第53話 弟の危機


 結局、桜とは一言も話さないまま放課後になり、一人で早々と帰った桜の後を、歩人は追った。


「待ってくれよさく姉」


 周囲の目がなくなる辺りの帰路の途中で、歩人は強引に桜の肩を掴んで足を止めさせた。


「さく姉、なんか勘違いしてるって……」

「勘違い……?」


「そうだよ、だってそうだろ? なんで姉さんだからって弟に何かしてやらなきゃなんないんだよ? さく姉はさく姉だろ? 俺に縛られる必要なんてどこにも無いだろ?」


「…………」


「それに、姉さんって言ったって、俺早生まれでずっとさく姉と同じ学年で、周りからもよく双子だと思われてたし、俺、あんまりさく姉の事姉さんていうか、本当に上下のない兄弟って感じが強くて……何言ってんだ俺、えーと、とにかく上手く言えないけど……」


 歩人は力強い眼差しでしっかりと桜と目を合わせて断言した。


「俺は姉さんが無能なんて思ってない! 姉さんはいつだって最善を尽くそうと努力してきた、何かに必死になれるのはそれだけで凄い才能なんだよ、だから俺は……俺は……いつも必死に頑張っているさく姉の事が大好きだよ!!」


 桜の顔から影が消えた。


「だから、俺はさく姉の事が好きだから、いつも笑ってて欲しいし……さく姉?」


 見開かれた目からは、一筋の涙が流れる。

 桜は顔を隠すように、歩人をその場に残して走った。

 後ろからは歩人の呼び止める声が聞こえるが無理矢理頭の中から締め出した。

 桜は走った。

 泣きながら走った。

 気付いたのだ。

 気付いてしまったのだ。


 自分は本当に、どうしようもなく、一人の男の子として歩人の事が好きなのだと……


 好きになったきっかけなんて無い。


 ただ、ものごころついた時から歩人はいつも自分の一番近くにいて、いつも一緒にいて、一番長い時間を過ごした男の子で……


 家族とか、弟だとかいうのは関係無かった。


 素直で明るくて優しくて、自分の事よりみんなを優先して、普段はおとなしいのに、姉絡みの事になると自分の命を勘定にいれず尽力し続ける。


 そんな歩人の事が、いつからというわけではなく、子供の頃から自然と好きになっていった。


 そうだ、だから何かしてあげたかったのだろう。


 歩人の事が好きだから、歩人に自分を見て欲しくて、歩人に好かれたくて、いつもバカみたいに躍起(やっき)になって。


 でも、自分の気持ちの本当の意味を、先程の歩人の言葉で知ってしまった。


 だからこそ、重たかった。

 姉としてだけでは無い。

 自分は女として、歩人の彼女としても何もしてあげられない。


 姉が恋人なんて無理な話だが、もしもそんな事が可能なら、それこそ他の四人の姉が相応しい。


 南城桜は、自分の分を弁(わきま)えるタイプの女だった。


 足りない行動も、出過ぎた行動もしない。


 歩人が好きなのに、歩人の彼女にして欲しいのに、姉弟なんて関係無いくらい歩人が欲しいのに、姉弟である事実は変わらず、仮にできても自分より相応しい人達がいる。


 桜は、必死に鳴き声を押し殺して走り続けた。




 家に帰ると、ベッドに潜り込み、桜はまた泣いた。

 母のなずなも慰めようとしてくれたが、それも冷たく突き放した。


「……歩人くん」


 その名を口にした瞬間、部屋のドアが突然開いた。


「桜ちゃん!」


 慌てふためいた母の声に飛び起き、母を見る。


「今電話があって、あゆちゃんが……あゆちゃんが……」


 普段の幼さが無くなり、青ざめた顔の母に気圧されつつ、桜は問う。


「歩人くんが、どうかしたの?」

「あゆちゃんが車にはねられて死にそうだって!」


 母の口から吐き出された言葉に、桜は足元が崩れたような感覚に襲われ、その場に腰を落とした。


「……うそ」



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