第54話 桜姉だけにできること


 南城病院の手術室の前には、五人の姉全員が集結していた。


 母は既に手術服を着て夫真二のサポートとして手術室に入っている。


 皆がだまっている間に、詳しい事情を知らない桜のためもあり、蓮華は静かな殺気を湛えたまま、自らの心情を語る。


「なあ桜、今回はさあ……歩人の奴が、道路に飛び出したガキ助けようとして起こった事で、車のドライバーに歩人をどうこうしようなんて気はなかったわけだけどよう……」


 あまりに強すぎる感情はある種の壁を越えて、もはや人間の言語で表現できない別の何かへと変わっていた。


「もしもこれで歩人が死んだら、あたしは殺すぜ……ドライバーも、道路に飛び出したバカなガキも、その親も……法律なんて知ったこっちゃねえ……皆殺しだ……」


 蓮華の只ならぬ様子に桜が一瞬怯えると、手術室のドアが開き、マスクをはずしながらなずなが出てきた。

 姉達はすぐに駆け寄り歩人の安否を尋ねるが、なずなはあくまで冷静に返した。


「大丈夫、あゆちゃんは助かるわ」


 その言葉で全員が大きく息を吐き出して安堵した。

 だがなずなはすぐに次の言葉を口にする。


「だけど、血が足りないわ」

「あーくんの血液型って確か……」


 眞由美の言葉に全員が思い出す。


「そう、あゆちゃんの血液型はOO型ボンベイタイプ、数十万から数百万人に一人と言われていて存在が確認されている人は国内に数えるほどしかいない稀血、だからこういう時のためにあゆちゃんの血は日ごろから少しずつ輸血パックに蓄えていたんだけど、それも足りないわ……」

「OO型のボクの血じゃ駄目なの?」

「駄目よ、同じOO型でもあずきちゃんの血をあゆちゃんに輸血したら即凝固反応を示すでしょうね」


 姉妹達に落胆の影が射すが、すぐに母の言った「助かる」という言葉を思い出した。


「なるほど、そういうことか……」

「そういえばそうだったね」

「でもこれってどんな確率ですか?」

「そうそう、ボク以外にもOO型がいたね」


 四人の姉妹は一斉に振り向き桜を見た。


「えっ……?」


 なずなが進み出て、桜の肩に優しく手を乗せた。


「桜ちゃん、勉強だとか、料理の腕とかは……努力でどうにでもなる、だけどね、桜ちゃんは他のお姉ちゃん達がどんなに頑張っても与えられない救いをあゆちゃんにあげられるんだよ」


 母の語り掛けに、桜の涙腺からいくつもの歓喜の雫が流れ、桜はスカートの裾を握り締めた。


「……うん!」


 桜はなずなに連れられて手術室に入るとすぐに採血の準備に入った。


「限界量の一,二リットル、一度にもらうから少しクラッとくるよ」

「はい!」


 同じ家に同じ型のボンベイタイプが二人、確率を考えれば、どんな奇跡かと誰もが思うだろう。

 そう、いくら親戚だからといって、このような幸運は、奇跡としか言いようがない。

 その奇跡を、自分と歩人を繫ぐ関係に、桜は魂の底から多幸感に満たされた。

 自分の血が歩人に流れ込んでいくのを見て、桜の顔はほころんだ。




 次の日の朝、桜は歩人の眠るベッドの横で、歩人が起きるのを待ちながら、その寝顔を見つめていた。


 大量の血を抜いたと言うのに、二人だけの病室では顔が熱くなってきたように感じる。


 なんでこんな時に限って他の姉達は誰も来ないのかと怨みつつ、今だけは歩人を独占できているような気がして、少し嬉しかった。


「歩人くん……」


 昨日の夕方に、歩人が自分に言ってくれた慰めの言葉が、表情を何度も頭の中で反芻する。


 その歩人の中に、大好きな人の中に自分の血液が流れている。


 そこまで考えて、歩人の中に自分の体液が流れていると思うと、急に顔の赤みが増した。


「あうぅ……」


 言いようの無い気恥ずかしさに歩人の顔から思わず目を背け、それからもう一度見る。


「歩人くん…………」


 周囲に誰もいない事、窓とドアを集中的に見て、桜は顔を歩人に接近させる。


「……このくらい、いいよね?」


 二人の唇が触れそうになるまで近づくが、そこで止まる。


「……………………あぁ」


 そうして、桜の唇は、愛しい人の……頬に接触した。

 目をつぶって、歩人の体に手を添える。


(とりあえず……今はこれだけ……)


 桜が目が開き、桜は絶句した。

 歩人の目が開いている。

 おそらくは自分と同じ位の紅い顔でだ。


「……さく姉?」

「あぅああああああ!!!」


 桜がバッと飛び退いて高速で頭を上げ下げする。


「ごめんなさいごめんなさい! 本当にごめんなさい! こんなはしたない事して、ほんの出来心だったの! だから……あ……」


 血を抜きすぎた後の激しい運動に、桜の脳が酸欠を起こして体がフラついた。

 歩人の横たわるベッドによりかかり、顔が歩人の掛け布団にふれるほど下がる。

 その直後、歩人が口を開いた。


「そんなに謝らなくていいよ、さく姉」


 優しい言葉に、思わず桜は自分の思いを口にする。


「あのね歩人くん、あたしね、普段は何もしてあげられないけど……歩人くんが死にそうな時に助けられるのはあたしだけで……だから……」


 歩人と桜の視線が絡む。


「もう、大丈夫だよ」

「さく姉……」


 歩人の手が桜の頭を撫でる。

 その手が暖かすぎて、思わず桜の感情が理性を凌駕してしまった。


「歩人くん……大好き!」


 桜の唇が歩人の口を塞ぐ、歩人の脳が沸騰する。

 しばらくしてから口が離れて桜は顔を蕩(とろ)かした。

 その様子を、病室のドアの隙間から見ていた姉達が小声で囁きあう。


 あずきが「今日だけなんだから~」

 麻香麻が「そうそう、今日は見逃してあげましょう」

 眞由美が「ええ、可愛い弟と妹のためだもの……」

 蓮華が「ああ、だってあたし達はあの二人の、歩人と桜の……」

 四人が同時に「お姉ちゃんだから」

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