第45話
俺も水晶ながめも知っている人物、堀村樹だった。
クラスメイトは思わず立ち上がり、ながめは目を見開き、俺は頭を抱えた。
お前は九重ヤイバの生みの親だろうが。いくら水晶ながめのサイン色紙が欲しいからって九重ヤイバのイベントで一番を取るな。
本当にながめ、すまん。こいつはただの馬鹿なんだ。
俺は内心でながめに謝罪した。
「……名前と、どちらのファンかを教えてくれ」
壇上に上がってきた樹に対し、定型文の質問をする。
『名前は堀村樹で、水晶ながめさんのファンです!』
すると樹は緊張した面持ちでそう宣言した。
こういう時は俺って言ってくれよ……
「というわけらしいからながめ。頼むぞ」
「……うん。堀村樹さん、今回の参加者の中で私たちの事を一番理解していた事を評して、景品であるサイン色紙を授与します。おめでとう!」
他のクラスメイトと違い、自分目当てで来たと宣言した樹に対し、若干の警戒心を持ちつつも丁寧に対応していた。
ありがとう、ながめ。
「皆も拍手を頼む」
俺がそう頼むと、観客は樹に向けて拍手をしてくれた。
「というわけで今回のトークイベントは終了です。担当は水晶ながめと、」
「九重ヤイバだ。皆来てくれてありがとう」
「ありがとう!」
今回のトークイベントは色々と事件が起こったものの、進行としては何事も無く、平和に終わることが出来た。
割とギリギリだったけどな。
「はいオッケーです!ありがとうございました!」
「お疲れさまでした」
「お疲れ様です!」
スタッフが終了を宣言したタイミングでいつも通りの口調に戻し、スタッフに挨拶をした。
ただし声は九重ヤイバのまま。ながめが隣に居るからな。
「では失礼します!」
流石にラジオが終わった後ながめと話さないのは不味いかと思い話しかけようとした矢先、ながめが荷物を纏めてラジオブースを走り去っていった。
理由は大体分かっているが、そこまで急ぐ必要は無いだろ。
まあこちらとしては直接話すことで正体がバレるリスクを軽減出来たからありがたいんだけどな。
とりあえず次に行くか。
「ヤイバさん!こちらです!」
「はい」
「ではお願いしますね。開始は5分後です」
「分かりました」
次に辿り着いた場所は机にモニターとマイクだけが置いてある2畳あるかないか位の小さな部屋。一人だけ居るスタッフは部屋に入らず、外の扉で待機している。
何をやるかというと、ファンとの一対一での交流だ。
今回は録画も生配信も無いパターンのため、極限まで部屋のサイズが小さくなっている。恐らく経費削減の為だろう。
これは客の方にスペースと人員を費やしていれば十分だものな。
「ふう」
俺は来たるファンに備えて深呼吸をした。
先程のトークイベントで直接ファンと交流をしたとはいえ、一対一となると流石にわけが違う。
何気に今日一番緊張している。
1分5千円という馬鹿高い料金を支払って参加してくれているらしいからほぼ全員いい人だろうから緊張する必要は無いのは分かってはいるんだけれども。
「アイツは何をするつもりなんだろうな」
俺はその緊張を忘れるために葵の事を考えることにした。
今日という日に備えて勝負服を用意し、メイクも時間を掛けて考えていたことは知っている。
見た目に関しては人生で一番綺麗な羽柴葵だろうというのは分かる。
ただ何を話すのか、何を伝えたいのか等、言って欲しいことは何かとかは一切考えている姿を見なかったんだよな。
もしかしたらそのタイミングで水晶ながめだってカミングアウトするのかもしれないな。
まあトークイベントの段階で結構ガバガバだったが。俺の位置からだと普通に素顔見えていたし。
っと、誰か入ってきたな。
「こんにちは!」
最初に入ってきたのは20前半位の女性。大学生だろうか。
正しい意味での清楚な見た目をしており、一見オタク文化とは縁遠い印象を受ける。
個人的に文芸サークルでミステリー小説を書いている姿が似合うと思う。
「よく来てくれたな」
「はい!お話出来てとっても嬉しいです!!」
「喜んでもらえて俺も嬉しいぞ。どう呼んで欲しい?」
「豚でお願いします!」
「ぶっ……!」
まともそうな人だなと思ったが、全然そんな事はなかった。
異常性を見た目で誤魔化すタイプの女だこれ。
「この間の配信でお願いは全て受け入れると言っていましたよね?」
「くっ……」
流石に1分5千円という料金は高すぎやしないかと思ったので、ファンからの要求は公序良俗に反するものでなければ基本的に受け付けると伝えていた。
それでもアイドルの握手会みたいに直接触れ合ったり出来るわけではないので、料金に見合わないだろうな、と思っていたが割と足りそうなお願いが飛んできた。
ただ現役高校生だと公表している相手にするお願いではないと思う。別に構わないけども。
「ではお願いします!」
ただ、この両手を広げて罵倒を歓迎されている状況は果たして正しい光景なのだろうか。
「豚、わざわざ高い金を払いに来て何がしたいんだ」
「ありがとうございます!」
まあ喜んでいるならいっか。
「で、他にやって欲しいことはあるか?」
「ではこれをお願いします!」
そう言いながらファンの女性は俺が表示されているモニターの横にあるUSBポートにUSBを挿した。事前に用意していたセリフを読ませたいらしい。
「分かった」
それから時間制限が来るまで俺はひたすら女性を罵倒させられ続けた。
「では、ありがとうございました!」
「ああ、またな」
ホクホク顔で部屋を出て行く女性を見送る俺は、一人目の筈なのに既にかなり疲弊させられていた。
「なるほど、1分5千円の意味がよく分かった」
皆1分を有効に使うために何時間もかけて準備してくるんだから、こちらが大変なのは自明だった。
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