第37話 クリスの反省

先日、それはクリスが帝都から帰って来た翌日のことだ。


本当は帝都から帰って来た当日中に色々と、リッドと話す予定だったが、自分が疲労で寝込んでしまった。


その為、翌日にリッドと二人で打ち合わせを行ったのだが、途中までは良かった。


だが、最後にリッドが言った言葉を追及して返ってきた言葉に私は、頭が真っ白になった。


なんと、彼は悪戯心で、私一人で寝ている部屋に入って、寝顔を見たというのだ。


その時、寝顔を見られて恥ずかしかったこともあるが、私一人しかいない部屋に男性が一人で入って来ていた。


その事実に気が動転してしまい勢いのまま商会に帰ってしまった。


「クリス様、おかえりなさいませ」


「ただいま、エマ」


商会に帰ってくるとエマが出迎えてくれた。


エマは黒い髪と瞳をしており、猫の獣人で頭にある猫っぽい耳と尻尾が特徴の可愛い私の従者だ。


彼女はわたしがサフロン商会に居た時からずっと一緒にいる。


従者というより、家族みたいな感じだ。


エマは私と帝都に一緒に行っていたが、彼女は帰りに商会へ先に戻り不在中に溜まっている、事務処理を確認すると言って途中から私とは別行動をしていた。


「バルディア家からクリス様が倒れられたと連絡が来て驚きました。大丈夫なのですか?」


「心配かけてごめんなさいね。もう大丈夫。元気いっぱいよ」


彼女は心配そうな顔でクリスを見ていたが、その様子に安心してホッとした顔をした。


「バルディア家の客室でお休みになっていたと聞きました。帝都の疲れが大分、取れたのではないですか?」


「え⁉ ええ、そう……ね」


「クリス様? どうされましたか? 顔が真っ赤になっていますよ?」


クリスは「客室でお休み」にという言葉でリッドに寝顔を見られたことを思い出して恥ずかしくも赤面してしまい、動揺する。


そんな彼女の様子にエマは体調が戻っていないのではないか? 心配して近づくと、クリスの顔を覗くようにじっとみる。


「な、なに?」


クリスはエマに動揺を悟られまいと顔を赤くしながら必死に瞳だけ横に逸らした。


だが、その瞳だけ横に動かす様は見る者に、何かあるのだと思わせる悪手だ。


「……クリス様? バルディア家で何があったのですか? 説明してください‼」


「いや、その……」


「言ってくださるまで、放しませんからね‼」


「うぅ……」


エマがこうなると本当に話すまで放してくれないことをクリスは長年の付き合いで知っている。


エマは何故かクリスが悩んだ顔を少しでも見せると、吐露するまで本当に放してくれない。


以前、何故そんなに気にするのかと聞いたことがある。


するとエマはこう答えた。


「クリス様は一人で抱え込むところがありますから。なので、私が聞かないとクリス様はパンクしてしまうじゃないですか?」


そう思ってくれるのはありがたいが、吐露するまで放してくれないのはやめてほしい。


だが、気付かれた以上もうだめだ。


観念してバルディア家であったことをエマに話した。


一人で客室に寝ていたところ、リッド様がこっそり一人で部屋に入ってきて寝顔を見ていたこと。


そのことを聞いてつい恥ずかしさのあまりカッとなってしまったこと。


話を聞いてくれた、エマの表情が最初は楽しそうだが、最後の「カッとした」という下りには呆れた顔をしていた気がする。


すべてを話し終えると、少し沈黙が流れた。


そして、沈黙を破る様にエマがおもむろに言った。


「クリス様、何をそんなにカッとしてしまったのですか?」


「へ?」


クリスはエマの言葉に呆気に取られた。


何故、カッとしたか? エマの言葉の意図が理解できずにクリスは動揺して珍しく思った言葉をそのまま口にした。


「だって、私というか女性が一人で寝ている部屋に男性が付き添いもなく一人で来るのは、その、世間的、男女の常識でダメでしょ? それに貞節の問題もある……でしょ?」


思った言葉をそのまま口に出してしまったので、言っていて自分でも正しいかわからなくなってきた。


でも、エマの表情はどんどん呆れた顔になっていった。


そして、小さくため息を吐いて、私を諭すように言葉を紡いだ。


「はぁ、つまり、リッド様に寝顔を見られたことよりも『クリス様という女性が一人で寝ている客室に、男性のリッド様が付き添いもなくお一人で来られた』ことを問題視されているのですね? 貞節の危機だったと?」


「……寝顔を見られたことも問題だけど、まあ、そんな感じ……かな?」


クリスは自分で言っておいてなんだが、自信が持てない。


そもそも何故、自分はこんなにも動揺しているのだろうか? エマは「ふぅ」とため息を吐き、「やれやれ」と肩をすくめると言った。


「クリス様、失礼を承知で申します。確かに、客室に一人で入り、クリス様の寝顔を見た行為は悪戯として咎めましょう。ですが、貞節の危機にはあたりません」


「へ? なんで?」


クリスはエマの言葉に驚いたが、意にせずエマは言葉を続ける。


「クリス様、よく考えて下さい。リッド様は6歳の子供ですよ? 6歳の子供に貞節の危機を言うのは初心にも程があります‼」


「……‼」


エマとしては「初心」というより愚かとか鈍感とか、もっと強い言葉で言いたい気持ちもあったが、ここはさすがに言葉を選んだ。


対してクリスはエマの言葉にハッとして、顔どころか全身真っ赤になった。


そして頭を抱え込んだ。


クリスが自覚した様子を、今度は楽しそうな笑顔で見始めたエマは畳みかける。


「でも、そうですか。クリス様はリッド様を6歳の子供ではなく、男性として見ていたのですね。それならクリス様の言動は適切だったかもしれませんね?」


言い終わるとエマはにこりと笑顔を見せる。


その言葉と笑顔に動揺してしまったクリスはとっさに言葉を返した。


「いや‼ 男性としてリッド様を見ていたわけでは……そ、そう、リッド様が6歳だと忘れてつい、そういった言動をしてしまっただけよ‼」


「はい。わかっております。リッド様の言動が大人と変わらなかったので、接するうちに子供であることを忘れて、男性として見てしまったのですよね?」


「な……‼」


私はさらなる墓穴を掘ってしまい言葉を失った。


そして、リッドの存在が自分の中で大きくなっていることを自覚して、私自身も驚いてしまった。


確かにリッドは子供とは思えぬ言動をする。


そして、何よりエルフの女性である私を重用してくれた。


どの国においても女性の立場は厳しい。


その国の主要種族ではなく商人の女性ともなればすぐ侮られる。


サフロン商会から独立する時にも周りから一番心配された部分はそこだった。


だけど、リッド様はそんなこと考えずに信じてくれた。


そして、皇族に謁見の機会も与えてくれた。


今回のことでクリスティ商会は確固たる立場を作ることができた。


まだまだこれからだが、商会として一区切りついたと言ってもいい。


その機会を与えてくれた人物に好感を抱かないわけはない。


そう思った時、口から自然と呟いてしまった。


「そう、私はリッド様に好意を抱いていたから、あんなことをしてしまったのね……」


「お認めになりましたね?」


「あ、いや⁉」


つい呟いてしまった言葉をエマに聞かれしまったと思うが後の祭りである。


エマはニコニコ笑顔で言葉を続ける。


「でも、いいじゃないですか。男女の恋に歳の差はありませんから。好きなものは好きで良いと思いますよ?」


男女の恋に歳の差はないか。


確かにリッドとなら歳の差を考えずに恋も出来そうだが……と思った時に我に返り首を横に振った。


「いやいや、子供と大人では恋も何もないでしょ……」


「でも、母国のアストリアでは歳の差が30や50は当たり前じゃないですか?」


「それは、エルフ同士の話でしょ……」


確かにエルフ同士であれば、長寿であるが見かけが変わらない為、人族と比べるとすごい年の差の婚姻はある。


だが、さすがにそこまでの歳の差で人族とエルフが婚姻した話はあまり聞かない。


「なら、クリス様がお待ちになれば良いのですよ」


「……は?」


「考えても見てください。クリス様はエルフなのですよ? つまり、リッド様が大人になるまで待てばよいです。そうすれば、クリス様が気にしている問題は解決できますよ」


確かにエマの言う通り、リッドが大人になるまで自分は待つことができる。


エルフは20歳から容姿が変わることない。


老いが出始めるのは死期が近くなってきてからだ。


その為、リッドが綺麗と言ってくれたこの容姿のまま、彼が大きくなるまで待つことも出来る。


……と思ったところで我に返り首を横に振った。


「いやいや、リッド様は辺境伯の息子なのよ? その時には婚約者もいるでしょ」


「クリス様。正妻など狙ってはダメです。側室を狙うのです‼」


なるほど。


正妻ではなく側室か。


それなら私でも機会があるかもしれない。


それに20歳以降は見かけも変わらないから側室には持ってこいかも。


……と思ってしまった自分を自己嫌悪して、眉間に皺を寄せてからおもむろにエマに言った。


「……はぁ、もういいわ。頭が痛くなってきた」


「そうですか、でも将来的に考えておいてよいと思いますよ? リッド様は絶対、クリス様を大切にしてくれます。そのような人とのご縁は大切になさってください」


エマの口調や表情から、言ってくれていることはすべて本心とクリスはわかっている。


確かにリッドと婚姻を結べれば幸せになれるかもしれない。


エマは私のことを思って言ってくれているのだろう。


そんなエマに私はお礼を言った。


「……エマ、ありがとう」


「いえ、出過ぎたことを申しました。お許し下さい」


「気にしなくて大丈夫よ。それよりもリッド様にお詫びしないといけないわね」


確かに、冷静になると自分がとんでもないことをしてしまったと今更ながらに反省する。


感情で動いてはダメね…… 


クリスは「はぁ」とため息をついてリッドに対しての謝罪をどうするか考え始めた。


その時、リッドと話していた大事なことをエマに伝え忘れていたことを思い出した。


そして、ここぞとばかりにクリスは笑顔を浮かべてエマに言った。


「エマ、リンスと化粧水だけど、名前が変わるわ」


「リンスと化粧水ですか? 承知しました。どのような名前でしょうか?」


「……化粧水名は「クリスティ」よ」


「ブッ‼」


エマは予想もしない名前に吹いてしまった。


まさか、化粧水名がクリスの名前になるとは思ってもみなかった。


噴き出した様子のエマに、引きつった笑顔を見せるクリス。


「……私じゃないからね? リッド様の鶴の一声だからね?」


「クククッ、わ、わかりました。ではリンスの名前はなんでしょうか?」


さも楽しいそうに笑いを堪えるエマに、これから逆襲が出来ると思ったクリス。


それは意地の悪い笑顔をしていた。


そして、おもむろに告げた。


「リンス名は……リンス・クリスティ・エマよ」


「……へ?」


エマは一瞬で鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。


「よかったわね、エマ? 私と同じであなたの名前も世界に轟くようになるわよ?」


「……いやです」


クリスの名前が使われるのは商会の広告に繋がるのでわかるが、自分はただの従者だ。


名前が使われる意味がわからない。


それに人の名前ならいざ知らず、自分名前があちこちで囁かれるのは恥ずかしい。


必死にエマは辞退を申し出たが、先程のお返しと言わんばかりに意地の悪いクリスに断られた。


「エマが推した将来お勧め物件、リッド様の鶴の一声よ? 無理に決まっているじゃない」


「それでも、いやです……」


その言葉にエマの頭で立っていた猫耳が「ふにゃん」と下がるのであった。

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