滝野物語
市川楓恵
第1話 愛鷹山(1)
その男の姿を見とめて、
――ああ。この男だ。
そう思った。
夢のお告げは、まこととなった。彼のもとを訪れるといわれたその人物は、なるほどお告げのとおり、「会えば、わかる」の佇まいをしていた。
盛時の館は、
彼への仕官を目指し、数日のあいだ、門番に疎まれながらも、男は館の前で盛時が通りかかるのを待っていたという。五十がらみの、実直そうな面構えであった。
どこか、不思議な雰囲気をしている。
人の目を奪うのは、その腰に差した、なんとも大きな刀だ。並の刀より、二回りはある。
――あの形は、もとは
盛時は、そう察した。
太刀であった頃は、どのような代物あったか。これまでに、どれだけ
そんな妖刀を腰にさげて、これなる約束の客は、なんとも
男の背後で、沼津のおだやかな海が、
――ああ、美しい。
この海は、日頃から見ている。
しかし、いまの
――あそこへ、行きたい。
そう強く盛時は願い、…不意に理解した。
「ああ…今、決したぞ。俺は、あの場所に行くのだ」
心に起こった激しい思いが、つい、口からぽろりところげ出た。それに、盛時当人は気づきもしない。我を忘れていた。あの煌めきが、これからの己の一生を照らすのだと、そう悟ったのだ。この男が、あの輝かしいところへ、俺を連れていってくれる。居ても立っても居られるものか。
盛時が、これなるよそ者へ駒を進めると、近習の者たちに緊張が走った。盛時はかまうことなく男へ、
「聞いたぞ。俺に仕えたいとか」
すると男は、ていねいにお辞儀をして、
「はい。今年に
こう答えた。
「その方、名はなんと申す」
「
――石頭…そんな故事がなにかあったか。こやつ、『石に枕し、流れに
聞いてみないとわからない。それで、
「おもしろい名だな。
すると石頭斎は、
「謂れですか…たいした謂れはございません。わが主が、よく
こう、答えたことだった。
どこか人を食ったような話だが、答えたほうは大真面目である。
盛時はぷっと吹きだし、
「おもしろいやつだ。少し、中で話をいたそう」
狩に行くのをやめ、石頭斎を館に招じ入れた。
「こんなことってあるものか…」
これを見ていた人々は、不思議がった。この館の主が、一介の浪人と話をするために狩をやめるなど、ふだんありえないことであった。ましてや、その男を親しく館の内に招じ入れるとは。
元来、この殿様・伊勢盛時は注意深い男だ。今年で三十八才である。あの
そんな人物が、軽々なことをする筈がない。
「なぁに。あの石頭とかいうのは、いぜんお殿様が使っていた、
訳知り顔で、そんなことを言う家中の者もあった。
「なるほど、そうかもしれぬ…」
いかにもこの殿様は、そういうことがありそうな人物であった。
しかし、結局のところは、彼等に真相はなにもわからないままとなった。
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