桐生さんは掴みたい

山夜みい

第1話


「不味い」


 一生懸命作った料理が突き返されるの生まれて初めてのことだった。

 おかしい。親友の柚子ちゃんにも『さくらちゃん、料理上手いね』と言われたはずなのに。


 さくらは突き返された料理を味見する。

 うん、悪くない。むしろ美味しい。これのなにが不満なのか。

 抗議の視線を向けると、『彼』は真顔で言った。


「弁当の割には味付けが甘い。鳥の臭みも取れていないしきんぴら牛蒡だって生煮えだ。

 卵焼きは白身と黄味がちゃんと混ざっていないから気持ち悪いしパサパサだし形も悪い」


「……………………ぐ、う」


 ぐうの音は出てしまったが、存外にまともな意見だ。

 少しくらい褒めてくれてもいいのにと思わなくもないが。


「分かったろ。これに懲りたら、俺と関わるのはやめて……」


「──納得、出来ません」


 さくらは顔を上げ、おろどく『彼』を真っ向から睨みつける。


「明日も持ってきます」


「は? お前、」


「絶対に、美味しいって言わせてやるんですからねっ!」


 桐生さくらの挑戦が始まった瞬間だった。




 ◆




 出会いの話をしよう。

 桐生さくらが『彼』と出会ったのは雨の日のことだった。


 ──楠高校には大鬼オーガがいる。


 曰く、身長は180センチを超え、熊のような体格に切れ長の瞳を持つ怖い男。

 曰く、何十人もの不良たちを相手取り、かすり傷一つつかなかった現代の呂布奉先。

 曰く、男は目にするだけで失禁してしまいそうな鋭い眼光を放つ。


 楠高校にいる者ならば誰も耳にしたことがあるであろう噂。

 怖いもの見たさに『鬼』に近付いた者は噂よりも恐ろしい容貌に腰を抜かしたのだとか。


 ──そんな男が、可愛い猫ちゃんにエサをあげていた。


 野良猫だろうか。

 公園の片隅でベンチの下に座る猫に、購買で売っていたパンをあげている。

 しんしんと降りしきる雨から猫を守ろうと、わざわざベンチに傘を差していた。


 自分が濡れるのも構わないその姿に、つい足が動いてしまう。


「……濡れてしまいますよ?」


「……?」


 傘を差しだすと、男はゆっくりと振り返った。

 噂通り目つきは悪い。

 切れ長の瞳も、額についた傷も、柔道家顔負けの体格も、威圧感をかもしだす。

 けれど、怖くはなかった。先ほどの場面を見ていたからだろう。


「あんた……桐生さくら?」


「私のこと、ご存じなんですか」


「有名人だからな。楠高のさくら姫」


 さくらは曖昧な笑みを浮かべた。

 一部の者からそう呼ばれていることは知っているが、あまりいい気はしていない。

 確かに、夜のように深いと言われる黒髪は毎日手入れを欠かしていないし、胸も発育がよく、告白された数も多い。客観的に見て、いわゆる『綺麗な女の子』の見た目だろうけれど……。


(私は、姫なんて呼ばれるような女じゃありません)


 世間と認識のギャップに悩んでいると、いつの間にか楠高のオーガが隣を通り過ぎていた。

 彼が持っていた傘はベンチにかけたままだ。

 家までどれくらいかは知らないが、さすがに濡れたままでは。


「風邪引いてしまいますよ! せめて私の傘に……」


「余計なお世話だ」


 鬼は後ろ目で振り返った。

 熊をも怯えさせるという噂の眼光が突き刺さる。


「俺に関わるな。痛い目に合いたくなきゃな」


「猫ちゃんにエサをあげるような人が、暴力を振るうとは思いません」


「うるせぇ」


「毎日エサをあげてるんですか? 今日はたまたま?」


「たまたまだろうが、毎日だろうが、俺の勝手だろ」


 恥ずかしげもなく、彼は言った。

 人目を気にせず、堂々と公園を去っていく彼の背中をさくらは見つめる。


「勝手ですけど……心配くらい、してもいいじゃないですか」


 むう。と頬が膨らんでしまう。

 噂の『鬼』が猫にエサをあげているという、不似合いな場面。

 会話したのも今日が初めてだけれど、あれを見てしまったら怖いものも怖がれない。


 世間とは違った鬼の本質に、さくらは興味を惹かれていた。


「尾賀零士くん、か」


 雲の切れ間から差し込む光がさくらの頭上を照らし出す。

 もうすぐ雨が上がる。彼が家に着くまでにあがればいいとさくらは思う。


 翌日、尾賀零士は学校を休んでいた。

 だから言ったのにとさくらは思った。




 尾賀零士とさくらは隣のクラスで、先日の公園で会話したのが初めての出会い。

 にも関わらずさくらが彼の顔を知っていたのは、出席番号が近いからだ。


 全校集会や学年集会ではクラス順に生徒が並ばされ、多くは出席番号順になる。

 尾賀零士と桐生さくらはこういった集会では隣同士だった。

 物静かで、強面。自分には縁のない人だろうとは思っていたが。


(尾賀くん、今日も一人ですね……)


 移動教室や休み時間、隣のクラスを覗いて見えるのは窓際の席に座る尾賀零士。

 公園での件から時々こうして覗いているが、彼が誰かと話している姿を見たことがなかった。


(友達、いないんでしょうか)


 改めて気にするようになって分かったことだが。

 尾賀零士という人間は噂に反して物静かで、大人しい生徒だ。


 確かに顔は怖いし目つきは悪いし、うっかり人を傷つけて居そうな見た目をしているが。

 荷物の多い教師を手伝ってあげたり自分の意思が弱い生徒を声の大きい生徒から助けて居たりと。

 その怖さに反して、よくよく見てみれば、かなり優しい一面を持っている。


『さくら。最近、尾賀くんのことよく見てるよね』


 幼馴染の親友にそう言われるくらいには、さくらは尾賀のことを目で追っていた。

 別に、好いた惚れたという話ではない。

 ただ周りを一顧だにせず孤高を貫く彼の背中が、少しだけ眩しくて。


(み、見つけた……!)


 昼休み。

 さくらは学校中を探し回って尾賀を見つけた。

 昼休みに隣のクラスを訪れた時には消えている──幻の鬼は。

 立ち入り禁止のはずの屋上に一人佇んでいた。


(あんなところで一人で……というかどうやって鍵を?)


 多くの学校がそうであるように、楠高校の学校は立ち入り禁止だ。

 普段は鍵がかかっているはずなのだが。

 ふと視線を落としてみれば、頑丈な鍵は壊されていた。


(も、もしかして壊したんですか!?)


 さくらの頬がひきつる。

 咎めるべきだろうか。先生に報告する?

 さまざまな思考が浮かんでは消えて──最後に、さくらは己の事情を優先することにした。


(お話を、しましょう。屋上のことは、それからで……)


 あとのことはあとで考えればいい。

 そう結論づけたさくらは尾賀零士に声をかけるべく、屋上のドアを開ける。


 その前に。

 ぴたりと動きを止めて。


 そして、気付いた。


(は、話しかける理由が、ない……!)


 愕然とした。自分に呆れかえるよりほかなかった。


(な、なんて話しかけたら……あなたに興味があるからお話しませんか、とか……って告白ですか!?)


 繰り返すが、好いた惚れたの話ではないのだ。

 ただほんの少し。異性云々に関係のない、ほんの少しの興味。

 さくらの認識はその程度で、話題もないのに話しかけていけるほどのコミュニケーション能力は持ち合わせていなかった。


(公園の時は、傘を差しだせばよかっただけですけど)


 理由もないのに話しかける、それは上級者のテクニック。

 加えて女子が男子にそうすることは、いわゆる『気を持たせる』ことに該当するはずで。

 なまじ容姿が優れているから苦い経験を一通りしているさくらとしては、避けたい事態だった。


(う~~~どうしましょ……ってあら?)


 ドアの隙間から覗くさくらの目が、尾賀零士の手元を捉える。

 食べきった購買パンの残骸、腹を抑える零士の虚空を見つめる瞳。

 そして自分の手元には、まだ手をつけていない弁当箱が。


(これです!)


 さくらは撤退を決断。

 翌日、思いついた策を実行するために早起きした。





「あ、あれ~? 屋上が空いていますね~?」


 そろり、と屋上の扉を開いたさくらを見て尾賀零士がぎょっと肩を跳ねた。

 狙い通りだと思いながら、さくらは偶然・・居合わせた尾賀零士に目を止める。


「おやぁ? 尾賀くんではないですかー」


「桐生さくら……」


「なにしているんですかー? ここは立ち入り禁止ですよー?」


 棒読みのさくらの言葉に、気まずげな尾賀は目を逸らす。

 公園の時のように「うるせぇ」と一蹴しない当たり、規則破りの自覚はあるようだ。

 いかつい顔が情けない表情を見せているのは思いのほか……。


(かわいい)


 犬や猫に感じる構いたがりを発揮しながら、さくらは零士に近付いた。

 零士の手元には昨日と同じパンの残骸。直前までお腹を押さえていたことは確認済み。


「一人ですか? ご一緒にしても」


「断る」


 零士は立ち上がった。

 ぬう、と熊が起き上がったような威圧感がさくらを覆う。


「一人で食べろ。俺はよそに行く」


 そうしてすたすたと去っていきそうな零士に。

 さくらは、むう。と唸りながら、切り札を切る。


「──尾賀くんって、毎日屋上でごはんを食べてますよね?」


「……それがなんだ」


「困るんじゃないですか? 私が、先生に報告したら」


 屋上を見渡して、


「ここ、使えなくなりますよ?」


「……」


 零士は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「何が望みだ」


「別になにも? ただ、お弁当を作りすぎちゃいまして」


 さくらは手に持っていた弁当箱の包みを掲げる。


「一緒に食べてくれませんか?」


「……」


 零士は黙って元の位置に戻る。

 さくらは満足げに口元を緩めながら、お弁当箱の包みを開いた。


 今日の弁当箱は、たまご焼き、から揚げ、ほうれんそうの胡麻和え、きんぴら牛蒡、ごはん。

 から揚げが嫌いな男子はいまい。そう考えてのチョイスだ。


「はい、どうぞ」


「……ずいぶん作ったんだな。これ、最初から二人分あるんじゃ」


「気のせいですよ」


「にしては、弁当箱も二つに分けられて……」


「気のせいですよ」


 にっこりと、さくらは笑う。

 零士はぶすっと黙った。若干、呆れているように見える。

 それから何かを察したように頷き、彼は割り箸を割って手を合わせた。


「……いただきます」


「はい、どうぞ」


 話しかけための口実とはいえ、自分が作ったものを他人に食べてもらうのは緊張する。

 味付けは悪くないはずだ。しっかりとレシピ通りにやったし、味見もした。

 自分でいうのもなんだが、女子力が高いお弁当になったはず。


 だからさくらの心は『美味しい』と言われる準備が出来ていた。

 美味しいと言われると朝早く起きた苦労が報われるというものだ。


「不味い」


「いえいえ、それほどでも…………………………はい?」


「不味い」


 零士は真顔で言った。

 さくらはぽかんと目を見開く。


「弁当の割には味付けが甘い。鳥の臭みも取れていないしきんぴら牛蒡だって生煮えだ。

 卵焼きは白身と黄味がちゃんと混ざっていないから気持ち悪いしパサパサだし形も悪い」


「……………………ぐ、う」


 ぐうの音は出てしまったが、存外にまともな意見だ。

 少しくらい褒めてくれてもいいのにと思わなくもないが。


「分かったろ。これに懲りたら、俺と関わるのはやめて……」


「──納得、出来ません」


 さくらは顔を上げ、おどろく『彼』を真っ向から睨みつける。

 最初は純粋な興味。お弁当は彼と関わるための口実だった。

 けれど、ここまで虚仮にされて引き下がれば女が廃る。


(く、や、し、い……!)


 負けず嫌いのさくらの心に火がついた。


「明日も持ってきます」


「は? お前、」


「絶対に、美味しいって言わせてやるんですからねっ!」


 こうして、話は冒頭に戻るのである。



 ◆



 さくらは手を変え品を変え、零士に弁当箱を持って行った。

 ある時はトンカツ、ある時は魚の煮物、ある時はグラタンなどなど。

 男子から女子まで、好きであろうものをこれでもかと詰め込み、持って行った。


 けれどそのたびに彼は言うのだ。


 例えば、トンカツを作った日には。


『火が通りすぎてる。細い肉だからもっと柔らかくしないと固すぎて食べられない。

 弁当なんだから余熱はちゃんと考えるべきだろ。肉選びからやり直せ』


 例えば、オムライスを作った日には。


『そもそも弁当にオムライスは向いてないんだよ。卵が硬くなりすぎるし。

 運んでいる途中でソースが傾いてご飯がべちゃべちゃになるし。鬼不味い』


 例えば、しょうが焼きを作った日には。


『しょうが焼きの意味分かってるのか? しょうがを入れたらいいってもんじゃない。

 油でしっかりとしょうがの香りを出さなきゃ意味ないぞ。あと工夫か何か知らないけど果物を入れるのは好みがあるから気を付けたほうがいいぞ』


「むぅううううう~~~~~~~~!」


「どうしたの、さくら。お菓子を買ってもらえなかった子供みたいなふくれっ面して」


「それが……聞いて下さいよ、巴ちゃん!」


 昼休み。

 ショートカットでスポーティな、さくら自慢のお友達。

 目の前に座る九条巴に向け、だんっ!と机を叩いたさくらはまくし立てた。


「尾賀くんにお弁当を作って食べてもらってるんですが、ずっと不味いばかりで美味しいの一言もないんですよ! 私、これでもお料理はちゃんと勉強して味には少なからず自信があったはずなのに、もう心がバッキバキですよ! 一体、彼は何を食べたら美味しいと言ってくれるんですか!?」


「待って待って。ちょっとツッコミどころが多すぎる」


 巴は頭が痛そうに額を抑えた。


「まず、尾賀ってあの尾賀よね? 楠高のオーガ」


「それ以外に誰かいるんですか?」


「あんた、ほぼ初対面の、別のクラスで、ほとんど話したことのない、付き合ったこともない男に弁当を作ってんの?」


「はい。それがなにか?」


「好きなの?」


「いえ。まったく。むしろ好感度はダダ下がりですよ。ちょっとはいい人だと思ってたのに! びっくりですよ!」


「あたしはあんたの行動力にびっくりしたよ」


 巴はため息を吐いた。


「昼休みに一人でどこに行ってるのかと思えば。まさかそんなことになってるなんて」


 ゆるゆると首を振って、


「いい? さくら。アレはやめておきなさい。あんたが傷つくだけよ」


「巴ちゃんまでそんなこと言うんですか?」


 さくらの咎めるような声に巴は身を乗り出した。


「あたしはあんたの心配してるの。尾賀のことは……同中だから知らない仲じゃないし、みんなが言うような悪いやつじゃないことも知ってる。でも、ね」


 巴は言いにくそうに口を閉じる。

 こういうときの彼女はこちらが傷つかない言葉を懸命に探しているのだとさくらは知っていた。

 ふと気付けば、周りがこちらのほうを見てひそひそと話していた。


「今日のさくら姫、おかんむりじゃん。珍しい」


「いつもお淑やかでずっと笑ってるのにね。らしくない・・・・・けど、どうしたんだろ」


「おいお前、話しかけろよ。今ならイケるんじゃね?」


「ばっか。さくら姫は清楚で誰にもなびかない大和撫子だからいいんだよ。穢したくない偶像アイドルなの。分かる?」


 気付いていないとでも思っているのだろうか。

 自分に向けられた声というのは思いのほか耳に届くものだというのに。

 思わず黙り込んでしまったさくらを見て、巴はため息を重ねた。


「だから言ったでしょ。こういう感じになるから」


「言ってません。言ってませんけど……分かりました」


 さくらは一息ついて、にこりと笑みを張りつける。

 みんなが望むように、清楚で、お淑やかで、気品ある姫のように。

 それが、自分に望まれていることだから──。


「ところで巴ちゃん。尾賀くんの好物って分かります?」




 ◆




「ふふん」


「……」


 さくらは得意げに胸を張っていた。

 いつもの屋上、目の前には渋面を浮かべた零士が手元を見ている。

 ほかほかの湯気を立てた弁当箱を見てから、彼は顔をあげた。


「お前、これ……」


「家庭科室を借りて作りました」


 さくらはどや顔で言う。


「私の親友に聞いたんです。結局、尾賀くんの好みは分からない。

 でも、人類に共通する好みがある。それは──」


 指を立て、自慢げに左右に振る。


「『出来立ての料理はおいしい』という事実です」


 弁当でダメなら、弁当で勝負をしなければいい。

 家庭科室に食材を持ち込むのは教師に色々と便宜を図ってもらったが、そこはそれ。

 料理研究会の部長でもあるさくらの実力のうちというわけだ。


 別にさくらは弁当の味で勝負したいわけではない。

 ただ乙女の沽券がかかっているだけで。

 さくらは勝利を確信していた。


「さぁ、どうぞお食べください!」


「……いただきます」


 さくらが作った今日のメニューは和風ハンバーグ。

 家で一日寝かせたミンチを家庭科室で焼き、自家製ポン酢ソースをかけた。

 じゅわじゅわとあふれ出す脂が、なんとも言えない香りをまきちらす。


「…………」


「どうですか? どうですか?」


 もぐもぐと食べる零士にさくらは前のめりになる。

 零士は相変わらずの仏頂面だ。


「まぁ、いいんじゃねぇの」


「それは、つまり……?」


「普通、だ。弁当じゃないからな」


「そうですか……」


 普通、という言葉にさくらは少し不満顔。

 美味しいという言葉が聞きたかったのだが……、

 さくらの心は、不味いと言われなかった達成感に満ちていた。


「普通、ですか。えへへ、そうですかぁ」


 にやにやと頬が緩むさくらに、零士は言った。


「実家の定食屋には劣るけど。まぁこれならあんたの想い人も納得……」


「え!? 零士くんの家って定食屋なんですか!?」


 ギョッとさくらは肩を跳ねた。

 けれど、驚いているのは零士のほうも同じだ。


「は? 知らなかったのか?」


「はい。まったく……」


「じゃああんたは、なんで俺に……」


「え? なんとなく。話す口実がなくて、それで、成り行きで?」


 あと尾賀くんが乙女の沽券を脅かしたので。


「…………」


 零士は天を仰ぎ、「やっちまった……」と小さく呟いた。

 唐突に頭をさげ、さくらを驚かせる。


「お、尾賀くん?」


「悪かった。てっきり、好きな人に弁当を食べさせるから定食屋の息子に料理のアドバイスを求めているのだとばかり」


 さくらは頬をひきつらせた。


「えーっと……つまり、これまでの超・超・辛口な批評は……」


「まぁ……」


 そういうことだった。

 彼はさくらが求めていると思っていたアドバイスをしていたのだ。


「つまり、私の料理は」


「普通、だ」


「そこは『美味しい』じゃないんですか!?」


 ずっこーん! とこけてしまう。

 期待した答えがもらえなかったさくらはげんなりだ。

 これまでの厳しい言葉の意味が分かったことは嬉しいが、そこは人としてどうなのだ。


「竜宮城を前にしてカメさんに引き返された浦島太郎の気分です……」


「どんな例えだ、それは」


「そのままの意味ですが」


「……お前、天然って言われないか」


「すごい。なんで分かったんですか? 巴ちゃんによく言われるんです」


 零士は呆れたような顔をした、気がした。

 相変わらず仏頂面だが、少しだけ頬の筋肉が動いている。


「変わったやつだな、お前は」


「あ、尾賀くんにだけは言われたくないです」


 それからというもの、さくらと零士は少しずつ会話を重ねるようになった。

 相変わらず『美味しい』の言葉は聞けていないが、お弁当もちゃんと食べるようになったし、こちらから聞けば、向こうの身の上話も話してくれるようになった。聞けば、尾賀の両親は結婚してまもなく定食屋を始めたのだが、父のほうが早逝し、今は母親一人で切り盛りしているという。母子家庭のため、収入は厳しい。母親は弁当を作ろうとしてくれるが、少しでも食材を店に割くため、零士はお小遣いを削ってパンを購入。空いた時間は店の手伝いをしているのだとか。


「知れば知るほど、見た目とは違う方ですね。私、びっくりです」


「俺はあんたの行動力にびっくりだよ。俺なんかと話すために弁当を作るとか」


「巴ちゃんと同じこと言わないでください」


 一週間、一ヶ月、

 時には巴も交えて、零士との時間を積み重ねる。

 友達でもなければクラスメイトでもない、知り合い以上友達未満の不思議な関係。

 だけど、これまで築いた絆のなかでも不思議と心地よい関係だとさくらは思った。


 ただ、そんな二人を周囲の者たちが放っておくはずがなく──


「尾賀くん、珍しいですね。例の場所までご一緒しましょう」


 校舎の廊下。

 いつもは別々に屋上に向かっているさくらと零次は偶然廊下で鉢合わせた。

 けれど、話しかけたさくらに対して零次は渋面顔だ。


「……」


「尾賀くん?」


 ひそひそ。ひそひそ。

 昼休み。屋上へ向かおうとする零士とさくらに周りの視線が突き刺さる。


「……」


 にこにこ。にこにこ。

 それでも笑みを咲かせるさくらに零士はますます眉間の皺を険しくする。

 周りの声なんていつものこと。放っておけばいいとさくらは思うのだが。


「……見て。噂は本当だったのね。オーガと姫が密会してるって」


「姫ってああいうのがタイプだったんだ……なんかショックかも」


「暴力事件も起こしてる不良と付き合うってどうなの? 幻滅だわ」


 口々に囁かれるさくらへの悪口。

 そして、それ以上の、咎めるような目が零士に向けられている。


(本当に、聞こえていないと思っているんでしょうか……)


 勝手な印象で、

 勝手な期待をして、

 勝手に幻滅して。


 いつだって周りは勝手に期待を背負わせる。

 でも大丈夫。笑えばそれで済むから。

 さくらが何も知らない顔で笑みを浮かべているだけで、周りは放っておいてくれるから。

 だから──



「おい、桐生」



 だから、さくらは間違えた。


「いい加減、俺に構うな、迷惑なんだよ」


 冷たい声。ハッと顔を上げる。

 零士はほんの一瞬だけ悲しい顔をしたが、すぐに鬼の形相になった。


「浮いてる俺を庇ってくれるのはありがたいけどよ。はっきり言って鬱陶しいんだよ。

 好きで一人でいるのが分からねぇのか。ウザい。意識高い系かよ。笑える」


 普段の彼なら決して言わないような言葉の数々。

 周りに聞かせるような大きな声で、さくらは零士の意図を察した。


(もしかして、私に悪評が広がらないために……)


「じゃあな。ブス。二度と俺に前に現れるなよ」


 踵を返す零士。さくらは思わず手を伸ばした。


「ま、待ってください、尾賀く──」


「触んな!」


 がしゃん!


 振り向きざまに振られた手がさくらの持っていた弁当箱をはたき落とす。

 朝早く作った二人分の弁当が撒き散らされ、甲高い音が衆目を集めた。


「ぁ」


 床に落ちて塵まみれになった卵焼き。

 ばらばらになった弁当を見て零士の顔が青ざめた。

 周りの非難するような声が高まる。何人かは大丈夫かとさくらに駆け寄ってきた。


「……ッチ」


 あしざまに舌打ちして、零士は歩き出す。


「ちょっと! 桐生さんに謝りなさいよ!」


「そうよ! このまま放り出す気!?」


「最っ低……人の心がないんだね」


 零士は振り向かない。

 何かを必死にこらえているように拳を握りしめている。


(尾賀くん……)


 さくらは唇をかんだ。

 弁当のことはいい。どうせ彼のことだ。わざとじゃない。

 気になるのは、このまま彼が悪者になってしまうことだった。


(この人が本当は優しい人なんだって、私は知ってる)


 言わなきゃ。

 言わなきゃ。

 言わなきゃ。


 そう思っているのに、口が動かない。

 放っておけばいい。周りに同調して笑顔を振りまき何事もなかったかのように振舞えばいい。

 どうせ彼も気にしていない。その場しのぎで嘘の仮面をつけていれば、この場は収まるのだ……。


(勇気が、出ない……怖い、怖いよ……)


 周りに期待されている自分から抜け出して、叩かれるのが怖い。

 みんなの視線がある前で口を開くのが怖い。嫌われたくない。


 でも、

 でも、

 でも、


(尾賀くんが悪者になったままなのは、嫌……!)


 いつまで周りに振り回されているつもりだ。


 清楚だから。お嬢様みたいだから。大人しいから。

 周りから言われる印象に振り回されて、いつでも笑顔を振りまいて。

 そんな生活に疲れていたから、周りの目を気にしない尾賀零士が気になったのではないのか。


 彼のようになりたいから、自分は──!


「待って!!!」


 さくらは零士を呼び止めた。

 廊下に響くような大声に、零士は驚いたように肩を跳ねる。

 ぎょっとする周りに向き直り、さくらは言った。


「尾賀くんは、みんなが言うような悪い人じゃありません」


「え……?」


「いやでも、あいつ、楠高のオーガ……」


 声が震える。心臓がどくんどくんと加速する。

 でも言わなきゃ。

 尾賀のためでもない。自分に恥じない自分になるために。


「鬼じゃありません」


 さくらは毅然と言った。


「あの人は、ぶきっちょで、ぶっきらぼうで、たまに言葉はきついけど、でも優しくて」


 仮面を脱ぎ捨てろ。

 周りに媚をへつらう自分なんて、もう要らない。


「雨に濡れる猫に傘をあげてしまうような、お人好しなんです。鬼じゃありません」


「いやでも、さくら姫……」


「姫じゃありませんっ!!」


 さくらは叫んだ。


「尾賀くんが鬼なら、私は桃太郎です」


「桃太郎……?」


 怪訝に、誰かが首を傾げた。


「それ、鬼を退治するんじゃ……」


「に、二次創作です」


 さくらは赤面しながら言った。


「私の桃太郎は、きび団子で鬼を手なづけるんです。不思議に思っていたんですよ。犬も雉も猿もきび団子で手なづけられるのに、鬼を退治する必要なんてないと思いませんか?」


「それは、確かに……」


 さくらの天然発言に周りは納得したように頷いた。


「それで、何の話だっけ……?」


「と、とにかくっ!」


 さくらは気を取り直したように叫ぶ。


「あなたたちが鬼とか姫とか桃太郎とか呼ぶのは勝手ですが! 私は私です! あなたたちが私たちの何を知っているんですか!? 勝手な想像で勝手に期待して、私のこと分かったような気になってんじゃねーーーーーー!!! です!」


 しぃん……。


 水を打ったように静まり返る廊下。

 はぁはぁと息を切らしたさくらは憤然と振り返った。


「尾賀くん!」


「は、はいっ」


 思わずといった様子で背筋が伸びた零士。さくらは床を指差した。

 床に撒き散らした弁当箱を。


「掃除、してください」


「あ、はい」


「あと放課後! 家庭科室まで来るように」


「え。いや、俺は」


「家庭科室まで来るように!」


「はい」


 零士は何度も顎を振り、すんなり頷いた。


「でも何をするんだ?」


「決まっているでしょう?」


 さくらは胸を張った。


「お昼ご飯を食べ損ねたのです。私のとっておきを、尾賀くんにご馳走してあげます!」



 ◆



 放課後の家庭科室に、調理の作業音が小刻みに響いている。

 買い出しを済ませたさくらは零士が見守るなか、作業を始めていた。

 作っている側も食欲をそそられるような心地よい香りが鼻腔を刺激する。


 そして、三十分後──。


「出来ましたー!」


 オーブンから取り出した料理を、さくらは零士の前に差し出した。

 エプロン姿のさくらは「ふふん」とふんぞり返る。


「これが私のスペシャリテ……名付けて、『さくら印の季節グラタン』です!」


「ほー」


 零士が感心したように声をあげるのをさくらは満足げに見つめる。

 ほかほかの湯気を立てるグラタン皿は四色の花が咲いていた。

 さくら色、もみじ色、ひまわり色、黒バラ色と、目に鮮やかなグラタンである。


「なんつーか、あれだな……流行りの映えるってやつだな」


「はい。映えは意識しています。私、乙女なので」


「俺はあんまり好きじゃないんだけど。見た目より味派だから」


「尾賀くんはそうおっしゃると思いました。さぁ、食べてみてください!」


「ん……じゃあいただきます」


「いただきます」


 手を合わせつつ、さくらはスプーンをグラタンに入れる零士を見つめる。

 大柄な見た目に見合わない丁寧な食べ方である。

 とろ~りとチーズが溶けだしたもみじ色のグラタンを口に運び、味を確認。


 続いて零士は色の違う、さくら色の部分に手を付けた。


「お」


 零士は目を見開いた。

 もぐもぐ、と咀嚼し、ごくりとのみ込んだ彼は感嘆の声を上げる。


「見た目だけじゃない……味も四色に分けてるのかっ」


「もちろんです!」


 たまらずといったようにスプーンを運ぶ零士にさくらはガッツポーズ。

 続いて零士は全ての色を制覇するようにスプーンを運ぶ。


「さくら色は明太子、ひまわりはターメリックとシナモンのカレー風味、もみじはチーズの焦げ色を、黒バラは海苔で表現しています」


「なるほど……これは、かなり……」


 グラタンの中身はほぼ同じだ。

 玉ねぎ、肉ミンチなどを炒めて白ワインで香りづけ、牛乳を煮込んだ基本のベシャメルソース。

 けれど、その上に乗せる付け合わせを変えるだけで、口の中で感じる味は劇的に変化する。


「明太子の塩っ辛さと、ベシャメルの甘さ加減が絶妙だな……火入れもちゃんとしてる。各色ごとの味を確立しながら、相互に補完しあい、美味しく楽しめる……なるほど。スペシャリテって宣うだけのことはある」


「ふふん、ふっふーん♪」


 零士の絶賛とも言える声にさくらは鼻が高くなる。


「いや、でも……焼いている時に溶けあって結局味が混ざっちまうはずだ。こんなのどうやって……」


「それは、これです」


 さくらはどや顔で、机の下からこの料理の要となる材料を取り出した。

 誰でも買える、みんなが大好きな、そのお菓子。


「クッキーです。クッキーでグラタン皿に四つの仕切りを作りました」


「……!」


 さくらが使ったのはプレーンクッキー。

 卵黄を糊代わりにお皿に塗り、クッキーが倒れないようにグラタンを乗せた。

 シンプルながらになかなかに難しかったが、上手くいったようで何よりだ。


「それに、たとえ混ざっても問題ありません」


 さくらは笑う。


「味が混ざっても美味しい組み合わせを作ってます。どの組み合わせでもいい。口の中で変化を楽しむんです」


 変わらない味などつまらない。

 さくらが零士の影響を受けて変われたように、料理も味と味が作用していろんな味になればいい。

 影響は受けても流されない、たった一つの自分だけの味に──。


「あなたが教えてくれたことですよ、尾賀くん」


「……」


 気恥ずかしそうに目を泳がせた零士はスプーンを運ぶ手を早める。

 あっという間に、彼の皿は空になった。


「ごちそうさまでした」


「お粗末さまでした」


 笑顔を返してから、さくらは身を乗り出した。


「それでそれで、どうでした!? 美味しかったでしょ!?」


 食べる様を見ていれば一目瞭然なのだが、聞かざるをえない。

 その言葉を聞きたいさくらは、固唾を呑んで零士を見守り──。


「……まぁ、普通だな。普通」


「なんで『美味しかった』じゃないんですかぁああああ!?」


 さくらは絶叫した。家庭科室に悲鳴が響き渡った。

 零士は「いや……」と頬を掻いて、


「まぁ、ありだとは思う」


「あなたは『美味しかった』って言ったら死んでしまう病気なんですか?」


 真顔で聞いてしまうさくらである。

 乙女の沽券は取り戻せたと思うが、ちょっと悔しい。


「こうなったら……尾賀くん、我が料理研究会に入ってください!」


「は? いや、俺は……ていうかお前、料理研究会だったの?」


「あれ? 言ってませんでした? ちなみに部員は私一人です。幽霊部員はいますけど」


「聞いてねぇ!」


「ちなみにもう入部届けは出しておいたので。悪しからず」


「俺の意思は!?」


「ありません。強制執行です」


 にっこり、とさくらは笑って、


「覚悟してくださいね」


 そして立ち上がり、ビシ、と零士の鼻先に指を突きつけた。


「ぜ~~~~~~ったい、尾賀くんの胃袋を掴んでやりますから!」


 そして美味しいと言わせる。さくらはそう決めて「ふんす」と鼻息を荒くした。

 呆気にとられた零士は「……くはっ」と噴き出し、


「んだよ。それ」


 胸を抑えながら、恥ずかしそうに目を逸らした。


「……もうとっくに、掴まれてるんだが?」


 そう、消え入りそうな声で呟いた。


「何か言いましたか、尾賀くん?」


「いや……」


「じゃあ、明日も放課後に集合です! いいですね!」


「はいはい……」


 有無を言わさぬさくらの言葉に、零士は降参したように手を上げるのだった。





 楠高にはオーガがいる。

 熊よりも強い、幾人もの不良をねじ伏せてきた強い男だ。

 そして、彼の隣には彼を意のままに従える『鬼姫』がいるというのだが……。


 さくらがその噂を知るのは、まだ先の話である。


 これは、美味しいと言わせたい天然の女の子と。

 不良と呼ばれながら実はグルメな料理男子の、青春の物語。



 終わり。



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桐生さんは掴みたい 山夜みい @Yamayasizuki

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