第4話 母上

「リッド様、朝ですよ。起きてください。」


「……おはよう」


「ん? どうかされましたか?」


ダナエは怪訝な表情で僕の顔を覗いていた。


僕はメイド姿の女性によって朝に起こされたことに驚いていた。


メイド姿に見とれていたとはさすがに言えず、恥ずかし気に視線を外した。


そんな僕の様子に彼女は首を傾げていた。


ベッドから起き上がると服を着替えるのも手伝うと言われたが、さすがに恥ずかしくて断った。


だが、見たこともない服の着方がわからない。


顔を真っ赤にしながら結局、ダナエに着替えを手伝ってもらった。


「背伸びしなくても大丈夫ですよ」とダナエに言われた時はちょっと泣きそうになった。



着替えが終わると朝食を取る為に食堂に移動した。


食堂の長机に用意された席に座ると次々に食事が運ばれてきた。


貴族の暮らしって凄い。


横には昨日、名乗ってくれた執事のガルンが控えている。


食事をしながら周りを見渡すが、僕以外は誰もいなかった。


「そういえば、他の皆は?」


「ライナー様は帝都に行っておいでですが、近日中にはお戻りになると思います」


僕、リッドの父はライナー・バルディア辺境伯。


隣国と接する領地を治めている領主だ。


その為、時折帝都に行って行政に携わっている。


ガルンの言葉に僕は頷いた。そうか、父上は帝都に行っているのか。


「母上は?」


「ナナリー様は、体調が優れず部屋で休んでおられます」


「なら、後で様子を見に行こうかな」


「それは、ナナリー様も喜ばれると思います」


ガルンと他愛無い会話をしながら朝食を無事に終えた、テーブルマナーが大丈夫かと心配したが、何とかなったらしい。


食事が終わると、今後の計画を立てる為に自分の部屋に戻ろうとした。


でもその時、母上の体調が何故かすごく気になった。


僕の近くで待機していたダナエに母上の部屋に連れて行って欲しいとお願いした。


母上の部屋を知っているはずの僕のお願いにダナエは怪訝な表情をしたが、一人で行くのが少し恥ずかしいと言うと「クスクス」と笑ってすぐに案内をしてくれた。  


ちなみにナナリー・バルディアはゲームに名前も出てこない。


はてさて、どんな人物かな? と思いながら歩いていると、不思議なもので期待と不安が渦巻いて胸の鼓動が高まり始めた。


ダナエに「こちらです」と部屋の前まで案内された僕は、ドアの前で立ち止まると途端に不安と緊張に襲われて息を呑んだ。


まるで、決して入ってはいけないと体と心が拒否しているようだ。


そんな僕の様子に気付いたダナエが心配そうに声をかけてくれた。


「リッド様、体調がまだ優れないのではありませんか? あまり顔色がよくありません」


「え? あ、いや、大丈夫だよ。母上に会うだけなのに何だか、久しぶりに会うみたいでさ」


僕の言葉を聞いたダナエは怪訝な表情をした後、迷うような素振りを見せてからおもむろに言った。


「……リッド様、本当に体調は大丈夫でしょうか? リッド様はナナリー様が体調を崩されてから、少しするとお会いになるのを避けておられました。以前は毎日のように会いたいと仰っていたのに、最近は全くナナリー様の部屋には訪れていなかったと思います」


「え……? そう…だっけ?」


「……はい。屋敷の者、皆でその様子に心を痛めておりましたので……」


「……そっか」


言い終えたダナエは悲しそうな表情をしていた。


どうしてリッドは、僕は母上に会うことを、訪れることをやめたのだろうか? 


理由を思い出そうとすると、僕の中にあるリッドの記憶がとても怯えているのを感じた。


今は思い出す事より、母上にまず会おう。


僕は、期待と不安で一杯の気持ちを抑えながら、部屋のドアをノックした。


それから少しすると「……どうぞ」と部屋の中から小さい声で返事が聞こえてきた。


僕は意を決してから部屋に入った。


部屋に入ると、赤い長髪で紫の瞳をした少し細身の女性が、ベッドに上半身だけ起こした姿勢で本を読んでいた。


その姿を見た瞬間に「ドクン」と胸の鼓動が鳴り響いた。


同時に様々な感情が走馬灯のように心に流れ込んでくる。


「甘えたい、大好き、愛おしい、守りたい、ずっと一緒にいてほしい、なんで? どうして? 悔しい、悲しい、許せない、誰が? 僕が? 消えないで、お願い……」


言葉では言い表せない複雑な感情が沢山の思いと共に襲ってきた。


僕は感情の処理が出来ず、その場で立ち尽くしていた。


その時、何故か目頭が熱くなり自然と涙が頬を伝った。


「ハッ」とすると僕は服の袖で涙を拭った。


僕が涙を流したことに気付いた母上は、驚いた様子で叫んだ。


「リッド大丈夫なの⁉」


母上は僕に少しでも近づこうとベッドから身を出そうとするが「ゴホゴホ」とせき込み、その場でベッドに手をついた。


「母上‼ 大丈夫ですか⁉」


僕はとっさにベッドに近寄り、母上の背中をさすった。


近くで見ると母上の生気が少し薄く感じられ、背中をさする手に自然と力が入った。


母上は僕を心配そうな顔で見ると、胸の中に抱きしめながら優しく言葉をかけてくれた。


「……リッド、ありがとう。でも、あなたが庭で倒れたと聞きました。私も部屋に行こうとしたのだけれど、体が言うことを聞かずにごめんなさい…… ガルンから話は聞きましたが、本当に大丈夫ですか?」


抱きしめてくれた母上の腕の中は、慈愛に満ちた温かいものだった。


僕は先程から渦巻いていた様々な感情が落ち着いていくのを感じていた。


だけど、母上の声はとても震えていた。


「……はい、もう大丈夫です。母上の様子が気になりましたので、お顔を見られて良かったです」


僕は母上の震える声を静められるように笑顔で優しく言葉をかけた。


「そう……なら良かったわ。あなた達につらい思いをさせて、ごめんなさいね……」


母上の申し訳なさそうな顔に対して、僕は首を横に振った。


少しでも安心させようと手を両手でしっかり握り力強く返事をした。


「大丈夫です。私は辺境伯である父と母上の子供ですから‼」


僕の言葉を聞くと母上は嬉しそうな顔でにこりと笑ってくれた。


その後、母上と談笑してから「また、きます」と言って母上の部屋を出た。


母上、ナナリーを見た時に流れ込んできた感情を思い返して、僕はふと呟いた。


「……母上を見た時に流れ込むように感じた感情はリッドの、僕自身の中に眠っていた感情だったのだろうか……」


大好きな母上が少しずつ弱っていくのに、誰も何もできない。


一番近いところに居た僕はどんな思いで母上の傍にいたのだろうか?


母上は慈愛に溢れ、病の辛い姿も見せず、僕を心配して大切に愛してくれる存在だった。


きっと、泣き叫びたくなるほど、心が切り裂かれるほど辛かったと思う。


その思いを誰にも言えずに僕は、ずっと抱え込んでいたような気がする。


僕はこの時、真っ当に生きるために母上を必ず病気から助け出すと誓った。



自分の部屋に戻ってくると、僕はこれからすべきことを書き出すことにした。


幸いなことに、この世界には紙がちゃんとあるようで、机の上にメモ用紙とインクが用意されていた。


早速、日本語で書きはじめた。


追放、断罪を防ぐ今後の方針。


① ゲームの登場人物と仲良くなって断罪、死亡、追放巻き込まれルートを回避。


② ①が不可の場合に備えて一人でも生きていける力を磨く。


③ ①が不可の場合に備えて、お金を貯める。(稼ぐ)


④ 母上ナナリーの治療。


こんなものかなと「①~④」まで書き出すと、僕は深いため息をついた。


「書き出しておいてなんだけど、①が早々に無理だ……」


そうなのだ、ゲームの登場人物達の所在地は帝都や他国である。


辺境伯の領地にいる僕が、人脈も何もない今の状態で彼らと接点を作れることはまず不可能だ。


さすが、ゲーム本編にほとんど関わらない人物のリッドだ。


ちょっと泣きそうだけど、こんなことではへこたれていられない。


僕は真っ当に生きると誓ったのだ。


「とりあえず、優先順位は④が最優先。ついで③と②かな」


僕は部屋に急いでガルンを呼んだ。


母上の病名を聞くとガルンはかなり険しく渋い顔をした。


僕はドアの前で仁王立ちをすると必死の形相で険しい顔のガルンを睨みつけながら叫んだ。


「教えてくれるまで、この部屋から絶対に出さない、僕は本気だよ‼ 絶対に諦めない‼」


「リッド様……」


彼は僕の思いを汲んでくれたのか母上の病名は「魔力枯渇症」であると教えてくれた。


症状についても詳しく聞くと、この世界の住人は皆少なからず魔力を持っている。


魔力とは生命エネルギーでもある。


魔力は本来枯渇したとしても自然回復していくものだが、「魔力枯渇症」を発症すると自然回復力が極端に落ちてしまう。


その結果、徐々に衰弱してしまい、やがて死に至ってしまう。


今のところ、治療方法が確立されていないと苦々し気に教えてくれた。


本来、母上の病名を教えるつもりはなかったらしい。


僕があまりにも必死の形相と決意に満ちた目をしていたので、二人だけの秘密ということで教えてくれた。


僕はガルンの話の中に出てきた病名と症状には心当たりがあった。


前世の記憶にあるゲームで「魔力枯渇」というデバフが存在していたことを思い出したのだ。


デバフによる「魔力枯渇」は少しずつMPが減っていき0になると、次はHPが減り始める。


当然そのまま放置するとHPが0になり戦闘不能になってしまう。


ゲームではHPとMPも回復方法があるのでそこまで脅威ではなかったが、現実の病気となるとこれほど恐ろしいものはない。


自然治癒が一切出来ない死病みたいなものだ。


「……すぐに調べ物をしたいけど、図書室とかあったかな?」


ガルンの話を聞き終わった僕の第一声はそれだった。


その後、屋敷の中にある大きな書斎に案内された。


「調べ物はこちらの書斎をご利用下さい。もし、他に必要な資料がありましたら取り寄せますのでご指示下さい。ただ、取り寄せには数日かかりますのでご注意下さい」


「わかった。ありがとう」


僕が謝意を伝えると、ガルンは軽く頭を下げてから書斎を後にした。


見渡すと書斎にある本は結構な数だった。


しかし、そもそも本を読めるのか? 


という疑問が今更ながら脳裏に浮かび、恐る恐る近場の本を開くと……読めた。


普通に読めた。


転生ボーナスありがとう。


「さぁ、気合入れて探すぞ‼」


僕は、力強く言い放つと顔の両頬を両手でパチンと叩くと書斎中の本を読み漁っていく。


色んな種類の本を読んでいるうちに、読める速度がどんどん上がっていく。


一回読むと、本の内容を丸暗記出来てしまうことに途中から気が付いた。


なんてハイスペックな子供なのだろう。


「リッド……君はこんなに超ハイスペックなのに、なんで悪役令嬢の取り巻きになったのかな……」


僕は遠い目をしながら、自然と呟いてしまった。

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