とあるカーブのおはなし。

マフユフミ

第1話

浅井祐太郎はごく普通のサラリーマンだ。


朝は満員電車に揺られ仕事へ向かい、クタクタになるまで働いて、また満員電車に揺られて家まで変える。

もう何年もその繰返しだ。


祐太郎としては、別にそんな毎日に不満があるわけではない。

満足しているか、と尋ねられればそこは「んー…」と悩んでしまうかもしれないが、毎日浴びるほど酒を飲まなければやっていられない、というほどの憂さもたまってはいないし、休みの日にはほどほどに動画や音楽を楽しんだりほどほどに出掛けたり、バランスよくプライベートと仕事をこなしている方だろうと思う。


そんな祐太郎には、秘密の楽しみがある。

毎日の電車通勤の途中で偶然見つけた密やかな趣味だ。

「そろそろだな…」

とある駅を過ぎた頃、祐太郎は秘かに胸を踊らせる。

周囲に気づかれない程度に右側の窓ににじり寄り、その時を静かに待つ。

「…来た!」

駅周辺の賑わいを通りすぎた頃に、それはあった。


なんてことのないただの道路だと、人は言うだろう。

走る電車の、進行方向に向かって右手の窓なら見えるその道は、見えるギリギリ奥の方から大きなカーブを描いている。 

そして、そのカーブこそが、今の祐太郎の「推し」なのだ。


「ああ、癒されるなぁ…」

無骨なアスファルトが描くその弧が、仕事に疲れていた祐太郎の琴線に触れたのは、数ヶ月前のことになる。

毎日見慣れているはずの景色なのに、その日の祐太郎にはそのカーブが夢のように映ったのだ。

この奥には何が広がるのだろうか?

実際このカーブを自転車で走ってみたらどんな気持ちになるのだろうか?

想像だけで、なぜか心が踊るのを感じた。

そして、「ああ、今日も頑張ろう」とすんなり思えたのだから、ある意味運命的な出会いだったと後から祐太郎は考えた。


実際、祐太郎はそのカーブを自転車で走りに行ったりはしない。想像することこそが何よりの癒しであり、現実を見ないことが大切な場合もあるということを、祐太郎は本能で察知しているのだ。


「よし、今日も頑張ろう」

そのカーブを通りすぎ、約20分。

職場の最寄りの駅に降り立った祐太郎は、今日もビジネスマンとして街を闊歩するのだった。

胸の奥に、癒しのカーブの残像を抱きながら。

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