第46話 出立(32)


 和尚は、鬼に『化け物』呼ばわりされるような男だ。これくらいのことで恐れおののくことはなかった。

 「ふうん。そうか。お前さんがやったのか」

 それだけ、言った。その感想しか、この和尚は持たなかった。

 「そうともさ…なあ」

 「うん?」

 「…驚かぬのか。目の前に、人殺しの鬼がいるんだぞ」

 ぼそりと、鬼は問うた。

 「なんだ。驚いてほしかったのか」

 「そういうわけではないがなぁ」

 「じゃあ、なんだ」

 「…」

 嘉助の友は、ちいさく肩を竦めた。調子が狂ったのだろう。それを眺め…、

 「だがなあ。気の毒な友を背負い、可哀そうな女の子には、あんなに親切となった、心優しいお前さんが、どうして…ああも、無残な人殺しをした」

 和尚は、気になっていたことを問うた。

 「ぶち殺してやりたかったからだ」

 「…まさか、嘉助さんの敵討ちか」

 「まあ、俺としては、ただただあいつらをぶち殺してやりたかったから、そうしたのだ…けれど、人はそれを『敵討ち』と言うだろうな」

 「そうか…」

 和尚は、まじまじと鬼の顔を見つめた。そしてその鬼の眼に深い理知を見た彼は、

 ――優しさと凶暴、繊細と粗暴が、ひとつの体に同居するたあ、面白いな。こんな野郎は、お天道様の下に、こいつしかいないだろうよ。

 そう思った。しかしそんなことは口には出さず、

 「なあ…どうして、鬼ともあろうものが、嘉助さんにそうまで肩入れした」

 と、墓を見つめた。

 「…こやつはな、すごい奴だった。俺は、こやつの才能に惚れた。これから、こやつが生み出すであろうたくさんの曲のことを思うとなあ。ほんとうに、ほんとうに、わくわくしたよ」

 嘉助の友もまた、墓を見つめて、ぽつりと言ったことであった。永遠に失われたものを、今もなお、惜しんでいるのだろう。

 「お前さんが、そうまで心を動かされるとは、よほどなものだな」 

 「うん。そうだとも。こやつの笛の音を聴けば、それが楽しい曲ならば、どんな憂いをもった者でもその憂いを忘れて笑い、かなしい曲ならば、冥府の神だって泣くだろう」

 「そいつは、すごいな。あれ…たしか、須極井寺すごいでらに行ったら、そういう話が出てたな。迦陵頻伽かりょうびんがが現れるという吉瑞があったと…須極井寺なだけに、すごいことが起こったな」

 「だろう。すごかったのだ」

 「そうか。すごいな」

 和尚は、笑った。これに嘉助の友は頷いて、

 「だがな。こやつは、すごいくせに、誰からもすごくないように見られていたな」

 そう言った。

 「ふうん。なんでだ」

 「貧弱な体つきでさ、音楽の才能はあったが、他はまるで駄目なやつでさ」

 「そうか…」

 「こやつと初めて会ったのは、朱雀門でのことだった。門の下から聴こえてくる笛の音をちょっと聴いただけで、あの源博雅という男が蘇って、俺に会いに来たのだと思ったよ…そうしたら、違った。笛に夢中になりすぎて家を放り出された、この男だったよ」

 昔を思い出して、朱雀門の鬼は小さく笑った。まるで、目の前に嘉助本人がいるかのように、「こやつ、こやつ」と呼ぶのは…鬼にとっては、じっさい、嘉助もここにいたのだろう。

 「そういえば、大昔に、なんだかそんな話があったな。源博雅という音楽の天才が、お前さんと笛を奏でたという…あれは、ほんとうの話だったのか」

 ぼんやりとそれを思い出し、和尚は言った。

 「そうだよ。おめえ、よく知っているなあ」

 「それこそ、昔、朱雀門を通りかかったら、そんなことを若い男が訳知り顔で自分の女に言ってたよ」

 「ははあ。俺も有名になったものだな」

 「そうともさ。有名だよ」

 「…こやつの笛の音色は、まことにあの時の源博雅のものとよく似ていた。俺は不思議に思ったよ。こやつと話してみるとな、こやつは以前、源博雅と会って、笛を教わっている」

 「なんでそう思う。時代が違うではないか。源博雅という男は、とうの昔に死んでいる」

 「こやつはな、俺に会う前にもやっぱり家を追い出されて、どこぞで笛を吹いて夜を明かしたことがあったのさ。源博雅というのも、音楽ばかだ。音楽に関してはなんだってするやつだ。こやつの笛の音に誘われて、ふらりとこやつの前に現れたのだろうよ…考えてみろ。小野篁おののたかむら(※1)がことを。井戸をつかってあの世とこの世を行き来してたという奴だっていたのだ。それを思えば、こんなこと不思議ではないぞ…それになあ、今、おめえの前にいる俺は、誰だ…それに比べれば、嘉助という天賦てんぷの才の前に、同じ天賦の才を持つ源博雅の霊が現れることなんざあ、なんの不思議もないぞ」

 これを聞いて、和尚は得心し、

 「まあ、そうに違いないな」

 こう頷いたことであった。

 「だろう。俺は耳がいい。源博雅という男の笛の特徴は、覚えている。その俺が聞き違えたのは…博雅の愛弟子といえる男の笛であったからだ」

 「そうか…そうかもな」

 「まあな、こやつはな奴だったからな。憧れの人の幽霊と出会って、笛を教えてもらったなんて…思ってなかったろ。少なくとも、俺と会ったときには、気づいてなかったぜ。今、墓の下でこれを聞いて初めて知って、驚き慌てているかもしれねえんだ。こやつが、俺にとつぜん話しかけてきた時だって、その訳をきいたら、『おばけや幽霊が出そうな夜だから話しかけたのだ』と答えたのだぜ。怖くて怖くて、しかたがなかったんだろ。おばけが怖くて、うっかりおばけに話しかけるだ。あの時、『俺がおばけだ』と言ってたら、こいつぁしすぎて死んでしまったろうよ…おい、よくよく考えてみたら、こやつ、おばけにも幽霊にも、会ってるぞ」

 「あっ、そうだ。そうだな」

 二人は、声をあげて笑った。

 「なんだか、嘉助さんは、肝が大きいんだか小さいんだか、わからないやつだな」

 「そうさ」

 「いとさんは、しっかりしてるのにな」

 「父ちゃんがだから、いとちゃんがしっかり者になったんだろ」

 まだ、二人は笑っている。

 「…だが、嘉助さんは呑気者だが、たいしたものだ。確かに、すごいやつだな」

 「おうよ。それで、長らくいたも、いつの間にか、将軍のお気に入りとなった。義政っていう、芸術好きなやつだ。ようやく日の目を見たんだ。こやつのかみさんも喜んでな。ほっとしたんだろ」

 「ほほう」

 「ほっとしすぎて、かみさんは死んだよ」

 「…へえ…さぞ、嘉助さんは気落ちしたろう」

 「したさ。もうどうしようもなく落ち込んで、落ち込んで…でも、こやつを救うのは、やっぱり笛だったねえ。こういう種類の男ってのはな、自分で美しいものを作って、なんとかしようとするのさ。なんでも、芸の肥やしにしてしまうのさ。かみさんをしのぶために、とても美しい曲を作った。そして、自分を心配しているに違いない、義政公に聴いてもらおうとしたのさ」

 「ほほう」

 「足利義政という男はなあ。まつりごとを生業とする者どもとよりも、美しいものを生み出す者どもと語らうことが好きだったようだ。音楽のことでも、そういうことをしたかったのだろう。嘉助の笛を再び聴けるならと、当時の笛の大家であった乙梨疎道を呼びつけた。嘉助の笛の演奏のあと、三人で談笑して…自分が橋渡しをして、嘉助に友だちを作ってやろうとしたのかもしれない。『そうしたら、嘉助も元気になるやもしれぬ』となあ。義政公たあ、そういう人柄の男であったよ」

 


(※1) 小野篁…平安時代の政治家。『井戸をつかってあの世とこの世を行き来し、夜は、閻魔大王に仕えていた』という伝説がある。




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