第3話
〈姉〉
そう言えば夏休みの予定を相談するのを忘れていたな、と縁が教室に戻ってから思い出した。あーくそぅもっときゃっきゃうふふ、ぐりぐりドキドキするはずだったのに。そりゃあ全くの二人きりという訳では無いけど、半径幾らかに限定して考えれば席に着いているのは私達だけだから、ある程度解放的に、ある程度以上のイチャイチャをしたかった。全く夢と現実の距離は掛け離れている。この屈辱を活かして夢の世界に果敢に挑戦していきなさい、という素直になれない世の中の希望の余地とも捉えられるか。無限限に極大解釈してみた。
ところで夢の世界に関して良い案が舞い降りたのだけど、しかし具体名は禁忌に触れる事項なので慎重に参りたい所で、つまりそれはディズ、これ以上は遠慮しよう。兎に角その和訳に相当するのかは知らないけど、夢の国らしき場所に行ってみるのは一興ではないだろうか。いやけれど迷う……。
実は今までに二、三回は入国したことがある。最近か昔かと問われればその間くらいの頃、私がまだ小学六年生、縁が二年生だった時だ。当時から縁は私ばかり注視していたので、如何なるアトラクションを体験する際、例えば宇宙のような山、微小な世界、巨大な雷山、水浴びの山、空中飛行する象等に乗る時も殆どずっと私を見ていた。私も縁を頻りに見ているつもりだが、私が覗く時必ず縁も私を覗いているからそういうことだったのだろう。縁は深淵のような魅力がありますね。前、右前、右、右後ろ、後ろを代表としても違和感の無い種全体の浅はかさとは、比較するまでもない。
そんな私への見識の深い縁は魅惑な遊具を終了した後、毎回感想を聞かせてくれた。「えへへ、楽しかったね」「お姉ちゃん、スリルを一身に受けていたね」「あんな鼠よりお姉ちゃんの驚き顔の方が可愛かったよ」「あ、勿論今も可愛いよ」「お姉ちゃんなんかニヤニヤしている」「お姉ちゃんと居ると何でも楽しいよ」「お姉ちゃんの魔法だね」「お姉ちゃん」「お姉ちゃん」「お姉ちゃん」「お姉ちゃん」「お姉ちゃん、好き」「お姉ちゃん、あっちの人気の無い所に……行かない?」
最後二つは実現していたら良かったけど。あぁ永久保存の至高の思い出で癒されていく。脳味噌が溶けてしまう。縁は何と言うか、癒しその物みたいな存在だ。甘ったるい菓子で造られたそこらの女子と違いビターまで薫る。
もう縁の言葉を集めて纏めて税込何千円かで自費出版したい。「遊園地で縁に言われたい台詞」「お風呂で縁に言われたい台詞」「間違えてトイレの扉を開けてしまった時に縁に言われたい台詞」「どうしても外せない予定で暫く離れることになり、別れの時に縁に言われたい台詞」「ベッドの上で縁に言われたい台詞」「夜の浜辺で縁に言われたい台詞」などなど、考えると終わりが見当たらない主題にランキング形式で今まで縁から授かった言葉を当て嵌めて整頓して書籍化して自己満足するべきだった。産後からその隣で編纂作業に着手すべきだった。縁との握手券か何かをノベルティとして、全部自分で買い占めるビジョンが見えた。
縁との幸福夏休み計画は歯止めを知らないようで、その後も私の脳の中を満たしていった。時折窓から見える縁が見ているのを見ながら、周囲五人衆が到来、着席、共謀を果たしているのを尻目に。頭隠して尻隠さず。隠すという行為が善悪、損得のどちらに当たるのかは一考の余地すらない。五人の愉快な仲間達が見ている物は私の見えている物でも見えてない物でもなく、私の見ている物は五人囃子の見えている物でも見えていない物でもないのだ。何を言っているか分からない人は私の神経回路を参照のこと。出来るものなら。
そんでもって五人がごみごみと他国語とも取れる言語を会話の手段として用いるのを聞き流しながら、私は趣味と実益を兼ね備えた縁観察日記でも書こうと意気込む。識字能力を生かせていなかった純白のページに今日初めて文明を刻む。縁の発言集ではなく、シンプルに縁の小振りな形姿を紙の表面に黒鉛で映し込み、その真下に私の今日という時間に属する縁への思いを綴ろうという物に他ならない。
この観察日記は現在の席に移籍した時から、言ってしまえば最近になってから書いて、描いている。描く方は良いのだけど書く方が却って上手くいかない。滑らかに文章が浮かんでこない。綴りと文法に束縛された文章では縁の素晴らしきあらゆることは表現出来ないのかと納得するあまりだ。身体感覚を未加工で記入出来る能力があったら良いのにと悔やまれる。その点、声のやり取りは波長で表現に幅を持たせられるので便利なこと。だが諦めずにトライアンドエラーし続けている。
「えーと……『今日は一限に縁を見ていたら縁に見つかってしまいました。楽しかったです』……と」
駄目だ、小学生時代の作文みたいになってしまう。
「『お昼休みはいつも通り縁と食べましたが、途中で縁に良くないことを言ってしまいました。反省します』」
ここまで書いた時点で既に書くことが無くなってしまった。手持ち無沙汰だから無心でノートに『縁』『縁』『縁』と延々書き連ねる。既に描いた縁の絵を見つつ三次元の実物と対比する。うーんまぁまぁ。画力は無くは無いと言った所。今本体の縁は黒板の方を向いている。遊園地等のプライベートな時間は私に専念するのに対して、授業中はきちんと板書に集中するようだ。そりゃそうだ。縁は何気に成績が良い。一方私はこの所芳しくない。私の心はいつだって体育会系だから。発揮する場と予定は無いけど。あ、こっち見た。手を振ってくる。定期的に顔を向けてくる愛らしさと切なさよ。
思考を全て縁に割きながら昼からの授業をやり過ごし、やっとのこさ放課後になった。六時間目の最後五分の間に帰宅準備は済ませてあるので、五人の雑音等は華麗に見逃しを決め込んでそそくさと教室と廊下の境界を超える。階段を下りて両校舎の分岐地点に向かう。因みに例に漏れない十三番は外角高めストレートの勢いで訪れたが、諦めを促し試合を終わらせた。
目標地点が視界に入るとそこには既に縁が待っていた。そう言えば前の授業の途中から教室を出ていたけど、早く終わったのだろうか。だとすれば長く待たせて退屈させてしまった。
「縁、ごめんお待たせ」
「あ、お姉ちゃん」
「帰ろうか」
「うん」
〈妹〉
五時間目と六時間目はがりがり黒板を写し、ちらちらお姉ちゃんを垣間見ていた。六時間目は夏休み前日ということで少し早めに終わったので先にいつもの場所で待っていた。最初はお姉ちゃん以外の人類すら一匹も居なかったけど、時間が経つにつれて耳障りな音が目立ってきた。授業中は二つの事象に集中しているから大丈夫なのだけど、やることが無いとどうも。でもお姉ちゃんが急いで来てくれたから良し。お姉ちゃんと軽く挨拶を交わして学校を後にする。本題に入る前に会話の前菜を添えよう。
「今日は終わるのが早かったんだ」
〈姉〉
「そうだよね、良いなぁ」
私のクラスも見習えばより充実した時間を過ごせていたのに。二人で授業を途中で抜け出してみたらかなりの青春特有の甘酸っぱさを賞味出来るだろうな。今度やってみよう、というのは冗談に留めた。
縁が何か言いたそうな顔をしている。それを見てあぁそうだ私も言いたいことがあったのだと記憶を確認し、その話題を持ち掛けようと声を発する。
〈姉妹〉
「「あのさっ」」
〈姉〉
おっとタイミングが被ってしまった。息ぴったり以心伝心だねと湧く前に「先良いよ」と偶には姉らしく先を譲る。格好良く言えば未来を紡ぐ。
〈妹〉
二人の声が同じ瞬間に出るということは最早口付けしているのと同じだと思った健全なわたしは、後手に回ってくれる淑女なお姉ちゃんが好き。一歩先で見守ってくれるお姉ちゃん。未来を紡ぐお姉ちゃん。あれ何かシンクロを感じる。まぁいいや。
「これ、昼休みにも言おうとしてたんだけど、夏休みの予定どうしようか?」
〈姉〉
「あぁそれそれ、私も訊こうと思っていた」
おぉ完全なる思考の一致。と言っても私達姉妹からしたらこの程度の同調、朝飯前なのですが。そうだねぇ、一番期待するのは。
「海とか行きたい?」
〈妹〉
話題も一致していたのか凄いねやったね……って海!海だ。丁度わたしもお姉ちゃんと行く海を求めていたのだった。海の紺碧が似つかわしいマーメイドお姉ちゃんを。
「お姉ちゃんと一緒なら何処へでも行けるけど、海は特に賛成!」
〈姉〉
私も縁となら地獄の果てでも。あぁでも縁の周囲は漏れなく天国に早変わりするから前提が有り得ないわ。早合点早合点。
「本当?じゃあそうしようか」
私も行きたいからね。とは言え毎度決定までは流暢に進みながら実行に腰を重くする私達にはあるのだが。加えてあの狭い家に荷物が増えてしまうけど、それは無視して縁を注視しよう。いつものことでいつもの無意識のことだ。
「やったー」
そう喜ぶ縁を見て、撫でたいといつものように思った。
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