「推したいします、どこまでも」

龍宝

「推したいします、どこまでも」




 唐突に、早乙女さおとめコハクは眼をました。


 眠っていたわけではない。


 だが、居眠りの途中で身体がね起きるような、黒く沈んでいた意識が、無理やりに引き起こされたこの感覚。


 気が付いた時には、まるで見覚えのない場所に突っ立っていたのだ。


 まだぼんやりとした頭で、とっさに胸元を




「……ない」




 安堵とも、拍子抜けともつかぬ声色で、コハクは呟いた。


 本来あるはずの傷が――自分を貫いたはずの銃創が――きれいさっぱりになくなっている。


 身悶みもだえすら許さなかったあの激痛が、自分をののしった狂漢の声は、すべて夢の中のことだったのか。


 そんなはずはない、とコハクは改めて辺りを見渡した。


 自分は最期の時そのままにステージ衣装を身にまとっているし、夢中夢でもない限り、こんな殺風景の場所に立っている理由もない。


 灰色の空。


 左右の緩やかな丘の中間をうように、ところどころ石材で舗装された道が遥かに続いている。


 コハクが立っているのは、その道のど真ん中だ。


 自分の後ろも似たような具合だが、何故かそちらに進もうとは思わなかった。


 極めつけに、道の端に設置されているちた標識に、「――坂、入口」と書いてある。




「やはり、私はあの世に来てしまったようですね」




 十七年。


 短いような気もするが、これで十分だと思う自分もいた。


 一応、夢であったアイドルにはなれたわけであるし。


 死んだ後の世界で、お気に入りだった衣装でいられるというのも、生前のご褒美ほうびとしては悪くない。


 何かに導かれるように、コハクは自然と歩き出していた。


 眼をらせば、自分よりもかなり先に、人影らしきものが見える。


 やはり、地獄に向かっているのだろうか。


 自分がそれほどの悪人とは思わないが、さりとて極楽だか天国だかに行けるほど善人だったとも思えない。


 いたずらに苦しめられるくらいなら、いっそ生まれ変わりもなく無になって消えてしまった方がましだ、とコハクは思った。











 どれだけ歩いたか、しばらくして後ろから足音が聞こえてきた。


 かなり速い。


 天国への階段というわけでもあるまいに、この坂をそれほど元気よく駆けてくる者に興味が湧いて、コハクは少し足をゆるめた。




「――ああッ‼ やったー♡ 追い着いた!」




 若い、少女の声だった。


 振り返るよりも早く、隣で土を踏む音が聞こえる。


 そちらを見遣ると、茶髪のおさげを二つくくりにした少女が、荒い息を整えていた。


 死んでからも、しんどいものはしんどいのか、と思ったのも束の間、コハクは驚きに眼を見開いた。




「あ、あなたは……⁉」



「――お待たせしましたー! 早乙女コハク・ファンクラブ会員№004! 立待たちまちドトウです!」




 お下げの少女――立待ドトウは、両手を腰に当てたまま、実に見覚えのある恰好かっこうで胸を張った。


 コハクの記憶が正しければ、ドトウが着ているのは、つい先ほどまで自分がステージに立っていたライブ会場限定で売られている公式グッズのシャツである。


 胸の辺りにかけて堂々と『天上天下☆コハク担当』なる珍妙な文言が飾り文字で書かれているのが印象的で、忘れようもない。


 その上からは、手製と思しき紫色の半被はっぴ――こちらも随所にコハクを推すアッピールが挿入されている――を羽織り、更には過去のライブ会場限定のタオルを武将の首級かというくらい、これ見よがしに何枚も腰にいている。


 どこからどう見ても、自分のファンであることは明白で、それもあの会場に来ていたというのも間違いなかった。




「ど、どうして……まさか⁉ あの後にあなたも撃たれたんですか⁉」




 思わず、コハクは何故か得意げなドトウの肩をつかんでいた。


 どうやって持ち込んだのかは分からないが、銃を片手に尋常でない様子だった男が、自分を撃った後どうなったか、コハクは知らない。


 銃弾が胸を貫通するほどの傷で、ほぼ即死だったのだ。


 自分が倒れ込んだ後に会場がどうなったかなど、身体中を走る痛みに気にする余裕などまったくなかった。


 おそらくは警備員に取り押さえられたものと思うが、その間に抵抗する男が数人を巻き添えにしていたとしても不思議はない。


 コハクの動揺をよそに、ドトウはきっぱりと首を振った。




「ううん! コハクさんが撃たれちゃった時はすっごいびっくりしたけど、あいつはすぐに会場から逃げて行ったから」


「それじゃ、どうして……?」


「どうしてって、わたしがコハクさんのファンだからだよ!」


「はい?」




 首を傾げるコハクに、二度目のどや顔を見せるドトウ。


 かみ合わない話を整理しようと、コハクは少し行ったところにあった大きな石材までドトウを連れていき、その上に並んで腰掛けた。



 聞けば、ドトウは自分と同い年らしい。


 中学生の頃にまだ駆け出しだったコハクの路上ライブを見て、それからずっとファンでいてくれていたようだった。


 ドトウが見たのは、本当に小規模な、観客も二、三人しか居なかったようなもので、半ば白けたような空気が漂っていたのを、コハクもよく覚えている。


 本人の言う通り、最初期からの古参ファンであることは間違いなかった。


 その証拠に、ファンクラブの『会員№004』は、最初の三人がコハクの両親や姉だということを考えれば、実質的にドトウが初めての自分のファンだということになる。




「あの頃は、わたしも色々と悩んでて……でも、コハクさんの頑張ってる姿を見たら、なんだか勇気が出てきたんだ! えへへ、一目惚ひとめぼれってやつかな」




 気恥ずかしそうに頬をくドトウを、コハクは同じく顔に熱を感じながら見つめていた。




「その時に決めたの! わたしはこれから、なにがあってもコハクさんをし続けようって!」


「それは、ありがたいですけど……結局、ドトウさんはどうしてこちらに?」


「だって、わたしの推し活じんせいはまだ終わってないから」


推し活じんせい⁉」


「コハクさんが天国に行ったら、わたしもすぐに付いて行かなきゃ、はぐれてもう会えなくなっちゃうでしょ? だから、あの後すぐ会場の壁に向かって、




 上半身をほとんど水平に倒した姿勢で、ドトウが走って行く仕草を見せる。


 それは、もしかしなくても――。




「いやー、一秒でも早く追いかけないとって、それだけが勝負だったから。過去一かこいちの果断さだったね。おかげでこうしてすぐ次に来れたし。あっちの時間とこっちじゃ進みが違うのか、中々追いつけなかったのには焦ったけど」




 古参ファンが狂信的すぎる。


 絶句するコハクを前に、ドトウは後ろ頭に手をって自慢げにしていた。


 そこまでしたってもらってお礼を言うべきなのか、それとも自身のファンの過激さにおののけばいいのか。


 コハクには決めかねて、うんうん、と真顔でうなずくことしかできなかった。




「というわけで、道中お供します、コハクさん!」




 仕切り直すように、ドトウが敬礼よろしく片手を額に当てた。




「もう。私が、地獄に行くとは思わなかったんですか?」


「それならそれで、付いていくだけだもん。コハクさんがいるなら、どこへだって――あの世へ道連れよろこんで、お慕いしては地獄の一丁目、それが推し活‼」


「急にどうしたんです⁉」


「えへへ、これわたしが考えたコールなんだけど、ようやく言える時が来たなって」


「なんてピンポイントな状況を想定してるんですか。……当たっちゃってますけど」




 はにかむドトウに、つられて笑いかけたコハクは、ふと顔をそむけた。


 それを不思議に思ったのか、ドトウが身を寄せてくる。




「ありがとうございます。……でも、せっかくそこまでして頂いたのに、アイドルとしての自分には、あまり悔いがないんです。私」




 笑うな。


 笑みを見せるなと、何度言われたことか。


 幸運にも端正な顔立ちに生まれたコハクは、ある程度集客が見込めるようになって、所属事務所からイメージ戦略として「笑う」ことを禁止されていた。


 ひとりは、クールビューティなキャラがいた方が良い、と。


 その策にまんまと乗った多数派のファンの声もあり、長らく〝すまし顔〟で過ごしてきたのだ。


 『笑みを見せない美人アイドル』は、会場を埋められるほどの人気アイドルにはなれたが、それは当初コハク自身が憧れた『輝きの中で笑う、星々のようなアイドル』像とはまったくかけ離れたものだった。




「どこかで、アイドルであることに疲れていたのかもしれません。所詮は偶像に過ぎないとはいえ、人形のように見られ続けることに、疑いを持ってしまった。私が見て、憧れた人たちは、もっと――生きていたのに」




 初めて他人に心中を漏らすうちに、いつの間にか、アイドルという仮面が自分にとって呪縛でしかなくなってしまっていたのだ、とコハクは思った。


 それから、突然の死にそれほど動揺していない理由も、分かったような気がした。




「――ほんとに?」




 しばしの沈黙の後に、ドトウが口を開いた。




「わたし、何度もコハクさんの笑顔が見たいって、手紙送ったんだよ。人気が出たのはうれしいけど、また笑ってほしいなって」




 初耳だった。


 自分宛てのファンレターは、容姿を褒めるものばかりで、むしろ笑えば幻想が壊れる、という声のものばかりだった。


 だが、今思えば、そういった手紙を握りつぶすくらい、あの事務所は平気でやるだろう、とも思える。






「わたしは、コハクさんの笑顔が大好きだから、ずっと。ね? わたしのために、笑ってっていうのじゃ、駄目かな?」






 熱いものが、頬を伝っていった。


 同時に、身体の中にも渦巻いている。


 〝すまし顔〟のアイドル・早乙女コハクは、死んだ。


 だが、自分はまだアイドルなのだと、気付かされたのだ。


 ここでは、ふたりなら、自分が夢見たアイドルでいられるのだ、と。




「……不思議です。これから、どうなるかも分からないあの世の道行きだというのに、あなたと一緒なら笑っていられる。そんな気がしてなりません」


「いつまでも、どこまでも追い続けるよ! コハクさんが、笑っていてくれるなら!」




 早乙女コハクの、初めてにして、今はたったひとりだけのファン。



 彼女のために、これからは思い切り笑おう。



 たったふたりの、あの世ツアーで。




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「推したいします、どこまでも」 龍宝 @longbao

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