第六感

Ray

第六感


「そしたらさぁ部長がね、退職後に自宅でパーティーしたいって。どうしよう、遠いんだよね、そこ」

 悩む百合子を他所に、私は彼女の肩を掠めたその先に視線を向けていた。

「京介、聞いてる?」

 あるホテルの一室、窓際の角の辺りだった。

 通路奥の角部屋だから既に嫌な予感はしていた。

「今日はもう、帰ろう」

 そう言えば百合子はサッと血相を変え、脱いだばかりの上着に手を通す。

 ガチャッとドアを開け彼女を先に促し、一度くるっと振り向いた。そして、じゃあな、というような目線を送る。

 長い髪に顔を覆った女は微動だにせず、その角にぼーっと立っていた。


「もう終電過ぎてる。タクシー捕まえよ」

 ホテルを出るまで息を止めるようにして沈黙を貫いていた百合子はやっと口を開いた。一体何なの、と野暮なことは聞かない。私と付き合い始めてかれこれ二年近くが経っていたので、もう慣れたのだろう。


——この、習慣に。


 私には見えるのだ。その類の存在が。小さな頃からそうで、親は当初イマジナリーフレンドでもいるのかと思っていたそうだ。

 兵隊がいるだとか、お爺さん、お婆さんがいるだとか言っては指を差して他者を震撼させていたので、親は遂に嫌悪の顔で私を見始めた。

 それに気づいた頃だろうか、私はそのことを言わなくなった。

「ねぇもう振り返らないでよ、怖いから」

 時折付いて来ることがあるので、キョロキョロと辺りを見回すことはこの手の人間がやる特異な行動のひとつと言えよう。

 百合子もよく我慢してくれている。二年も恋人として持ち堪えているのは、彼女が初だった。アラサーという年頃だから、私に生涯寄り添おうと覚悟を決めているのだろうか。

「すみません、目黒の方まで」

 バタンと扉が閉まり、タクシーが発車する。

 東京も深夜になれば飲兵衛以外はおらず、昼間の賑わいは嘘のようである。実はは夜に限らず不思議と人混みの中がより現れ易い。とは言っても、見た目で実物かどうか区別するのは困難な場合が多く、相手が身体をすっと通過した時に発覚したりする。

 すると百合子の訝し気な視線に気がついた。

 一度を見てしまうと何らかのスイッチが入るようで、他にもいないかなと寡黙に外を眺めいていた私に愛想を尽かしたよと顔が語っていた。

 それは親が私に見せていた表情とそっくりだった。スピリチュアルなセンス、所謂第六感がある人間は特別な存在である筈だが、常人には煙たがられる。

 UFOを見たと言えば変人扱い、小人を見たと言えば変人扱い、どうして特別な力を持つ人間達がこんなに虐げられなければならないのだろうか、甚だ理不尽な話である。

「今日はもう、帰るね」

 デートにおいては最悪の結末。私の住むマンションに泊っていくことを想定していただけに、肩を落とす。まあ実際私自身も心ここにあらずのような状態ではあったのだが。

 タクシーは敢え無く彼女の自宅へと進路を変えた。


 玄関のドアを開けると、ふぅとため息をつき鍵を靴棚の上へ放り投げる。

 人感センサーが肉体を感知し、パッと明かりが灯される。独身者唯一の癒し。お帰り遅かったね、などと話しかけてくれる者は誰もいない。

 いつかは温かい家庭を築きたい。こんな時には誰しもが思うものではなかろうか。

 冷蔵庫に向かい、扉を開けビールを取り出す。その場でプシュッとやり、ゴクゴクゴクと半分くらいは自棄やけ飲みしてやった。百合子と散々呑んだ後の追い酒。

 彼女とも、終焉の予感……

 空いた手でもう二缶を鷲掴みにし足で扉を閉め、ソファのあるリビングに行きリモコンを探した。

 ドサッと腰掛けテレビを点ければパッと表示されたのは、ネットTVのホーム画面。あなたへのおすすめの一覧はスピリチュアル系チャンネルと百合子好みの料理チャンネルで埋め尽くされていた。

 その中の一つにふと注目した。

『彼を知り己を知れば百戦あやうからず』

 恐怖を取り除くにはまず敵を知ることだ、と豪語する霊能者が幽霊への恐怖心を克服できるかというチャレンジ動画であった。

「あー怖い怖い、怖いよー」

「ギャーッ!」

 と、廃病院の肝試し。大騒ぎをして逃げ惑う映像がただひたすらに繰り広げられていた。私はカメラを通しては見える時と見えない時がある。相手が見えると嘘をついている場合もあるのだろうが、「ここ、ここ!」と彼が指を差すその先には確かに人影のようなものが見えた。

 ゴクゴクと一缶飲み干し、次のビールに手をかける。プシュッと空けてはその動画を流し続けた。次回、また次回と追うごとにその者は、「何だか慣れてきたかもしんない」と言い、遂にはと対話し始めたのだ。

 そして三缶目を終えると、ふらふらと視界が宙を舞う。覚束ない所作でポケットの携帯を取り出し検索をかけた。


 それは、とある場所だった——。


 河口湖インターを出て西へ真っ直ぐ十キロ程走るとやがて目的地への案内標識が現れる。私はそこにある駐車場に車を駐めた。

 ドアを開け外へ出る。

 大きく深呼吸をすれば湿った枯れ木の匂いがした。都会の埃っぽい匂いとは違い新鮮である。意に反し展望台やハイキングコースなどレジャー要素が多彩で親しみ易い所だった。

 ただ今日は肌寒くこれから雨の予報となっており、人もまばら。

 私は富士の山麓にある、とある樹海へ訪れていた。二日酔いにより頭痛、思考はぼーっとはっきりしないのだが、この場所へ来ようと決めたことははっきりと覚えていた。

 何を目的にここを探索するのか定めてはいなかったが、あの動画に影響されたことは間違いない。自分も一度真摯に向き合ってみなければならないと、そう思っていた。

 このままではこの『能力』に押し潰され人生を台無しにされてしまう。つまりはが何者なのか、それを突き止めればもっとプラスに働かせられるのではないかとそう考えた故の行動だった。

 私は、よしと心を決め第一歩を踏み出した。


 ハイキングコースの最長ルートを案内板で確認し、トレイルを進む。両側に広がるのはボコボコとした地表に苔が生い茂り、針葉樹が真っ直ぐ天まで伸び隣同士で枝を触れ合わす鬱蒼とした景色。

 ガサッ、ガサッという孤独な足音に、変化の乏しいその光景をややしばらく眺めていると、さあどこまで進んだのか、本当に戻れるんだよな、などと一抹の不安を覚えた。

 精神的な作用なのか昨日の酒なのか、ズキズキと頭の痛みが幾分酷さを増してきたようだ。それを少しでも癒そうと片手を額に当てる。思いつきとは言えコンディションが悪すぎだ。引き返すか、それとも次の岐路でショートコースを選ぼうかと考えていた矢先のことだった。

 雨が降り始めた。

 未知の存在にも出くわせず、冷たい雫に意気消沈。一体何やってんだろうと後悔の念さえ湧いて来る。

 難点は見たいと思って自由自在に見られるわけではないということ。いつも偶発的な遭遇スタイルであったため、霊的なものが集うだろうこの場所にスポットライトを当てたのだ。

 結果いつになっても現れない。普段怪しいと思われる場所は身体に異変が生じるのだが、このコンディションではわかり様もない。

 出直した方がいい。そう決断した私は分岐点を目指し足を速めた。

 

……おかしいな、そろそろの筈ではないか

 はぁはぁとやがて息が上がり、額や脇に汗が滲む。後ろを見ても前を見ても、三百六十度ひょろりと細長い針葉樹の密林。

 いい年をした大人が樹海と言うワードに怖気付き、ただのハイキングコースの道中でどこかの迷宮に入り込み、もう戻れないのではないかと顔を真っ白にしているこの有様は、とても滑稽で後で笑い者にされるだろう。

 それでもドキドキと高鳴る鼓動。位置情報を確認しようと携帯に手をかける。ただ予想は的中で『圏外』という二文字。

 そこへ失望の二文字が脳裏を過った瞬間だった。視界の片隅にサッと通り過ぎる影を感じた。

 ぎょろっと目線をそこに動かす。そこはトレイルを外れた先だった。

 動物か、人か、霊なのか……

 動物という可能性が高いが、熊系の猛獣はこの界隈にいるのだろうか。

 ただ私はつま先をその方角へ向けていた。生き物、いや死に物でも何でもよかった。何かに遭遇したい。あまりの孤独に脳みそがやられていたようだ。


——私はトレイルを、離れた。

 ザッザッという足音が走りのリズムを刻む。目を真っ直ぐ前へ見据えひたすらに突き進んだ。

 汗は滴り落ち、ぜぇぜぇと荒い息を吐き出しながら夢中でその場所へ近づくと、再びふっと木々の間を何かが横切った。

「おい!」

 影の行方はその木の裏側だろうか。見逃してなるものかと一心にそこへ目を凝らす。

 するとひょこっと出てきたのは、


 男の子だった。


「ねぇ、君!」

 私は安堵なのかSOSなのか、縋るようにして叫ぶ。

 男の子はこちらを向いた。

 こんな奥地でひとりぼっちなら霊体だろうが、万が一迷子であるなら助けなければならない。

「ちょっといいかな?」

 逸る気持ちで距離を縮める。

 男の子の輪郭を掴めそうになったその時、彼はくるっと向きを変え、走り出した。

「ちょっと待って!」

 私は必死で追いかけた。男の子は木々の間をすり抜けながら、どんどん奥へ駆けていく。

「おい、怪しい者じゃないんだ!」

 いや、説得力などまるでないぞ。おじさんが大声で追いかけて来るのだから。などと冷静に窘めているとやがて私は足を止めた。


 えっ……?!


 視界が、開けていた。

 平らな敷地には青いテントがあり、その前には男女がおり椅子に座っている。男の子はそこに混ざったのでファミリーだと悟った。

 キャンプ場か? いや、こんな所にあっただろうか……

 いずれにせよ私は助かった。

「あの、すみません」

と話しかける。森から現れたひとりの男。両親は怪訝な眼差しで見ながらも話を聞いてはくれた。地図を借り、私の駐車場と思われる場所を確認する。

 はて、こんなルートあっただろうか、との疑問を胸に、私はここへの到着地点であった駐車場までどうにか戻って来ることができた。


 ただそこに私の車は、なかった——

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第六感 Ray @RayxNarumiya

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