継続は力なり

小狸

継続は力なり

「何かを続けることって、ある意味才能だよね」

 息子は、まるで知ったような口ぶりでそう言った。

 いつもそうだ。

 彼のそういう口調が気に食わなかった。

 私よりも二回り以上も年下の癖に、社会に揉まれてもいない癖に、全てを包括し経験したように語るそれが、とてつもなく厭であった。

 社会人として、苦労に苦労を重ねる四十年を送ってきた私にとっては、とても。

「結局、才能の原石があったところで、それはただの原石でしかない。ダイアの鉱石は、それ単体ではそこまで価値は無くって、販売されているダイアに加工する過程があってこそ、初めて価値が生まれるって考え方だよ」

 病室にいる私に、息子は話しかける。

 高血圧と脳梗塞により、一度私は倒れ、救急搬送された。大事には至らなかったらしい。少々頭ががさつく感触はあるが、認知症などの問題はないらしい。

 長男たる彼が一体何を考えているのか。

 私には分からない。

「小説や漫画だってそう。例え神がかり的な才能を秘めていたとするよ。でも、それってそれだけなんだよね。才能が秘められているってだけ、発掘されていない才能は、才能なんて言えないでしょ。小説なら、少なくとも投稿できるパソコンと入力手段が必要だよね。漫画だって、話を作り、ペンで描き、仕上げ、提出し、誰かに認められる必要がある。才能だけでどうにか出来ることなんて少ないんだ。過程だよ、分かるかな、お父さん」

 笑っているのか、笑っていないのか。

 息子の表情は、未だに分からない。

 それもそうだろう。成人してからも、する前も、私は彼を避けていた。

 子どもなど、本当は作りたくなかったからだ。

 妻が欲しいというから、作ってやったというだけ。

 だから育児は、全て妻に任せたのだ。

 なのに私は、家庭で居場所を失っている。誰も見舞いには来ない。どうしてだろう。仕事をし、家庭に金を入れ、自由を拘束されているというのに。

 挙句の果てに、息子にはこうして嫌われる始末。

 どうして、私を尊重しない。尊敬しない。

 私は、父親だろう。

 父とは、尊重するものではないのか。

 少なくとも私は、自分の父に、そんな眼を向けるような子ではなかった。

「何でもそうだけど、その道のプロになる人は二万時間だっけ? 取り組んでいる。向き合っているんだ、それだけ真剣にね。原石が輝くためには、やっぱり時間が必要なんだよ。一朝一夕じゃあ、できないんだ」

 つうと、窓の向こうに目をやった。

 何が言いたいのだろう。

 この子の言っていることは、時折分からないことがある。

「でも、じゃあ努力さえ続ければ大成するか――って言うと、まあ実際はそうなんだよ。だけど、ここが、多分お父さんの言う天才と、それ以外の奴の分水嶺なんじゃないかな。一つのことを努力し続ける。これが、難しい」

 それは痛感する。

 自分でも、ギターや小説、絵にも手を出そうとしてみたけれど、仕事が忙しくてなかなか続けることができなかった。

「実際、それだけに集中するって、今の人間生活の中じゃ難しいことだと思う。だけどそれをできた人もいる。環境だったり、努力だったり、要因は色々あるだろうけどさ――でも一番は、覚悟だと思う」

「覚悟」

 久々に口を動かしたような気がした。

 喉が渇く。

 誰か、水を持ってきてくれないだろうか。

 この息子は、本当に気が利かない。

「そう。覚悟。頑張り続けても、誰も才能は保証してくれない。開花しないかもしれない。努力が実らないかもしれない。異世界じゃないからね。ステータスとかで自分の適職を明かしてはくれないんだよ。遺伝だってまだ確実じゃない。環境に恵まれていることと、結実することは違うしね。でも――それでも。報われないかもしれない努力を、続けることができる。これって、才能だって、思わない?」

 私は、何も言うことができなかった。

 気圧されたとか――論破されたとか、そういうことではない。

 息子も、そういう意図で言っていないのだと思う。

 これは――私への、当て付けだ。

 そう思った。

「お父さんは良く、天才とか才能とか、そういう言葉を遣うじゃない? そうやって、努力してきた人を直視しないようにしているじゃない? 嫉妬しているんでしょ。あれ、ずっと苛々していたんだよね。ずっとお前、言い訳ばっかりじゃん。仕事がどうとか、家にいると疲れるだとか、さ。だったら家庭なんて作らずに、一人で努力したら良かったんだよ。子ども作って、父親になって、もうあなたは一人じゃないんだよ。親は、名誉職じゃ、無いんだよ」

 ああ――そうか。また文句か。

 そう思った。

「夢を見、追うことは確かに美しいと思うよ。だけどさ、言っているだけじゃん。時々余裕がある時にちょろっと小説書いて、楽譜作って、絵描いて――その癖上位の人にはしっかり嫉妬してさ。醜いと思わない? 何も続けられてないお前の努力が、報われるわけねーじゃん」

 この息子は、成人してから、私に対してこういうことを言ってきた。私の父が過干渉だったから、私は息子に関わらないようにしていた。そうすることで、良い子に育つと思ったからである。しかしそれでも、舐められたくはなかった。

 父親としての威厳を示す必要があった。

 だから。

 だから。

 だから。

 だから。

 だから?

「そう。でね。お父さん前に言ってたよね。おばあちゃんが倒れた時『私のもしもの時には君に手続きやってもらうから』って。今回の入院の手続きも僕がしたよ。でもさ、やっぱりね、僕、思うんだ」


 自分の人生をめちゃくちゃにした奴を、長生きさせる義理はない。


 息子の手が、ゆっくりと私の首に伸びた。

「うん。この時を待ってたんだ。幸い貴方は、休日はずっと部屋に閉じこもって、まともな運動もしていない。だから脳梗塞か心筋梗塞にはなると思ってた。老後の心配をするくせに、自分では自分の体調に配慮なんてしない。そうして、術後動けないこの瞬間を、ずっと待ってた。お父さんを殺すための努力を、ずっと続けてたんだよ」

 徐々に呼吸が苦しくなる。

 視野にもやがかかったようだ。

 小さい頃、海で溺れた時を思い出した。

「そう、それがやっと報われるんだ。何かを続けるって、やっぱり大事だよね。まあ、分からなくていいよ。僕の人生はお前ら両親に殺された。だから僕は一生をかけて、お前を殺す。やっと、その夢が叶うんだ。ずっといい子でいたよね。大人しく従ってたよね。言いたいことも言わなかったよね。辛い時は辛いって言わなかったよね。顔色を見て配慮したよね。靴は隅に置いたよね。お父さんの食卓には座らなかったよね。朝はアニメを見なかったよね。言われた通りにしたよね。僕、いい息子だったよね? だから、今くらいは悪くなっても、いいよね?」

 きゅっと――力が掛かった。

「今までのことは絶対に許さないし、これからも許さない、幸せに生きることなんて許さない。笑顔なんてさせる暇はない。せめて最期は、めいっぱい不幸になって、苦しんで、泣いて、もがいて、自分の人生を悔いて、謝りながら」

 ――死ね。

 私が最期に見た光景は、息子の笑顔であった。

 その意味は、しかし、やはり一切分からなかった。

 まったく。

 誰がこんな風に育てたのだろう。

 こうなるくらいなら、早めに殺しておけば良かったと。

 そう思った。



(了)

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