ディストピアのサンタクロース

如月姫蝶

ディストピアのサンタクロース

「ん!」

 麦藁帽子を被ったおじさんが、節くれだった五指を開いた掌を、まだ幼かった私に差し出した。

「台風のことさ、見てけろ」

 山形の言葉に未だ不慣れな私に、ゆっくりと話し掛けるくらいの気遣いはしてくれたのだ。

 私自身は他所者だが、母方の祖母が地元の神職の家系であったため、村人の手相を元に、天候や天災について占うという、先祖代々の役目を期待されたのだ。

 台風が接近していることそれ自体は、テレビやラジオが教えてくれていた。

 私は、一度は両手で触れたおじさんの手を、すぐに取り落としてしまった。強烈な静電気のような圧に弾き飛ばされたのだ。

「真っ暗で何も見えない……怖い、冷たい、苦しいよ……」

「おん?停電でもするべか?」

 涙目になった私を見て、おじさんは、それ以上は追及しなかった。

「ありがとさま!」

 何本か抜け落ちた白い歯を見せて、大きく手を振って走り去ったのだった。


 私が京都で大学生となった時、疫病神は既に地上に舞い降りて、踊り狂っていた。

 コロナ禍のせいで、大学生活のオリエンテーションにもオンラインで参加することになった。その際、指導教官が、「新入生の生存確認をする」などと言い出して、なんと、しりとりを行うことになったのである。

 きっと緊張をほぐすとか、居眠りを防止するといった狙いがあったのだろう。

 私のターンとなる直前、男子学生が「イオナズン!」と絶叫した。それはもちろん、京都市内のこのうえなく有名な企業に所縁のある、最強の攻撃呪文である。

 しかし、私は淡々と続けた、「んまい」と。「美味い」を意味する山形の方言で、イオナズン男の爆破テロを阻止しようとしたのだ。それはしかし、しりとりのレギュレーションには違反する暴挙でもあり……

 つまるところ、教官は、私に軍配をあげ、拍手を贈ってくれたのだった。


「おい、林の野郎、今頃連絡してきやがったぞ。事件のことがショックだから、今日はパチンコに行くんだと!それも、この辺りではない、どこか遠くのパチンコ屋を新規開拓するってよ!」

 中村大也なかむらだいやは、スマホを握り潰さんばかりに力を込めて言った。因みに、彼には、主水もんどという名の弟がいるらしい。

 さらに因みに、林一臣はやしかずおみは、あの日のイオナズン男だ。自爆とは言わないまでも自堕落な一面があるようだ。

「え、そんな余裕があるん?羨ましい……あ、経済的な余裕のことを言うてるんやで?」

 錦織綾乃にしきおりあやのは、京都でも屈指の呉服問屋の娘だが、実家の経済的な苦境を隠そうともしなかった。

「はぁ……今日に限っては、リモートやったら良かったんやけどなぁ……」

 綾乃の嘆息に、大也も私も頷いた。

 コロナ禍が収束しないまま、私たちは、とうに新入生ではなくなっていた。近頃はリモートではなく対面式の講義や実習のために登校することも増え、多くの学生はそのことを喜んでいたのである。

 市美いちびこと京都市立美術大学、映像学科の学生として、課題の映画を制作すべく、今日はそもそもの案出から行うことになっていた。

 しかし早朝、大学から程近い公園で、ホームレスの高齢女性が、滅多刺しにされた遺体となって発見されたのだ。

 犯人は未だ逃走中で、凶器も発見されていないらしい。

 私は、そんなニュースを知らないまま、のこのこと登校してしまった。大也も綾乃も同じらしいが、他の学生の出席率は、極端に低かった。

 課題のための案出も、ひとまず三人だけで小教室で行うよう、酷くピリピリとした教官から言い渡されたのだった。

 そんな状況では、学生だって平静ではいられない。

「殺人事件かぁ……あたしが生まれる前やけどな、うちの家のご近所でもあったらしいねん。市医いちいの研修医が殺されてしまわはってな、結局何年か経って、掌紋を照合する技術が導入されて、やっとこさ犯人が逮捕されたんやって」

 綾乃は神妙な面持ちで語った。

 元来、京都の治安は悪くはないのだ。殺人事件というキーワードによって、いきなり二十年は昔の事例が引き合いに出されるくらいなのだから。

 市医とは、京都市立医科大学のことである。市美とは、学び舎としてのジャンルは全く異なるが、近い将来、ものの数年後、なんなら明日にでも京都市の財政が破綻した暁には、存続の危機に直面するという共通点があるのだった。

 京都市は、いわゆるバブル経済の時代に、そしてそれが弾け散った後にも、あれやこれやと失敗を重ねたらしい。そのうえでコロナ禍に見舞われたのだ。

 市長も財政危機について公言したうえで、公共交通機関や保育園をビシバシと値上げしつつある。もちろん、市立大学の学費だって……

 京都は、千年の都と呼ばれ、世界的な観光都市に違い無いのだが、今や結構なディストピアでもあるのだった。

「おい、今は映画のアイデアを出すんだろう!殺人事件があったからって、課題の締め切りが先延ばしになるわけじゃない」

 大也は正論を述べた。

「私は、予算のことも考えて、手相を占う主役の視点で、恋愛物を描くことを提案したいと思う」

「せっかく京都が舞台でも、イケメンにゴージャスなを着せて陰陽師をやってもらう予算はあらへんしなぁ」

 綾乃は、私のアイデアに興味を示してくれた。

「私が山形の農村に住んでた頃、村の神社に同い年の女の子がいてね、村人の手相を見て、お天気を占ってたの。生命線だのなんだのを読み解くよくある手相占いじゃなくてね、相手の手に触れると、その人が数時間後や翌日に、どんなお天気の元で生きているのかが、脳裏に映像として浮かぶって言ってた。

 その子がモデルなんだけど、相手の手に触れることで、その感情を断片的に映像化して読み取れるヒロインなんて面白いんじゃない?」

「同い年の女の子」とは、私自身のことだ。しかし、自分に第六感のようなものが備わっていると告白するのは気が引けたし、映画の主役として推す以上は客観視したかった。

「その子、占ってたんじゃなくて、スマホのウェザーニュースをこまめにチェックしてただけなんじゃねえの?」

 大也は勘繰った。でも違う。その当時、私はスマホなんて持ってすらいなかった……

「ウェザーニュースがほんまに便利になったのって、ここ数年のことやない?警察の鑑定技術もスマホのサービスも日進月歩やからなぁ。それに、他人の感情を読み取れるというふうに改変するんやったら、スマホは関係無いんとちゃう?」

 綾乃の意見を聞きながら、私は昔を思い出していた。

 私が親の浮気を暴くことになったのは、四才の時だった。母と手を繋いで歩いていたら、突然、母が父とは異なる男性にしなだれかかっている映像が脳裏に流れ込んできた。それが私の第六感の目覚めだった。びっくり仰天して、何が見えたか正直に口にしながら父にしがみついたら、今度は、父が見知らぬ女性の乳房を揉みしだいている映像が込み上げてきたのだ。

 両親は結局離婚して、お互いの浮気相手と再婚した。双方とも幸せな家庭を築き直したが、そこにもはや私の居場所は無かった。

 ごく近い過去もしくは未来、その情報が断片的に流れ込んでくるだけの、中途半端な第六感……

 私は、故郷の京都を離れて、山形の祖母に預けられた。そこでは、天気の占いに精を出すことで受け入れてもらえたし、それが先祖から受け継いだ才能らしいとわかって安堵したのだった。

 ただ、とある人の死を防げなかった事実だけは、今も私の心に重たくのしかかっている。

 麦藁帽子のあのおじさんは、台風の夜に畑の様子を見に行って、用水路に転落して亡くなってしまった。私が予期した映像や体感は、その溺死を示していたのだろうに、私も彼自身も思い至らなかったのだ……

 私は結局、京都での大学進学と単身生活を選んだのだった。

「ちょっと中村!あんたが一番スマホを弄り倒してるやん」

 綾乃の言う通り、大也は話し合いながらも、忙しなくそれを操作していた。

「悪いな。男の俺があんまり狼狽えたら女性陣の負担になるかと思って。でも実は、俺もすごくドキドキしてて、事件の情報を追わずにはいられないんだ。犯人はいつ捕まるんだろうな、なんてな」

 上滑りするような笑い声を、彼は立てる。

「それはわかるえ。

 そや、ヒロインの占い師には、実は頼れる相棒がいるなんてどう?豪華なおべべは無理でも、白衣のお医者さんとかやったら!」

「ふうん、医者が入れ知恵をして、占い師の的中率を上げてやってるとか?

 そうだ!大の医者嫌いだが占いには頼るようなスピリチュアル好きの年寄りって、いるよなあ?そういう金持ちの年寄りに、医者が占い師の黒子になって適切な治療を受けさせるよう四苦八苦するコメディーなんてどうだ?……もしくは、医者はその年寄りの寿命を積極的に縮めようと画策していて、責任は全て占い師に押し付けるつもりでいるとかな!」

「白衣の黒幕かいな!中村!今日は冴えてるやん!」

 綾乃がハイタッチを持ち掛けて、大也は応じた。

「そうだな……どうして今になって、こんなに思い付くんだろうな……」

 今度は大也が求めたハイタッチに、私が応じた。

 小教室のドアは、コロナ禍ゆえの換気目的に、少しだけ開いている。

 外の廊下を誰かの靴音がよぎり、それが制服警官であることが垣間見えた。

 彼らはもしや、何らかの鑑定技術を駆使して、ホームレスを殺した犯人がこの大学に逃げ込んだことを突き止めたのだろうか?

 私は見た。ホームレスの老婆の体に、ナイフが突き立てられる光景を。彼女は、元はサンタクロースの仮装用だったろう赤い服を着込んでいたが、刺される度に、服よりも赤くて黒い染みが広がってゆくのだった。

「おまえらみたいな害虫のおかげで、俺様の人生は台無しだ!」

 そう喚き散らす男の声も聞き取れた。聞き覚えのある声だった。

 それらは全て、大也とのハイタッチの瞬間に、私の脳裏に凄まじい濁流のごとく流れ込んできたのである。

 人が心に内包したディストピアだった。

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