第34話 魔力回復薬の試薬

その日、ナナリーの体調はすこぶる悪かった。


朝はいつも通りの寝苦しさで目がさめたのだが、動悸が収まらない。


「水滴の感覚」に集中するが、いつものように収まることはない。


その時が近づいてきているのかもしれないと直感的に感じて、顔が険しくなる。


「ハァハァ……まだよ、まだ負けるわけにはいかないの」


ナナリーは病人とは思えないほど、目に光と力強さがあった。


決してあきらめない。


最期の最期まで、この病に抗って見せる。


その決意が彼女にはあった。


この病に間接的とはいえ、心を蝕まれた息子が立ち直った。


母親である自分が弱音を吐いて、この病に負けるわけにはいかない。


これはナナリーの、母親としての意地と矜持だった。


「絶対に、絶対に負けない。見てなさい、私は必ずもう一度、自分の足で立ってみせるわ……」


ベッドの上で苦しそうに自分の胸を服の上から掴み、俯いていた彼女は虚空を睨みながら吐き捨てるように呟いていた。


しばらくすると、彼女の気迫に病がひるんだのか、動悸が落ち着いてきた。


「ハァ…ハァ…、それでいいのよ。大人しくしていなさい……」


肩を大きく揺らし、深呼吸しながらゆっくりとナナリーは声を震わして言葉を紡いでいた。


ナナリーは基本的に誰も部屋には常駐させないようにしている。


この病気に薬はない。


つまり、自分自身との闘いしかない。


ライナー辺境伯の妻である自分が、弱って苦しんでいる姿など誰にも見せるものか。


これもまた、ライナー辺境伯の妻としてナナリーの意地と矜持だった。


その時、部屋のドアがノックされた。


ナナリーは何事もなかったように息を整えてから「どうぞ」と返事をした。


すると「ナナリー、入るぞ」とライナーの低い声が部屋に響いた。


そして、「失礼します」とリッドと茶色い髪と水色の目をした女性が部屋に入って来た。


ナナリーはその女性を見たことがない為、ライナーの妻として向けて声をかける。


「このようなお姿で申し訳ありません。私はライナー辺境伯の妻、ナナリー・バルディアと申します。以後、お見知りおきを」


ナナリーはベッドから上半身だけ、起こして挨拶をする。


その一連の動作はとても病人とは思えない、綺麗な所作だった。


その挨拶にリッドは普段見たことがない、迫力を持った母に見惚れてしまった。


(母上って、こんなに凛々しい人って知らなかった…)


リッドの記憶では家族としての母としか接していた記憶しかない。


ナナリーがリッドの前で来客に対応をした姿を見せたのはこれが初めてだった。


「急なご訪問で申し訳ありません。私はサンドラ・アーネストと申します。魔法学の研究に携わっているものです」


サンドラはナナリーに貴族としての挨拶をした。


サンドラも元は貴族なので、一通りの挨拶は習得している。


ナナリーとサンドラの挨拶が終わるとライナーが咳払いをして説明を始めた。


「ナナリー……実は今までお前の病名を伏せていたのだ。理由としては不治の病、しかも死病の魔力枯渇症だ。私は伝える事が出来なかった臆病者だ……すまない」


父上は神妙な顔で言葉を選び紡いだ後、頭を母上に向かって下げた。


普段、厳格に徹しているライナーの言葉にナナリーは少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑んだ。


「……私は知っていましたよ。だから、そんな神妙な顔をしないでください」


ライナーはナナリーの言葉に目を丸くして驚いた。


ナナリーの病名を知っているのは極わずかだ。


そのうちの誰かが妻に話したのだろうか? すると、「くすくす」とナナリーは笑って答えた。


「うふふ、そんな怖い顔をしないでください。自分の体は自分が一番わかります。病名がなくても、日々の体の調子で死病であることは予想が付きました」


予想外の言葉にライナーは悔しそうな顔をしていた。


妻はとっくに病を受け入れていた。


自分だけが臆病になり、目を逸らしていた事実に気付いたからだ。


「でも…そうですか、この忌々しい病は魔力枯渇症というのですね……やっと、「病のあなた」の名前を知れましたよ?」


ナナリーは「病のあなた」と言うと、心臓に当たる部分を服の上から掴み、声を落として呟いた。


そして、リッドに目をやると申し訳なさそうな顔をして声をかけた。


「リッド、ごめんなさい。あなたに一番、辛い思いをさせたわね。あなたは、私が死病であるということに早い段階で気付いたのでしょう?」


僕は黙って頷いた。


僕と言うより、以前のリッドは恐らく気付いていた。


魔力枯渇症というよりも死病の類であり、母親が恐らく助からないということだが。


母上もそう感じているのであれば間違いないだろう。


僕はゆっくり言葉を紡いだ。


「……はい。ある時から母上の体調が一向に回復しない。薬も効果が無いようでしたから。医者も毎回違う方が来ていたので、恐らく相当に厳しい病気であると察しておりました」


母上は僕の言葉を悲しそうに聞いていた。


「子供に気付かれて、心配をかけるなんて母親失格ね……」


そう呟くと母上は俯いた。


その様子に僕は慌てて、声をかけた。


「母上‼ 母上が母親失格などあり得ません。それを言うなら、父上が父親失格です‼」


「なんだと‼」


僕の言葉に父上が怒号を上げた。


すかさず僕は父上の強面の顔に言葉を畳みかけた。


「だって先日、ご自分で「もっと、お前と向き合うべきだった…父親失格だ」って言ったじゃないですか‼」


「な‼ こ、この場で言うことではないだろう‼」


父上が珍しく顔を赤くして狼狽している。


これは父上を言い負かすチャンスだと思い、僕は言った。


「大体、父上は頭が固すぎるのです。父上のような人は、時には何も考えずしたいことをすべきなのです。特に家族のことであれば、なおさらです。」


サンドラと母上も近くにいるせいか父上は顔を赤くしながらも、こめかみをピクピクさせながら言いたいことを耐えている。


ちなみに僕と父上のやりとりを母上は目を丸くして見ていた。


サンドラはあんまり興味がなさそうだった。


「大体、メルディのことも自分が強面とか気にせずに、さっさとメルと呼んであげれば、良いじゃないですか」


「ブチ」と言う音と共に父上の怒号が部屋に響いた。


「リッド‼ いい加減にしろ‼」


「嫌です‼ 今日だけは言わせて頂きます‼」


怖いが父上の態度に今日は怯むわけにはいかない。


父上の怒号に対して反抗する僕に、母上は驚き心配そうな顔をしている。


「母上のこともそうです。母上の死病の事実を受け入れずに逃げるより、受け入れて立ち向かうべきでした。母上が一人で死病に立ち向かい、どれだけ心細くしていたかわかりますか?」


僕の言葉に、父上は「ハッ」とした。


顔の赤みは引いていき、むしろ青ざめていた。そして、母上に向かって謝罪した。


「ナナリー、私はとんでもない過ちをしていた……」


父上は母上が死病と知らないと思っていた。


だが実際には母上は死病と気付いていた。


つまり、母上が日々、死病と戦い、一人苦しんでいたことを父は知らなかった。


そしてその時に寄り添うことが出来なかった。


僕の言葉で父上はそのことを改めて認識したのだろう。


「いえ、そんな気になさらないでください。私もあなたに負担をかけまいと言わないようにしてしまいましたから……」


母上は父上の普段の厳格な様子からは信じられない「しゅん」とした姿に微笑んでいた。


「……ナナリー、愛している」


「あなた……私もお慕いしております」


二人は見つめあい。気付くと目を潤ませながら抱きしめあっていた。


おお‼ 予想外にも二人の世界に入ってしまった。


子供である僕にこの世界は崩せない。


隣にいる、サンドラは置いて行かれてなんともいえない冷めた顔をしている。


サンドラに僕は「なんとかして」とアイコンタクトを送る。


僕のアイコンタクトに険悪な顔をしているサンドラは「はぁ」とため息をつくと声を張り上げた。


「ライナー様、ナナリー様。申し訳ありませんが本題に進んでもよろしいでしょうか⁉」


その声に僕の両親は「ハッ」と顔を赤くしながら二人して「ゴホゴホ」言いながら離れた。


離れた後に、二人がアイコンタクトで「また、あとで」としているのがバレバレである。


「ゴホン、すまなかった。サンドラ、今回の趣旨を説明してくれ」


咳払いをした父上がサンドラに母上への説明を求めた。


サンドラはそれに答え、説明を開始する。


 今回の目的は試薬の「魔力回復薬」だ。


魔力回復薬は文字通り飲めば魔力を少し回復してくれる。


まだ完成品ではないが効果があるのは僕の特殊魔法「魔力測定」で確認済みだ。


魔力測定は自分と周囲にいる人の現魔力量を数値化して、脳内に直接語り掛けて教えてくれる魔法だ。


これを使い、薬を飲んだ後に回復するか確かめた。


なので、効果は間違いない。


ただ、薬の元になった原料の薬草が、不味いことこの上ない。


試作品を試した僕はひどい目にあった。


サンドラが効果は保証するが、完治はまだ難しい。


完治する薬は別の物を用意する予定であることなど一通りを説明した。


だが、説明を聞いている母上の様子が少しおかしい。


顔は微笑んでいるが気のせいか、脂汗を浮かべ、肩が上下に揺れている。


僕は心配になり声をかけた。


「母上、大丈夫ですか? 顔色があまりよくありません」


「リッド…大丈夫で…ウゥ…⁉」


「母上‼」


微笑みながら話していた母上に、一転苦悶の表情が浮かぶ。


そして、息を荒げ、胸を服の上から力強く抑えている。


その力で母上は指先の爪の色が白くなっていた。


僕はすかさず、特殊魔法の「魔力測定」を行った。


ナナリー 魔力数値:8


僕は頭の中に響いた声に、「な‼」と反応してしまった。


魔力枯渇症は魔力が無くなると、本人を蝕み始める。


つまり、いま母上は死に限りなく近づいている。


僕は声を張り上げた。


「サンドラ‼ 母上の魔力量が残り8しかない‼ 0になる前に早く薬を飲まして‼」


「‼ わかったわ‼」


サンドラは手元に用意していた試薬の錠剤を飲ませようとする。


だが、母上の症状がみるみる悪化していく。


「ハァハァ……ウ、ウウウ…‼」


母上は両手で自分の体を抱きかかえるようにして横向きになると「ライ…ナー…」と呟くと、口をガチガチ鳴らし始めた。


明らかに異質で危険な状態だとわかる。


「ナナリー様、薬を飲んでください‼」


サンドラが薬を飲ませようとするが、母上は口を開けようとしない。


いや、自分の意志で開ける事すらできないのかもしれない。


僕はベッドの上に乗り母上に出来る限り近づき薬を飲んでもらおうと声をかけた。


「母上、負けたらダメです‼」


僕の声が一瞬聞こえたのか、母上は少しだけ僕に微笑んでくれた。


だが、それと同時に眼の光が消えていくのを感じた。


ここまで来て、ダメなのか⁉ 何のためにここまで頑張ってきたのか‼


「うぁあああああ‼ いやだぁ‼ ははうえ‼ ははうぇえ‼ いっちゃいやだぁああ‼」


僕が慟哭してすぐ、ドンっと体に衝撃が走り父上に体を押しのけられた。


父上は、ベッドに寝ていた母上の震えを抑えつけるように抱きしめると、すぐに接吻をした。


その様子に呆気に取られてしまったが、父上と母上の重なっている口の隙間から、試薬の色が付いた水が滴り落ちていることに気付き、すぐ意図に気付いた。


父上は口移しで薬を飲ますつもりだ。


「ウ…ンン……⁉」


母上が父上から薬を口移しでもらってくぐもった声を漏らした。


すると、母上の喉がコクンとなった。


恐らく薬を飲んだのだ。その様子にサンドラも気付く。


「リッド様‼ 魔力測定を‼」


「うん‼」


返事をするとすぐに母上の魔力量を測定した。


ナナリー 魔力数値:101


「……や、やった、やったよ。サンドラ‼」


母上の魔力数値がはっきり101と響いた。


間違いない。


魔力回復薬の試薬は成功した。


父上とサンドラは僕の言葉を聞いて薬が効いたと認識して、僕たちは母上に揃って声をかけた。


「ンン……あ…なた…リッ…ド」


僕たちの声に母上は気だるそうだがしっかりと反応してくれた。


母上が反応してくれたことで僕は、緊張が解け、その場に座り込んでしまった。


座り込むと涙と鼻水が溢れ、嗚咽が止まらなくなってしまった。


「すぐに医者を呼ぼう。わかっていると思うが新薬のことは秘密だぞ……」


そういうと、父上はすぐ部屋をでて大声で「医者を呼べ‼」と叫んでいた。


部屋を出ていく時の父上の顔は平常心を装っていたが、目にだけは涙が隠せずにこぼれていた。


僕は顔の涙や鼻水を服の袖で拭うと、母上の顔を覗き込んで声をかけた。


「母上、大丈夫でしょうか?」


「ええ…いつもより楽なぐらいよ…私は決して負けないわ…」


母上は、そういうと勝ち誇ったような笑顔を浮かべていた。


その後、父上が呼んだ医者が来て母上を診断するが、特に異常は見られないということだった。


急な発作だったのだろうということで落ち着いた。


母上の部屋であったことは混乱を避けるため、僕たち4人だけの秘密となった。


そして、母上は毎日、魔力回復薬の試薬を朝、昼、晩と飲むことになった。


もちろん、いつでも飲めるように母上の傍には常備されている。


今後は、万が一に備えメイドも母上の部屋に最低一人は常駐することになった。


父上はまだ母上と話したいことがあったようなので、僕とサンドラだけ母上の部屋を後にした。


「それにしても、あの試薬品は凄いね。魔力量100も回復するなんて」


僕が試薬で飲んだ薬は最大でも50しか回復しなかった。それが、母上の場合は100なので約2倍の効果だ。


サンドラは僕の質問に、尊敬と畏敬がこもった面持ちで父上が口移しをする時の話しを始めた。


「いえ、あれはライナー様のおかげです。あの時、ナナリー様が口を自力で開けれないと判断したライナー様は、ありったけの薬を口の中でかみ砕いてから水を口に含んで、口移しをされたのです……」


僕は目を丸くして驚いた。確かにあの状態の母上では「錠剤」では飲めなかっただろう。


それをすぐ判断して、父上は錠剤をかみ砕いた。


恐らく1個や2個どころの話ではないだろう。


かなりの量をかみ砕いた結果、母上が飲み込む量が増えて、魔力数値がいっきに回復出来たのだ。


「やはり、父上は凄いな…」


母上が命の危機に瀕した時に僕は慟哭するばかり、父上がした行動を思いつくことはできなかった。


あの時、父上だけが最後まで諦めずにいた。


だからこそ、母上は一命を取り留めた。


僕はまだまだ、父上には敵わないなと尊敬と畏敬がこもった、ため息を吐いた。


「サンドラも本当にありがとう」


ため息を吐いたあと、僕はサンドラに向かって声をかけた。


「いえいえ。すべてはリッド様が頑張った結果ですよ。原料も魔力測定も全部、リッド様がご用意されたじゃないですか。私はそれを使っただけにすぎませんよ」


実は先日、サンドラに僕が開発した魔力測定を伝授した。


理由は魔力回復薬の試作作成と確認に必要だったからである。


それがこんなにも早く結果が出るとは思わなかった。


「それでも、本当に助かったよ。……最悪、今日が母上の最期なのかって、本当に思ったからさ……」


確かに準備したのは僕かもしれない。


でも僕だけじゃ絶対に無理だった。


サンドラの知識がなければ本当にぞっとする。


「本当にありがとう。サンドラが困ったら力になるから、その時は気軽に言ってね」


「その言葉、覚えておいてくださいね?」


サンドラの不気味な笑みが気になったが、いつものことなのでスルーした。


そして、僕は次なる行動に移す。


「サンドラ、この後はまだ時間ある?」


「? ありますけど?」


「なら、新しい特殊魔法を考えているから、立ち会って欲しい」


「……はぁ⁉」


僕の言葉に信じられないという顔をしたサンドラだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る