」とは僕の事、小杉達也と申します。まぁ、それよりも今はカズヒロの話を聞かないとね。



「あらら~いかんよ、喧嘩は。どないしたん? なんで喧嘩しちゃったの」

「だってさ、母ちゃんがいけないんだ。俺を騙したんだもの」

「騙した? えらい物騒やな?」

「ハンバーグだと偽って豆腐を食わせたんだよ」

「なーんや、そないなことか。アカンって、野菜も食べんと。栄養のバランスが悪いさかい。和くんはズバリ肉に偏り過ぎやで、お姉ちゃんが思うに」

「でもでも、野菜より肉の方が美味しいんだもん。野菜なんて肉のオマケじゃん」

「さよか~? ほんまに~?」

「そうだよ。野菜なんか苦いし、青臭くて、ドレッシングをかけなきゃとても食べられないもん。いくら食べても、ボリュームがなくて満足感も少ないし、肉の添え物としてお皿にのってるだけ。はっきり言って要らない物だよ。高級レストランのコース料理でも、しょせん前菜にしかならないんでしょ? まだ食べたことないけど」



 まったく、口の減らない子だ。

 更にカズヒロは、正月きいた奈々子の失言まで取り上げてくるではないか。



「それにさ、奈々子お姉ちゃんだって本当は肉の方が好きなんでしょ? 前に言ってたじゃん。ウチも野菜食べられなかったわ~って」

「うぐっ、それでここに来たんか、キミぃ」

「うん、きっと味方になってもらえると思って」


「大した処世術しょせいじゅつだ。将来大物になるよ、これは」



 まぁ、そこまで深刻な話じゃなくて良かった。

 けれど、これはどうしたものだろう?

 僕たちが何かを言ったぐらいで野菜嫌いが直るなら、兄貴夫婦も苦労していない。

 解決策としては……カズヒロに美味しい野菜を食べてもらうとか?


 ところが僕の予想に反して奈々子はこんな事を言いだしたではないか。



「せやなぁ……なら肉の愛好家同士、ご馳走したるわ。今晩はウチで美味しいお肉を食べてみるか? 本当にウマい肉の食べ方を教えたる」

「えっ、いいの? やったー!」

「おいおい、奈々子。それじゃあ……」



 何の解決にもならないだろ?

 そう言いかけた僕に奈々子はさりげなくウインクしてみせた。

 あれは「任せておけ」というサインに違いない。

 どうやら彼女には何か考えがあるらしい。



「でもチョコっと準備に時間がかかるさかい、タッちゃんと遊びに行っといで。そうやな、完成まで四時間ぐらいかかるかもしれんわ」

「よ、四時間!?」



 断っておくが奈々子は別に料理が下手というわけではない。

 むしろ僕よりもずっと上手いし、そこいらの料理自慢顔負けの腕だ。

 勿論、調理の手際だって悪くない。

 その彼女が四時間もかかるとは、余程のことだろう。

 奈々子を信じて僕も協力するしかない。



「よし! 近所に新しいショッピングモールが出来たそうだし、そこへ行ってみるか。カズヒロ、付き合えよ。大きなゲーセンもあるらしいぜ。おごってやるよ」

「本当? ありがとう、おじさん」



 四時間も待たされることなんかケロッと忘れて、カズヒロは笑顔になった。

 こういう所を見ると、少しぐらい生意気だろうが無邪気で可愛いもんだ。

 おじさんなんて歳じゃねーよ、などと反発している場合ではない。


 どうやら休日を返上して大人の責務に励む必要がありそうだ。


 ☆ ☆ ☆


 ショッピングモールは開店セールの実施中、当然のことながら大賑わいだった。

 本屋、ゲーセン、ディスカウントショップと茶化して回り、夕暮れも近づいた頃……僕たちはモールのフードコートで休憩をとっていた。

 お店で買った紙コップのジュースをカズヒロに渡し、お腹が空いたと愚図る甥っ子をなだめるのにも一苦労だった。こんなことをメゲズに毎日するなんて、まったく親御さんの我慢強さには恐れ入る。



「買い食いをしてきたなんてバレたら、望月のお姉ちゃんがカンカンだからな。もう少しだけ我慢しようぜ」

「望月……? それって奈々子お姉ちゃんのこと?」

「ああっと、カズヒロは知らなかったのか。そう、奈々子はまだ小杉の人間じゃない。望月家の人さ」

「それは夫婦別姓って奴?」

「いや……」

「二人はまだ結婚してないんだ。同じ家で暮らしているのに変なの。それって、もしかして『ふしだら』なんじゃない」

「この野郎、違うよ。今はお試し期間みたいなもんだ。僕達は本当に上手くやれるのか、それをルームシェアで実験中。『こんなはずじゃなかった』なんて後から悔んでも遅いだろ? お互い、つい最近まで親の決めた許嫁が居るなんて知らなかったからな。まったく漫画みたいな話だよ」

「へぇ、大人の世界って変わってるね」

「僕達は特別中の特別だよ、念のため」



 小杉の家は代々優れた料理人を輩出している。知る人ぞ知る東京の名家なのだ。

 何でもご先祖さまの中には、皇室に仕える本物の「料理番」も居たらしい。


 そして東に小杉の家があれば、西に望月家あり。

 大阪にある奈々子の実家も負け劣らず包丁自慢の一族なのだ。


 二つの優れた血統が合わされば、きっと日本の料理界を背負うサラブレッドが生まれるに違いない。ウチの阿呆な両親はそう考えた。

 それで本人の了承も取り付けず、勝手に「許嫁」の約束を交わしていたのだというからお笑い草だ。

 兄貴は公務員で僕は会社員。兄弟が二人そろって名家の束縛を嫌い、自由の道を選んだ事実がこのような親の暴走を招く結果となったのかもしれない。


 気の毒なのが奈々子だ。大学卒業時に許嫁の話を聞かされた奈々子は、嫌な顔ひとつせず言い切ったらしい。



「ふーん、会って見ないと何も判らんなぁ。この不況でせっかく決まった会社の内定も取り消しになってもうた。どうせ暇やさかい。別にええよ。ただし、ろくでもない男ならこっちから願い下げや」



 望月家が出した結婚の条件は「一年間同棲生活をした上で本人同士が納得したならば」許可するというもの。少なくともウチの両親よりはまともな考えだ。


 初めは不安だったし、今でも時折仲たがいはするけれど―― 主に大阪と東京の文化の違いや、奈々子の直球すぎる物言いが原因なのだが。それにもお互い慣れれば慣れるものだ。

 

 少なくとも僕は彼女に会えた幸運を感謝している。




 過去に思いを馳せていると、携帯が鳴ってメッセージの着信を告げた。



「おっ、夕飯の準備ができたみたいだ」

「奈々子お姉ちゃん、何を作ったんだろう?」



 恐らくは望月家の名に恥じぬ、腕によりをかけたメニューを出してくることだろう。野菜嫌いのカズヒロに四時間を費やした奈々子の心意気が通じると良いが。

 僕たちは不安と期待を胸に、帰路に就くのだった。


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