第44話 出立(31)


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※今回の話は、暴力と流血の場面があります。暴力的な描写や流血シーンの苦手な方、15歳の年齢に近い方にも心地よく作品を読んでいただくために、『出立(31)・改』を用意しました。暴力的な描写や流血シーンの苦手な方、15歳の年齢に近い方は、『出立(31)・改』をお読みいただければと思います。

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 前述の『少右記』には、こうある――


寛正三年某月某日

 乙梨疎道は優れた楽人で、かつて時の将軍の前で『亡国の音』が奏でられたときには、これを奏でた者を咎めるほどの底知れぬ博識をもっていた。

 今日、彼が屋敷でくつろいでいると、俄かに恐ろしい鬼が押し入ってきた。家人が騒ぐなか、この鬼は疎道をさらうと屋敷の屋根に上り、

 「『亡国の音』の怨み、覚えていような!」

 そう大喝するや、疎道の体を力任せに引き裂いた。鬼の怪力である。

 「あなや」(※1)

 という、おそろしい断末魔の声とともに、血の雨が降った。


 和尚が、須極井寺や知人をまわって聞いた話も、以上のような内容であった。

 和尚は、登谷を離れる前にから、叔母と組んで彼女を東国へ連れていった商人の名を訊いていたから、そやつのところへも行ってみた。表向きはで、確かにそやつの店はあった。いろいろ尋ねてまわってみると、この商人は、裏の世界でも名の通った男であった。兄貴分と組んで、相当ひどいことをしていたようだ。

 今は、もういない。

 兄貴分は、疎道と同じ日に、ぶらぶら四辻をうろついていたところを、急に現れた鬼にぶちのめされ、壁に叩きつけられて圧死してしまった。

 弟分の商人のほうは…重信にぺしゃんこにされ、ほうほうのていで帰ってきたところを、鬼に襲われ、首を鋭い爪で掻っ切られて死んだという。

 どいつもこいつも、死んでいた。

 

 登谷を離れる前に、和尚が、

 『親御さんの墓、どこだ? きっとさんのことを心配しているだろうから、墓参りをして、息災を墓前に報告してやるよ』

 そう尋ねると、いとは喜んでいた。そして、その墓のありかを教えるうちに…京の都の、どこに何があるのかを、和尚がずいぶんとわかっているので、

 『昔、都に住んでいらしたのですか』

 と不思議そうにしていたものだ。

 今――その墓の前に立って、和尚は嘉助に尋ねている。

 もう夕暮れの頃だ。今日の探索は、これで終いだろう。

 「よう。嘉助さんよう。お前さんとは『はじめまして』なんだけどな。わけを教えてくれねえか。当事者は、みんなお陀仏だぶつなんだよ。これは、どういうことだ」

 和尚は、苦労してようやく人々から聞いた話がどうにも凄すぎて、いとや重信にどう言っていいやら、わからない。

 『みんな死んじゃってたよ』

 そうありのままを言えばいいのだろうが、それでは経緯がわからないから、どこか、嘘のようにも聞こえる。誰も納得するまい。しかし、ことのすべてを知っているようなやつは、皆、死んでいる。

 「どういうことだ…どうしたものか…」

 嘉助の墓の前に言って、和尚は墓に尋ねてみた。

 すると、背後に足音がした。

 恐ろしい気配に、和尚の体は総毛だった。

 「教えてやろうか。教えてやるその前に、おめえは誰だ…言ってみな」

 足音の主は、陰気な声で、そう問うた。

 ふり返ると――虎髭で、鬼みたいな面相の、見るからに恐ろしい様子の男が立っていた。その姿を、男の背後の落日が不気味な朱色に照らしていた。

 他に、人影はない。

 「今日、お前はいろいろなところへ行き、知り合いらしいのと嘉助の噂話をしたり、赤の他人には、『嘉助に金を貸したやつの使い』だと言って嘉助のことを訊きだそうとしたりしたな…なにが狙いだ」

 男は、暗い目をしている。人殺しの眼だ。場合によっては、和尚も殺すつもりだろう。そのきたなく、鋭い爪を持った手を眺め…、

 「訊く前に、名乗れ」

 傲然、和尚は問うた。

 「俺は、この墓に眠る男の、友だちだ」

 男の返答を聞いた和尚の顔に、喜色が浮かんだ。

 「お前さん、笛を知っているか。葉が一つ、ついている笛だ」

 「…なぜ、それを知っている?」

 嘉助の友の眼に、殺意とはべつの感情が揺らめいた。

 「俺は、いとさんの使いだ。借金とりがどうのってのは、方便さ。嘉助さんのことを尋ねると、なぜか皆、口をつぐむ。俺が誰かを怪しむ。だからさ。こういって訊いて回るのが、いちばん怪しまれずにすむと思ってなぁ。俺はなぁ…、いとさんの親御さんに娘さんの無事を知らせてやろうと、ここに来たのだ」

 「おお…あの娘は、元気かっ!」

 嘉助の友は、相好を崩した。

 「元気だよ。幸せにしてるよ。今は、旦那もいてなぁ。いい奴だよ。互いに好きあって夫婦になったんだ。似合いの夫婦だ。あれは、共白髪ともしらがとなるまでうまくいくよ。もう、いとさんの腹ん中に(※2)もいらあ。もうすぐ、いとさんはお母さんだ」

 「ほう」

 男は、まぶしそうに眼をすがめ、口元を喜びに歪めた。

 「俺は、その旦那の縁者だ。いとさんを狙った悪人どもが、またなにかちょっかいをかけてくるのではないかと心配して、いとさんの旦那が、都に寄越したのだ」

 「へええ…その旦那というのは、たいしたやつだ」

 「いとさんはなあ、お父さんの友だちから貰った笛でな、俺にきれいな曲を聴かせてくれたよ。あの笛、ずいぶん大事にしてたよ」

 これを聞くと、

 「そうか…そうか…」

 男は今度こそ愉快そうに声をたてて笑った。

 「あの笛をくれてやった、お父さんの友だちってのは、お前さんか」

 「…そうだ」

 「嘉助さんには、友だちがいたというな。いとさんがそう言ってたぜ。汚名を着せられて亡くなった嘉助さんに、その友は優しかった。暴力を受けたときも彼を背に負い、仏となったときも彼を背に負って、ここまで運んできて弔ってくれたそうな。いとさんがなあ、その話を俺にしながら、ぽろぽろ泣いてたぜ。お前さんに感謝してるんだろ」

 「そうかい…」

 「あの笛は、強い願いがこめられていた。祈りといっていいものだった」

 「…」

 「その祈りが、悪党どもの餌食にならぬよう、いとさんを守っていたな」

 「…そうだ」

 「…お前さん、人ではないね?」

 そう問いかけ、相手が静かに頷くのを待って…、

 「俺は、乙梨疎道という男に『いとは世を儚んで死んだ』と、嘘を吹き込んで諦めさせてこい、といとさんの旦那に言われてきたんだが、…野郎はすでに死んでいてな。それだけじゃない。いとさんを東国に連れていった商人も、こっちに逃げ帰ってから、やっぱり殺されていた」

 「ほう」

 愉快そうに男は目を細めた。ただ、その笑みに、さきほどの陽気さはなかった。

 「…ちょっとそいつらの話を聞かせてくれないか。俺は、いとさんや、その旦那に、そのあと都でなにがあったか教えてやりたいのだ。できることなら、昔、嘉助さんに何があったのかや、どうしてこうなったのかも、いとさんたちに教えてやりたい。当時こどもだったさんにはわからなかった、なにかが、あったな?」

 「どうして、そう思う」

 「『亡国の音』を欲しがった、乙梨疎道の魂胆がわからん」

 「まあ、そうだろうな」

 「いとさんの話を聞いて、俺も、いとさんの旦那も、この話にはいとさんにはわからない裏があると、そう思っている。嘉助さんの友だちのあんたなら、何か知っているだろう…いとさんは、まだ、父御がひどい失敗をしたせいで失脚したのだと思っている。それでもあの娘は父御のことを好きだと、俺はその話ぶりを聞いていてわかる」

 「…そういう娘だったよ、あの娘」

 「だからさ。ほんとうのことがわかったとして、もしそれが、世間の言う通りの内容であるならば是非もない。しかし、もしそれがいい話なら、いとさんに聞かせてやりたいのだ。頼む」

 和尚は、頭を下げた。

 「…そう訊きながら、おめえは内心、わかっているのではないか?」

 そう告げる男の声は、陰に籠っている。

 「…なに?」

 「誰が乙梨どもを殺したかを、さ」

 「…」

 「俺が人でないこと。化け物であること。それを知っていながら、こうやって並の喋り方をするとは、お前はそうとう肝が据わっているなあ。まるで俺と同じ、化け物だ」

 男は、そう言って和尚の顔を覗き込んだ。

 「…」

 和尚は、何も答えぬ。

 「そんな怖え顔するなよ…そうさ。俺が、嘉助やちゃんを苛めぬいた奴らを、殺してやったんだよ。この、朱雀門の鬼がな、みんな、みんな、殺してやった。憎いを、生かしたまま、頭から食ってやろうとも思ったが、俺は口がきれえなんだ。あんな不味そうなのは、食わねえよ。腹ぁこわしそうで、嫌だ。だから、たたっ殺してやったのさ。殺してやった」

 こう言うと、嘉助の友は、心底おかしそうに、

 「ひゃっひゃっひゃっ」

 と声をたてて笑った。



 (※1) 断末魔の叫びの一種。

 (※2) 赤ん坊。

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