第18話 皇帝陛下と皇后陛下

「この、化粧水は素晴らしいわ。是非、この化粧水の製作方法と製作権利をマグノリア帝国に売って頂けないかしら?」


帝国の貴族が一堂に会する場において皇后陛下から満を持して出た言葉に私は絶句していた。


私は内心、動揺が止まらない。


最初にあった、緊張と期待は不安と後悔に変わっていた。


(誰だ、皇后陛下が普通の常識人といったのは⁉)、怨めしい視線をライナーに送るが、視線に気づいても彼は何も言わずにこちらを見ようともしない。


私は切れても良いだろうか? そもそも、何故私はこんな状況になってしまったのか?



応接の間から、謁見の間に案内され入室する。


そこには帝国貴族が一堂に集まっており、凄まじい威圧感を感じる。


それをものともせずに、ライナー辺境伯はいつも通りという違和感のない姿で空の玉座の前に進み、跪く。


私はライナー様の動きに合わせ同様に空の玉座の前に進み跪く。


その動きは緊張で少しぎこちなかったかもしれない。


だが、謁見の間で初めて体感する圧倒的な威圧感に不思議と高揚感も沸いて来ていた。


そのせいか、拳に自然と力が少し入る。


エマも私たちと同様の動きをしているが、どちらかと言えば緊張で青ざめている。


どれぐらい、跪いているのだろうか。


ここではほんの少しの時間でもとても長く感じてしまう。


すると、後ろから「皇帝陛下、皇后陛下がいらっしゃいました‼」と兵士の声が聞こえ、二種類の足音が近づいてくる。


「いや~、待たせたかな? 申し訳ない」


豪胆な声と大きい足音が後ろから、横を通り過ぎ、玉座に向かう。


その後を、軽いが整った足音が追随する。


「ドサ‼」、「ファサ……」と玉座に座る音が聞こえると、空気がピンとさらに張り詰めた感じがする。


「皆良い、楽にせよ」


「……皇帝陛下、皇后陛下、ライナー・バルディア只今、登城致しました。」


皇帝陛下が一言発するとすぐに、ライナー辺境伯が挨拶の口上を述べる。


クリスは、「楽にせよ」と言われただけなので、顔を上げず俯いたままの姿勢だ。


「うむ、いつも遠くからすまんな。では、早速だが彼女を紹介してもらえるか?」


「はい。我がバルディア領のクリスティ商会、代表者の「クリスティ」でございます。


この度、バルディア家とクリスティ商会で作成しました商品の説明の為、この場に連れて参りました。彼女からの発言をお許し下さい」


「うむ、発言を許そう。クリスティとやら、面を上げよ」


皇帝陛下からの言葉でようやく私は顔を上げた。


皇帝陛下は髪が私と同様に黄金色をしており、瞳は水色で力強く、豪胆な目をしていた。


皇后陛下は薄いピンクの髪に、瞳もピンクで可愛らしい目をしている。微笑みを崩さず、とても優しい印象を与えてくれる。


クリスは皇帝陛下と皇后陛下にこんな間近で挨拶することになるとは数カ月前まで、まったく予想していなかった。


「私もようやくここまで来れた」と思うと目頭が熱くなる。


「うん? どうした? 緊張で声がでないか?」


「い、いえ。申し訳ありません。一介の商人として皇帝陛下と皇后陛下に直接ご挨拶させて頂ける日が来るとは夢にも思わず。感極まってしまいました。改めて、ご挨拶させて頂きます。アストリア王国、マルティン・サフロン男爵の娘、クリスティ・サフロンと申します。現在はバルディア辺境伯の領地にてクリスティ商会を運営致しております。以後、お見知りおきを頂ければ幸いです。」


皇帝はクリスの話を聞いて、少し驚いた様子をみせるがすぐに表情を戻す。


「サフロン商会の出身とは聞いていたが、父上は男爵を叙爵されておったとは知らなかったぞ」


「父上が叙爵されたのは、ここ最近でございますのでご存じないのも無理はないかと。それに、サフロン商会としても父が叙爵されたことはあまり国外に公にしておりませんので」


「そうであったか。だが、貴族の令嬢ということであれば、こちらの対応にも間違いがあったかも知れぬな」


皇帝陛下はローラン伯爵に意味深な悪い笑みを浮かべて一瞬だけ視線を送った。


皇帝の視線に気づいたローラン伯爵は顔を耳まで真っ赤にしていた。


商会の小娘ごときと思っていたのが、他国の貴族の令嬢だったのだ。


そうなると、ローラン伯爵がした行為は本来国際問題になりかねない行動になってしまう。


だが、クリスが大事にしなければ問題ないのである。


つまり、彼の弱みを握ったことにもなる。


ライナーは事前に知っていたが武器になる可能性もあるので黙っていた。


その為、クリスとローラン伯爵のやりとりをギリギリまで口を出さなかったようである。


やりとりを見ていた皇后の周りに黒いオーラが出始めたような気がする。


「陛下、もういいではありませんか? それよりも、私は早く新しい商品をみせて欲しいのだけど」


「お、おお‼ そうであったな。ではクリスよ、説明を頼む」


皇帝陛下は皇后陛下の言葉に慌てた様子で、クリスに説明を促した。


どこの国でも、妻は強いのだなと感じる瞬間であった。


「では……」とクリスが化粧水とリンスについて説明を始める。


皇帝含め、男性陣の反応はいまいち。


だが、皇后陛下とお付きの侍女、そして待機しているメイドも聞き耳を立て、興味深く聞いている。


そして聞けば聞くほど、女性陣は皆揃って目を輝かせた。


「化粧でダメージを受けた肌を癒すための化粧道具とは、目から鱗が落ちました。このような考え方、そして製品を作り上げたのは感嘆致します」


「ありがとうございます。私自身、この化粧水とリンスを使っております。リンスを使えば皇后陛下の髪はさらに美しくなると思います」


「私自身も使っている」という言葉に反応して、私の髪を皇后陛下はじっと見つめている。


「あなたの髪を触らしてもらってもいいかしら?」と聞かれたので、「是非、どうぞ」とみて頂く。


実際、私の髪はリンスを使い始めてかなりサラサラになり艶が出た。


自分ではわからないが、時折する仕草に髪の毛のサラッとした動きが加わると凄い色気が出る時があるらしい。


リッド様に指摘された時は年甲斐もなく恥じらってしまった。


「まぁ、素晴らしいわ。こんなにサラッとしていてツヤのある髪は見たことがないわ。これは女性でなければ真の価値はわからないかも知れないわね」


「皇后陛下、良ければ化粧水をお試しになりませんか?」


「ええ、是非お願いするわ」


化粧水のお試しに皇后陛下は案の定乗ってくる。


しかし、そこにローラン伯爵が口を挟む。


「皇后陛下、失礼ながら、安全面からそのようなものを使うのは危険かと」


「カチッ」と何かが、踏まれたような音が聞こえた気がする。


皇帝陛下は額に手を当てながら首を横に振っている。


「ローラン伯爵。私はいまクリスティ嬢と話をしているのです。いつ、あなたの意見を求めましたか?」


ローラン伯爵は少しでも、クリスの商品を危険と言うことでケチをつけるつもりが、逆に自分が危険な皇后陛下の地雷を踏んでしまったようだ。


皇后陛下は畳みかける。


「そなたは、この商品に潜んでいる本当の価値をわかっていないようですね。この価値に気付けない愚鈍な家臣が伯爵とは。皇帝陛下が家臣に甘いのではないですか?」


なんと、ローラン伯爵の踏んだ地雷は皇帝陛下まで巻き込んでしまったようだ。


皇帝陛下はローラン伯爵に「やってくれたな? この馬鹿者が‼」というのがありありと誰でもわかる顔をしている。


玉座の腕置きを皇帝陛下が力いっぱい握って手がプルプルしてる。


「ゴホン、そうだな。ローラン伯爵、そなたは化粧についての知識は持っておるまい。それであれば伯爵から意見出来ることは何もあるまい。この場では口を出すな。よいな?」


皇帝陛下がかなり不機嫌に、声のトーンを落として発した。


伯爵は、青ざめた顔をして小さくなり自分の位置に戻った。


ふと、ライナーを見ると、口元に手を当て、顔を少し隠しながら肩を震わせている。


いい気味と思っていそう。


だが、周りをよく見ると結構、皆ライナーと同じようなことをしている貴族が多い。


……伯爵が嫌いな人が多いのね


一連のやり取りが落ち着くと、化粧水のお試し体験を再開する。


危険なものはないが個人差によっては、肌がかぶれることもあるので、その際は残念ながら使用は出来ないと説明すると、「では念のためまず、私が」と侍女の方が手を差し出してきた。


凄い目がキラキラしている。


皇后陛下は悔しそうだが、立場上さすがにいきなりは無理なので侍女が試している様子を見ている。


「乾燥肌とか、アカギレとかにも良いですよ」と言うと控えていたメイド達からの視線が強くなった気がする。


「ふふふ、この城の女性をすべて味方につけるつもり?」


「いえ。ですが、この商品に関しては損得抜きで、すべての女性に一度は使ってほしいと思っております」


皇后陛下とやりとりしている間に確認は終わったようだ。


侍女は化粧水を塗った自分の手を確認している。気のせいか、目がうっとりしている。


「では」と皇后陛下の手に化粧水を落とす。


両手で満遍なく化粧水を手に伸ばすように説明する。


皇后陛下は塗ったあとの感触を確かめ、掌を上にかざした。


「素晴らしい、素晴らしいわ。今までもらった献上品の中でも一番と言っていいぐらい、良い品物ね」


「お褒め頂き光栄です」


掲げた掌をうっとりとした目で見ていた皇后陛下だったが一瞬、表情が消えその後、不気味な笑みを浮かべ、とんでもない爆弾発言をしてきた。


「この、化粧水は素晴らしいわ。是非、この化粧水の製作方法と製作権利をマグノリア帝国に売って頂けないかしら?」


……そして、今に至る。


「クリスティ嬢?聞こえていますか?」


皇后陛下の声で、回想から現実に戻される。


もう覚悟を決めるしかない。


私は意を決して、言葉を紡いだ。


「皇后陛下、大変申し訳ありませんが、その申し出はお受け致しかねます。それに、化粧水とリンスの開発にはライナー辺境伯も関わっておりますので、どちらにしても私の一存で決められることは何ひとつございません」


「いいえ」と私の必死の言葉を皇后陛下は潰してくる。


「ライナー辺境伯は、マグノリア帝国の臣下です、その為、皇帝陛下ならびに皇后である私の命令には最終的に逆らえません。なので、あなた次第です。クリスティ嬢。いかがですか? 私に製作方法と製作権利を売ってくれますか?」


やばい、この皇后陛下はやばい。


心臓がドクンドクンと早くなっているのがわかる。


ライナーに少し視線を送るが「ライナーはそっぽ向いた」役立たず‼


「ふぅ」と息を吐き、心の中でリッド様に「うまくいかなかったらごめんなさい」と呟き、再度、言葉をひねり出して慎重に紡いでいく。


「製作方法と製作権利を売る、売れないで言えば、売ることは致しかねます」


私は、はっきりと皇后陛下に告げた。周りから「生意気な‼」「不敬だ」などと聞こえる。ローラン伯爵の声も聞こえた気がする。


「この商品を開発、販売するために我が商会は命運を懸けました。その努力を権力により、奪うというのであれば私たちはこの土地を去りましょう。それに今後、良い商品を作ったとしても、製作方法や製作権利を帝国に都度差し出さなければならない。その状況でどうして商売ができるのでしょうか?」


「そう……」と皇后陛下は何かを考える仕草を見せる。


ここで、皇后陛下に無理難題を再度言われるわけにはいかない。


そう思い、私はある提案を考えた。


「化粧水とリンスの製作方法や製作権利を売ることは出来ませんが、皇后陛下のご注文は最優先でご用意致します。もちろん、欠品もないよう出来る限り配慮させて頂きます。「納品最優先権利」を皇后陛下のみにご用意致しますので、ご容赦いただけないでしょうか?」


優先的に用意することは元から考えていたことだが暗黙の了解でするのと、言葉に出し契約して行うのでは効力が全然違う。


私たちには皇后陛下の注文を必ず最優先で用意しなければならない責任が今後発生することになる。


私の提案を聞いて、皇后陛下は私の目をじっと見据える。


少しするとにこっと明るい笑みを浮かべた。


「わかりました。残念ですが「納品最優先権利」で了承致しましょう」


何故か残念と言いながらも皇后陛下には商談に満足したという雰囲気が出ていた。


「陛下‼」「よいのですか⁉」など皇后陛下の言葉に信じられないといった表情と驚きの声が聞こえる。その声に対して凛とした言葉が謁見の間に響く。


「良いのです。クリスティ嬢が仰ったことがすべてです。貴族が民より無理やり権利を奪うようなことをすれば、帝国は民に見放されいずれ滅びの道に向かうでしょう。これを機に「権利や利権」については厳格に見直すべきです。今後、また素晴らしい商品が生まれた時の為にも」


「陛下、よろしいですね?」


皇后陛下はゆっくりと視線を皇帝陛下に送る。


皇帝陛下はその視線を待っていたかのように立ち上がった。


「皇后の言う通りだ。「権利や利権」については今後はより厳格にしていく。もちろん、リンスと化粧水の製作権利と利権はクリスティ商会とバルディア領にあるものとする。よいな?」


一堂に集まった貴族達は皇帝陛下の言葉に黙って頭を下げ受け入れた。


その様子を見ていた、皇后陛下は私をみると「ごめんね。テヘペロ」とウインクをしていた。


ライナーに険悪で怪訝な顔をしながら、ゆっくり視線を送ると彼は「またそっぽを向いた」


これは、ライナー辺境伯と皇帝、皇后陛下が組んでいたということか?


つまりは自作自演、マッチポンプということだ。


その瞬間、先程の皇后陛下が満足そうにした雰囲気を思い出しハッとした。


やられた、皇后陛下が欲しかったのは「製作方法と製作権利」などではない。


皇后陛下自身が使用する為の化粧水とリンスを確実に確保するための「納品最優先権利」もしくは、それに準ずるものを私から引き出すことだったのだろう。


クリスは自分の考えた皇后陛下の意図が正しいか、確認するように視線をゆっくり送る。


視線に気づいた皇后陛下は扇子で口元を隠していたが、その瞳には笑みを浮かべていた。


今までの出来事から私だけ茶番を知らずに掌で踊らされて、貴族のけん制に使われたということだろう……


クリスはライナーが帝都に行く途中に言っていた言葉を思い出した。


「帝都は伏魔殿だ。俺なんか赤子とかわらん」


あなたが赤子なら、掌で踊らされた私は?


商人として長年やってきたプライドが傷ついた瞬間だった。


もう帝都の城に来たくない。


心からそう思った。

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