第2話

〈姉〉

 食べたい。何をかってそれは縁、と食べる昼ご飯のこと。四限が終わり気付くとお腹が空いていた。主に脳と眼に無限で夢幻なエネルギーを注いでいたからだと思われる。

 話が逸れているようで根本的には逸れていない話をすると、食べたい物は何と聞かれると嫌いな食べ物が無い私は食料全般を想起するが、食べたい者は誰と聞かれたら答えは一つに絞られるのが私なのだ。食べると言っても比喩的な意味になる訳だけど欲を満たすという観点から見ると同等かな。いやそんな枠に囚われない崇高な行為だろう。尤も今すぐ踏み切ることではないし踏み切れないので表には出さないけど。この思考から本心は丸裸であったと我ながら反省、せずに次に活かさずに生きたいと思います。でもナイフやフォークを使う方とは違って、基本的に文字通り裸一貫で致せる尽くせる方は肉が消化されないし、お互いの抽象的な何かが深まるから計画的に長期的にも短期的にも素晴らしい、よね。何が言いたいかというと、私だって時々は欲情するという当たり前のことを確認したまでだ。しかしあくまでも情を欲する相手が重要なのだ。

 まだ来ないかなぁと机に丁度いい大きさのテーブルクロスを敷き広げて準備しながら待機と期待をする。そうだ序でに前の席の机も逆向きにして接合してしまうおうと思い立ったが吉日で、席を立って出席番号三十六番のそれをそうした間たった数秒経っただけだが、縁がたったったと小走りでやって来た。

「食べよ?」声を弾ませて言ってくれるので、私との食事を楽しみに来てくれていると思うと今に始まったことでなくても嬉しいものは嬉しい。私もうん、と言って改めて席につき続いて縁も前に座る。手作りされたお弁当を各々開けて「いただきます」挨拶する。挨拶と言うとおはようこんにちはこんばんはその他儀礼の感触が強いけど私達はそれに留まらない。誰かではなく君と食べると美味しいねという効果をも齎してくれる縁にこの気持ちを前置きとして伝える行為であり、縁も意識はしていないかもしれないがそういう意思のはずだ。多分。

 お弁当を開けたら後は思い思いの順でおかずと白米を口に運ぶ。二人で内容が微妙に変えられているのがポイントだ。

「さっき初めてお姉ちゃんが窓からわたしを見つめるのに気付いたよ」

 米粒を五十粒ぐらい箸に乗せて体の内側に入れた後、お茶を利用して飲み込んだ縁は先刻のことを指摘してきた。バ、バレテシマッタカという猿芝居は廃業する、というより寧ろ三、四時限目では二人とも覗き見つめ合っていたのだけれど。言葉を隔てる物理的障壁があろうとも私達には無いのと同義だという新たな可能性を体現してしまったのだが、やはり至近距離で話す方が楽しい。縁分補給の効率が上がる。

「秘密にしていたつもりはなかったけどね。この前の席替えで縁が見えることに気付いて、隠れて眺めるのが楽しかったからさ。ごめんよ」

 箸をお弁当箱の角で支えて傾けながら自分でも分かる照笑いを発しそう言った。ここは一つ素直になって謝ろうとしたが言い訳みたいになった。

「いや全然悪くないよ。最初は驚いちゃったけど」

 対して縁は私の意地悪を嫌な顔せず、心成しか少しニヤつきながら励ますように身体を前に揺らして認めてくれる。優しい理想の妹。

「大丈夫だよ、驚いた顔も可愛かったから」

 何が大丈夫なのだと言いたくなるだろうけど、縁が愛しいから私は大丈夫ということです。幸せを抽出して生きていけます。一家に一人、縁が必要不可欠です。二人、三人と増殖しも良さそうだ。

「え……そう?有難うお姉ちゃん」

 縁は顔の色については一面に血液の流れを主張する色として薄く赤くなり、顔の傾きに関しては俯きさえしなかったが目の焦点は左右に数回往復した。いつものことである。この程度の口説き言葉では少々動揺するくらいだが、私の奥底の本心を曝け出したらどんな事態になるのかね。でももしかするとバレバレなのか?縁の前では比較的しっかりしているつもりなのだけど。とは言えそうすればこの程度で照れるとは考えにくい。いや何時だって褒められたら気恥しいか。可愛いから何でもいいや。

 そんな照れ気味の縁に私のお弁当の卵焼きを箸で掴んで食べさせてあげる。甘味と塩味で言えば前者に傾くような味に日頃作られている。縁のお弁当ではスクランブルエッグが卵焼きの地位を奪っている。相変わらず凝ったレシピなこと。他人の食糧事情などは知っていないけど。毎度こうして食べさせ合いながら昼休憩を縁と教室で過ごす。私が所有権を譲渡した卵焼きを口に入れ動かす縁は、別の意味で口を動かそうと視線を送る。

「もぐもぐごくり。それで最近わたしの方見るとたまにニヤついていたんだ」

「私そんなに分かり易かった?」

 確かに一方的な観察への背徳感は感じていたけど顔に出ていたとは。危ない危ない、というより危ない人だった。今なら機密情報を漏洩した役人の気持ちに共感の努力が出来る。流石私の妹。察知能力が高くて嬉しい。しかし次の私の言葉は自己由来とは思いたくない悔やみの限りと化した。

「何か私って気持ち悪いね」そんなこと縁が思っている訳無いのに、何となく会話のリズムに合わせて言った。

「そんなこと無いよ!」直後、縁が普段見せない語気で机に身を乗り出しこちらの机まで迫ってきた。怒気とまではいかないが、さっきまでの緩んだ表情から一転、張りつめたような顔になった。「え」と慌てる前に、縁の言の葉が遮る。

「お姉ちゃんが気持ち悪いなんて無いよ……あり得ないよ。絶対だよ。そんなことがあるんだったら、わたしどうすれば良いの……お姉ちゃんは素敵だよ。わたしにとって本当に本当に、大切なんだから、お姉ちゃんも自分を大切にして」

 それは言葉の槍ではなく盾という印象を与える。言葉一つ一つ縁は噛み締めるように、歯を食いしばるように振り絞った。その姿を見て声を聞いて息を聴いて、私は自分の浅はかさを体感した。深く考えず自分を卑下すること、それが及ぼした代償。縁が私を想ってくれること、それを蔑ろにしたも同然だ。縁が悲しむという私にとって最大の罰が下った訳だ。私は思い違いに踊っていた出来損ないの人形だった。だからお互いの言葉の重みを軽んじていた。今これ以上、言葉を無雑には扱えない。それなら。

「有難うね」喉から出てきた言葉は、礼儀でも儀礼でもない愛拶。愛が溢れている。愛が溢れている。この場所だけは真実だ。あぁ。あぁ。あぁ。あぁ。自分に僻まれていた自分が。自分が。自分が正しくなっていく。

「お姉ちゃんは格好良いから、自信持って良いよ」愛の質量が増えていく。相手が縁だから。縁だからこんなに嬉しいのだと感動する。縁由来の物は全て心の栄養だったのだ。今までとこれからの行いが修正される。私の人生、縁の全部にしたい。

「……縁もね」縁のくれた大事な物に、全力の花を添えた。

 五時間目の予鈴が教室に鳴り響く。教室の中、誰と比べてもいつにも劣るはずのない最も充実した時間。それも偏に出席番号三十六番、四十番、九番、三番、二十五番のお蔭だ。だってチャイムが告げた途端、揃って教室から出て行ってくれるから。

 私の席の周囲五人は。


〈妹〉

 教室を出て校舎が別れる階段手前、朝通った道を逆走する。二年の教室は高校校舎三階にあるので、奥の方、校舎としては真ん中に位置する階段を上り、上り切って真正面の教室がお姉ちゃんの居る教室となる。

 わたしの教室からお姉ちゃんの教室まではそう近くはないけど、昼休みに心の距離を近付ける為に身体の距離も近く知覚することを考えたら苦どころか喜びの余り走り回る程だ。

 という訳で階段の後の平地は軽く走ってみた。そのままお姉ちゃんの教室にゴールインする。あ、ゴールインと言うと結婚するみたいに聞こえる。長年の交際を経て念願の結婚式。純白ドレスのお披露目。誓いのキスは蜜の味。勿論わたし達に終幕なんて無いと思うけど。強いて言うならわたしは常にお姉ちゃんに満足している。

 そんな上昇思考の最中のわたしは対象のお姉ちゃん席にたったったとスキップする。学校において時間的にも場所的にも一番密になるからワクワクする。血液が新しく生成されて冷たい水が胴体を流れる感覚、と言って伝わるかな。お姉ちゃんに以前聞いた時分かると言ってくれたからそれで良いや。問題無し。

「食べよ?」視界と鼓膜はお姉ちゃんしか受け入れないので拝見と拝聴も必然的に、根底的に同様なのである。お姉ちゃんに向けてわたし音波送信中、認証中、送信完了ってな。届いたお姉ちゃんは頷いて反応してくれた。よし、と日常の日常たる所以を堪能し、席にダウンしようと向かう。

 お、予め二人机にしてくれていたのですな。ありがたや、お姉ちゃん。そのお心遣いに感謝すると共にお姉ちゃんの存在その物に多大なる敬意を僭越ながら抱かせてもらいます。二礼二拍手一礼。ははぁー。

 用意されたお姉ちゃんの前の席に座る。間接的にとは言えお姉ちゃん以外の人間に触れるなど本来なら生まれてきたことを後悔し、経験してきたあらゆる恥を吐露し最終的に切腹するべき事態だけど、こういう時はまぁ妥協しようということに決めている。仕方ない。椅子を持ってくる訳にはいかないし。

 自分の持ってきたお弁当を開けて、がつがつむしゃむしゃ、という音を華の姉妹が立てるはずはなく、静謐な清流の如き耽美を伴う佇まいで食事を取る。それはまるで、人里離れた薔薇の香り漂う箱庭を模した空間に居るかのように。真っ白なテーブルと椅子が背景の絡まる緑に合っている。

「あら、お醤油の染みが襟に付いていてよ、縁」

「あ、も、申し訳ございません、お姉様……」

「いいのよ、縁。ただし次からは気を付けることよ」

「はい、お姉様!」

「だって、折角の衣装にこんな染みが目立ったらいけないですもの。縁はこんなに可愛らしい姿をしているのに、衣装のせいで馬鹿にされることがありましたら、勿体無いですわ」

「お姉様……あぁお姉様、わたしのことをそれ程考えなさっていたのですね……!」

「縁……ふふ。何だか悪戯したくなるお顔をしているわ、縁ったら」

「お姉様……!」

「縁……!」

 声を聴くと、気持ちが昂っていくのが分かる。鼓動が操られているのかと思った。

 遂にわたしたちは食事中にも関わらず、お嬢様としての気品を投げ捨ててお互いを求め合う。そこには決まった作法など無く相手を想う心のみが身体に触れる。時には穏やかに舞う鶴のように、時には猛々しい樋熊のように。永遠なのか一瞬なのか時計が飾りと化してしまう程。それでも確かなのが嬉しい。二人の境界がこんなにも役に立つなんて。何て素晴らしいのだろう。実感する間も無く、実感する。姉妹という事実を意識して駆り立てるばかり。もう失うようなものは無い。着いては離れ上げては止んで。夜の闇に堕ちる、その時と一緒に。

「…………」

「…………」

 息遣いが外の羽虫より聞こえ易い。わたし達は部屋の中。解放から日常へと連れ戻されて、二人の連続は終わってしまう。しかしまた新しく始まるのだ。君が隣に居るから。

 ……と言った想像を普段から考えている。けれど想像が妄想で終わるとは限らない。妄想は空想で終わる方が良いなんてわたしは許さない。現実に起こったって良いじゃない。幸せはそうやって来て欲しいとわたしは願う。願うことしか出来ないのか。

 つまるところ実際に醤油を零す等の切っ掛けを作れば、お姉ちゃんと更に具体的に発展出来るのではと思った。お姉ちゃんのことになれば才気ある創造力が覚醒する。対姉妄想の専門家と言っていい。だけどこの作戦はお姉ちゃんに迷惑を掛けるだけで終わる可能性がある。それはいけないなと、わたしの積極性を封印、封印。

「さっき初めてお姉ちゃんが窓からわたしを見ているのに気付いたよ」

 頭の中で巡らせていた事案を切り替え、朝のことを話題にしてみる。朝以降も見られていたけど。補足すると見つめ合っていた。

「秘密にしていたつもりはなかったけどね。この前の席替えで縁が見えることに気付いて、隠れて眺めるのが楽しかったからさ。ごめんよ」

 いつの間にか席替えしていたのだね。別に謝って欲しい訳ではないのだけどな。ただの話題選択、今日のフラッシュバック。因みに「ごめんごめん」とはにかみながら言うお姉ちゃんの爽やかは言わずもがな、だよね?なのです。

「いや全然悪くないよ。最初は驚いちゃったけど」

 逆に影で隠れて見られていたと考えるとそれはそれで、ってまたお姉ちゃんとわたしをモチーフにした創作意欲が掻き立てられる所だった。ふぅ、回避回避。会話中、食事中だから官能的な話は控えよう。その内現実と幻想の分別が付かなくなってしまいそうだ。それはそれで。

「大丈夫だよ、驚いた顔も可愛かったから」

 え?……え?

「え……そう?有難うお姉ちゃん」

 そ、そ、そそそそ、そう。そうか。まさか不意打ちとは。そりゃあ皆さんお察しの通り、わたし達姉妹の情の深さからしてこの程度、いやこの程度と軽々しく表現するのは憚られるけど、「可愛い」と言い合うだけで今更特別嬉々として舞い上がることは無い。でも、それでも少しは意識しちゃったりする訳で、結果体温上昇中で。

 悟られたくないので平静を装う。出来ているかは不安だけど。妹だからってお姉ちゃんに甘えてばかりは良くない。お姉ちゃんに余計な心的負担は出来れば掛けたくない。勿論姉妹という関係自体は特別に思うけど、好きだからこそ偏り無く愛し合わないとね。

 あぁあんなに脳内を膨らませていたわたしも受け身になると弱っちゃうからなぁ。だったら攻めていきたいですな。得意分野を開拓していきたい。

「もぐもぐごくり。それで最近わたしの方見るとたまにニヤついていたんだ」

 取るに足らない攻め。責めではない。

「私そんなに分かり易かった?」

 分かり易い分かり易い。それまた可愛いお姉ちゃん。

「何か私って気持ち悪いね」

 …………………………は、は、はぇ?え、何で、何で何でそうなるの。そうなるのは何故どういうこと?え、は、え、え??は?ふぇ?

「そんなこと無いよ!」そんなこと無いよ!そんなこと無いよ。そんなこと、何で?原因?理由?説明?結論?兎にも角にも最終的に結果的に究極的に統合的に全体的に局部的に根本的に絶対的に論理的に理論的に倫理的に感情的に、何で?お姉ちゃん、気持ち悪い、繋がりは、無くない?お姉ちゃんが気持ち悪いなんて、あるの?反語にならざるを得ないよね。そうだよね。ね。ね。

「お姉ちゃんが気持ち悪いなんて無いよ……あり得ないよ。絶対だよ。そんなことがあるんだったら、わたしどうすれば良いの……」わたしが生きられなくなっちゃうじゃん。わたしの感情の全部を捧げたい相手はお姉ちゃんだけなの。お姉ちゃんを大好きに思うのはわたしなの。「お姉ちゃんは素敵だよ。わたしにとって本当に本当に、大切なんだから、お姉ちゃんも自分を大切にして」そうなんだよ、口が言ってくれているよ。わたしはお姉ちゃんが大好きなんだよ。お姉ちゃんしか居ないし要らないんだよ。本当に本当に。お願いだからお姉ちゃんはお姉ちゃんを否定しないでよ。お姉ちゃんが否定してしまったら、否定を否定するにもそれが届かなかったらわたしは一体……本当に。

 わたしはお姉ちゃんと生きている。わたしはお姉ちゃんと息している。わたしはお姉ちゃんと生きたい。わたしはお姉ちゃんと往きたい。わたしはお姉ちゃんと逝きたい。でも最後の最期はまだ早いから。わたしはお姉ちゃんとだけ居たい。

 一拍置いたお姉ちゃんは、わたしの思いの欠片を拾い集めてくれた。

「……有難う」

 わたしはお姉ちゃんの言葉を聞いた。その言葉もまた欠片であるけれど、その一片からパズルのピースのように想像出来る。いいや、わたしとお姉ちゃんならもっと簡単に分かり合える。それにわたしは想像に関しては得意分野だから。

 わたしの心の叫声が届いたかどうか。送信出来たかどうか。わたしは届いていると信じる。じゃあこっちも改めて送信するとしよう。さっきまではあまり余裕が無かったから。妹として頼りになるようにならないと。

「お姉ちゃんは格好良いから、自信持って良いよ」

 わたしはこれからもお姉ちゃんを信じる。

「……縁もね」

 え、え、そ、そそそそそ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る