第13話

〈姉〉

「姉貴のこと言わないでよ」

 とか何とか砂浜で三番に言われた訳だけど、そんなことは私達姉妹規模で考えればとても小さなことなので、大らかな私はその三番から即座に目を背けて教室へと戻るのであった。

 別に言った所で何か変わるはずは無ければ、変わるなら変わるで私はそんな変化を期待してない。そもそも話す相手なんて縁しかいないし縁だけで生きていける。縁への依存度は毎日飲む水や今吸っている酸素の比ではない。飲まず食わずの数ヶ月を過ごしたとしても、縁の存在さえ確かめられれば苦しむことは無いだろう。たとえ身体が死んでも精神が未練の度を超えて縁に憑依するに違いない。

 遠藤影良という名の三番という番号の人間という生き物は、瞬間の打ち見の後直ぐに目線を修正したようで、四十番等との荘厳な会話に興じる声が聞こえてくる。あぁ誤植、雑言だった。

 私はその雑音を季節から外れてしまった流し素麺のように聞き流した。柄にも無い訳でもなく風流を感じてしまい、新学期早々詩的な気分に包まれていると自身を指摘してみた。しかし耳栓で封鎖しない限り周囲の音波が耳に轟くことは健康な身体にとって必然のことであるから、私の五体満足とそんな私に寄り添ってくれる縁に感謝しつつ、鼓膜で震える内容を呪った。

 発信源は五人だろうか。その中には身体について言うと女でありながら背丈が抜きん出た細身の長身、頭部について述べると引っ張られたゴムみたいな顔と森の木々のように揺れる前髪が絶妙に人を苛立たせるおかっぱ頭髪の人間が居る。ナンバリングする所の九番、彼女こそ夏休み中に校則では禁止のアルバイトをしていた罪人なのだけど、その罪は知ったことではない。ただ縁との映画鑑賞に水を差した罪は計り知れない。訴えて勝訴して牢獄送りにしたい。

 本来なら他人の描出は五文字未満で終えたいのだが、様々な観点から譲歩してそれなりの説明を加えてしまった。花火が上がれば玉屋と叫ぶくらいの自然さで、私は縁のことだけを頭脳の引き出しから掘り起こしたいのにも関わらず、風が吹けば桶屋が儲かるくらいの不自然さで、つまり偶発的に例外的に意識が向いた。その代わりと言っては何だけど、残り三人の描写に関しては然して特筆することもないから切れ味の良い言葉の刃でカットしよう。つまる所三十六番、四十番、九番、三番、二十五番の合計五人が私の刃が錆びる原因、不協和音を生み出す拙い砥石として機能していると言った感じである。

 しかし五人の番号を不覚にも覚えることすら一苦労なのに、一人一人特徴を確認するのはより一層手間だ。三番が骨格、主犯格に当たるから三番さえ認識出来れば十分だと思われるけど。懇切丁寧に説明すると、一般人から見れば外見上に華があり、加えて内面が穏やかであるように装っているが本質は腹黒、それが三番だ。はい終わり。

 そうこう走行している内に、教室に着いた。私とその他のクラスメイトがわらわらと蟻社会のように自席を求める姿は傍から覗けば一纏まりに映るかもしれないが、その実何も纏まっていない内情を秘めているのを特に意識せず席に着く。即刻窓の向こう側を覗いてみるけど、そこに縁の可憐な容姿は無い。残念無念遅かったか。あわよくば瞳孔と瞳孔を合わせたかったのに。一緒に登校してきたばかりだけれど。あれ、でも今居ないということと始業式は中高共に同じ体育館で行われることを考慮すると、戻る際に縁とすれ違った可能性が無いこともない。さすれば千載一遇のチャンスを逃したことになる。事実に反すると信じたいが、もしそうだったらこれからは残りの九百九十九遇くらいモノにしないと。

 張り切って縁と出会える確率計算に身を投じていると、知らぬ間に教室の人口密度が高まってきた。喋らないと生きていけないのであろう人々の話し声が密度に比例して室内に谺する一方、私の内心はクラスの和を乱すように少子化を願う。何と言っても障壁は少ない方が絶対に良いから。もし世界中の生物が死に絶えて私と縁だけが生存していれば、どんなに遠くにいてもお互いの声が届くはずだもの。沈黙の初秋で綺麗な旋律の二重奏を。

 しかし実際に視界と耳介に入るのは騒々しいものばかりであることは想像に容易い。丁度今、論より証拠と言うかのように私の外周が囲まれた。以前も触れた覚えが無駄にあるが、私を取り囲む席には例の五人が配置されている。

 その五人が、あぁうん。引き金は私が偶然にこの位置に至る原因となった席替えに限る訳ではないけど、彼女達がその関わり合いの中でプラス、寧ろマイナスアルファ的に何やかんやしてくるのだ。何やかんや、妹とか、私とか、どうとか。そんなこと高二になってまでやることかと疑問符が付いてきて仕方ないけど。その上で何たらかんたらあーだこーだされるとこちらとしても見ざる言わざる聞かざるに徹しないといけないから縁に感覚を研ぎ澄ませられない。すると途端に縁が遠くなって、私は孤島に追い込まれて、目が虚ろに放浪して、あー、もー、思考停止。中止。これ以上頭の回転が偏ったら、固い硬い堅い我慢が決壊して咆哮して終幕しまいそうだ。

 あー、思い出してきた。これが新学期。休暇の天国から世俗な現実へと巻き戻される季節。この季節は油断してはならない。私は漸くそれを思い出した。だから右から九番の視線がちらちら泳いでくるのも、右後ろの三番が普段より明瞭な陰鬱を放ってくるのも例外無く蚊帳の外にした。

 音も光も全て遮断した。言うまでもなく縁だけはその条件下から除くけど。今日一日、そうやって過ごした。授業中窓越しに縁と。昼休み教室で縁と。下校中帰り道で縁と。そして明日からも。これが春から始まった日課だから。


〈妹〉

 式を終えた後も已むを得ずイちゃんと共に教室へ戻った。わたしが窓際の席に落ち着くとイちゃんは右隣の定位置に着く。実質的なわたしの隣はお姉ちゃんだけどね。隣人愛を初めとする良心の愛、心情の愛本能の愛存在の愛全てお姉ちゃんへの感情に当て嵌るよ。お姉ちゃんそのものが愛の化身と言っていい。仮に、般の愛とは何だろうと考え込んでも実利的な答えは出ないだろうから、それについては暇な哲学者に一任しておいて、わたしの抱く愛はお姉ちゃんに相成ると結論付けよう。そもそも愛という概念を一般化出来るのかという問題がある気がする。

 そんな理論より実物のお姉ちゃんだと思い左側に目の焦点を伸ばす。その先に、無事お姉ちゃんの存在を確認できた。けどまだこっちに気付いていないみたい。シャーペンを親指と中指の間に挟んでゆらゆら揺らしている。

 わたしもお姉ちゃんも視力が良いから、遠距離だろうと確実に見つめ合うことが出来る。これは大袈裟に表現するならわたし達姉妹に与えられた天性の能力と言えるかもしれない。目が悪かったら悪かったで、はっきり見えるようにお互いの距離を縮めた結果どぎまぎしてしまう、なんてことが起こるチャンスがあるか。難しい所だね。

 お姉ちゃんこっちこっちと熱い視線を送っている間に授業の予鈴が鳴った。お姉ちゃんからの交信を待ち望んでいるわたしを差し置いて担当の先生が教壇に君臨し、クラス全体は一丸となって恒例の挨拶を行う。一方お姉ちゃんのクラスは早めに授業が始まっているから、現時点ではわたしの居る教室より静かであるはず。この号令の音量に乗じてお姉ちゃんの気付きをレシーブ出来ないかなぁと思いを馳せていると、右耳から別のスパイクが来た。

「縁ちゃん縁ちゃん何処見ているの?」

 音の訪れる方向からイちゃんであると推察するのは易しいけど、お姉ちゃん専用の眼光を他のベクトルに捻じ曲げようとしてくるのはある種優しくないと思う。なるべく関わり合いになりたくないのに。でも学園生活を営む上で完全に孤立するのは厳しいものがあるから、欲を出し過ぎてはいけないか。ファンサービス的な友情を心掛けよう。

「お姉ちゃん」

 特に思い入れの生まれないイちゃんに対して、身分相応の適当さを付随させて答える。

「あー、さっき言っていたやつね」授業に入ったということで、普段より声を抑えて相槌を打つイちゃん。普段という認識が形作られる程頻繁に接しているつもりは無いけど。

「……て、そこからお姉さん見えるの!?」そうやって折角わたしが良心の片鱗の元で比較的好印象な姿を描いてあげたにも関わらず、その甚大な努力を一瞬で無下にするかのように、イちゃんは自分の席からわたしの方へ身を乗り出してきた。原因と結果が歴史上稀に見るレベルで直列繋ぎしたかもしれないと疑う程、必然的に周りの席の子何人かがわたしとイちゃん、主にわたしの方へ注視を送る。わたしは被害者ですよ。

 こんな大胆に反射神経を使ってくるとは思っていなかったので、その神経質な一面を鎮める為、延いてはイちゃんを自席に定住させる為、真から出た嘘を吐いてあげなくては。お姉ちゃんのことを敢えて認める必要は無かった。

「あぁいや、嘘だよ嘘嘘」

 わたしとの距離を縮めて何がしたいと怒りで我を失う世界線もあったかもしれないわたしは、あくまで自然に穏やかに装って至近距離のターゲットに虚構の爆弾発言を射出する。実際に爆弾となるような要素はないと思うけど。

 しかし事実は小説より奇なり。どういう訳か思わぬ起爆スイッチを押してしまったらしい。

「え、けどそうでもなかったらそんなにまじまじと窓の外なんか見ないよね?さっきの話から推測するに、縁ちゃんと縁ちゃんのお姉さんの関係性には凄く非常にとっても大きな家族愛、姉妹愛、それともそれ以上?の愛があるんだろうから、縁ちゃんがそこから覗いているのはお姉さんに間違いないよね。そうだよね絶対そう。だったら見せてよ、縁ちゃん、それだけ深い仲にあるお姉さんが居るんだったらこっちにも見せてよ、そうでしょ縁ちゃん。ねぇ縁ちゃんほら早く。ねぇねぇ縁ちゃん」

 うわ、何だこいつは。急に捲し立ててきた。授業中だし皆見ているのに。あれ、イちゃんってこんなキャラだったっけ。ぺらぺらぐだぐたと生産性の無いようなことを喋る人間だったかな。おかしいな。今まで、というか一学期の間はそんな様子見受けられなかったのに。それともあれかな、何か気に触れることを言ってしまったが故に饒舌な噺家モードに埋もれたのかな。何にせよ解決の糸口が見えない。

「縁ちゃん縁ちゃん縁ちゃん、ねぇ縁ちゃん聞いている?」あぁもう縁ちゃん縁ちゃん煩い。聞きたい訳でもないのに無理矢理リスニング試験を受験させられている気分だ。もう良いや、こうなったら嘘に嘘を重ねて真実の濡れ衣を着せるしかない。

「あー、うん、そうだよ。嘘って言ったのが嘘。あそこに居るのがお姉ちゃん」

「……へぇ、あれが縁ちゃんのお姉さんか」そう言うとイちゃんは窓の向こうで授業を受けているお姉ちゃんにじとりとした視線を送る。うわ、うわわ。傍から見ると気持ち悪い。これは少しどころか結構な後悔。

「意外とあんまり似てないね」一頻り凝視したイちゃんは隣の校舎からわたしへ首をターンさせると、望んでもいないレビューを寄越してきた。確かに似てないと言われないことは無いけど、この状況で言われると普段の数倍堪忍袋に負担が掛かる。そう言えば地味にあの遠藤慰陽もいつの日にか「二人は全然違うよぅ」という趣旨の発言をしていたような気がする。何かもう不毛な記憶しか甦らないよ。

 そんな風に人間の稚拙なメモリーに思い悩んでいると、見て見ぬ振りをしていた先生が漸くこちらに対峙してきた。

「おいこらそこ、静かにしろ」注意を受けたイちゃんは流石に今まで隠していた人格を引っ込めて、数歩後ろの隣の席に戻った。ナイス先生。

 それに引き換えイちゃんには困ったものだ。イちゃんのキャラクターがわたしの手の中で浮いている。あの饒舌家形態が素なのか、これまでの何処に出しても恥ずかしくない態度が本質なのか。人には二面性やら矛盾性やらがあると言うけど、あまりに酷いと今後の付き合い方を考えないといけなくなる。考えるというか切り捨てるかな。

 何よりお姉ちゃんを観察していたはずの十数分間を削られたのが痛かった。この時間にそれ以上イちゃんが関わってくることは無かったけど、わたしがお姉ちゃんを見ている間、頻りにイちゃんからの無言で不気味な邪視を感じた。

 ここまで来るとちゃん付けすることが嫌になってきた。せめてもの報いとして心の中で呼び捨てにする為に、彼女の苗字だけ把握しておこう。この通り「彼女」で済ませても良いのだけど、お姉ちゃん以外の女性全員彼女さんになって混乱を招くので記号としての呼び名が必要なのです。

 名前を特定する為、黒板の隣に貼ってある座席表を自分の席から遠目で目視する。実を言うとこの座席表に対するわたしの習熟度は虚無に等しく、つまりは初見ということになる。これを利用する日が来るとは思わなかったよ。それでも直接確認するよりは数十倍ましだからね。

 えーと、隣の席隣の席……ほぅ、井口いぐちか。彼女は井口と言うのか。それだけ分かれば十分事足りる。彼女はイちゃん改めこれからは井口と呼ぶことに賛成一名、よって可決されました。真の理想は井口の存在が風に消えることだけど。

 されど現実は小説よりも悪なり。井口は休み時間や次の科目の時間も、源泉の不明な水を得た魚のようにぺちゃくちゃと二つの人相で語り掛けてきた。当然わたしは話半分未満、お姉ちゃん凡そ全部で耳を傾けていたけど、迷惑であることに変わりは無かった。どんなにわたし達姉妹しか存在しないフィクションの世界に生まれ変わりたいと願おうとその夢見は現世に適さないように、わたしは四方を囲まれたこの教室の中で、悲恋の唄を歌うのであった。

 結局授業中にお姉ちゃんと交信出来た時間はそう長くなかった。昼休みは一学期同様わたしがお姉ちゃんの元に訪れたから、あの教室での居心地に比べればお姉ちゃんの人気の少ない教室は格段に快適で過ごしやすかったし、お姉ちゃんと会話出来て楽しかったけど、その時間はわたしの体感には刹那に喩えられる。

 全ての授業が終わって、先にいつもの場所で待っていたお姉ちゃんと帰る時、否応無しに教室の空気を引き摺ってしまいそうになる。一学期はそんなこと無かったはずなのだけど。けれどそこは妹としての意地の張り所、明るく元気にお姉ちゃんとお喋りを交わした。当のお姉ちゃんからも今日は何だか暗めな体相が感じられたから、休み明けはこんなもんなのかなと思った。

 何はともあれ、今日最も痛感したのはやっぱりお家が一番ということ。はぁ夏休みが恋しい。

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