第11話
「そうだねヤイバきゅん。じゃあ外に音が一切漏れない密室に二人っきりで入ろうか」
「言い方」
オンラインならともかく、オフラインで男子高校生にそういうことは本当にやめて欲しい。
「ではヤイバきゅん。この間渡してもらったボイスについての感想を話させてもらいます」
準備中は色々とちょっかいを出して不真面目な感じだったが、収録を撮り始める段階になったら突然真面目な顔になった。流石企業所属のプロだ。
「はい」
どんなダメ出しが来るのだろうか……
「すっごく良かったです。アレは永久保存版だね。家宝にさせてください!」
「は?」
思わず声が出てしまった。がそれは仕方ない。こいつふざけているのか。
「いや、完璧だったよアレは。何回も聞き返しちゃったもん」
「じゃあ何で今日ここに来たの?」
それならばそのまま配信してしまえば良いじゃないか。
「あのボイスを世に出すのは色々と不味いからだね」
「というと?」
「アレ、九重ヤイバじゃなくて君のボイスになっちゃってるんだもん」
俺個人のボイス?そもそも九重ヤイバは俺なんだから俺のボイスだろ。
「よく分かんないって顔しているね。うーん……ちょっと説明しにくいんだけど、あれは君が演技したボイスであって、九重ヤイバが演技したボイスじゃないんだよ」
「九重ヤイバが演技したボイスじゃない?」
「そう。君のボイスで必要なのは、演技をした君による演技だからね。あれは中身が漏れ出ちゃっているんだ」
「要するにもっと九重ヤイバに徹しろってこと?」
「そういうこと」
正直演技の演技だとかよく分からないが、アレは斎藤一真が出てたからNGってわけか。
「まあ、そのお陰で舞台裏の素の九重ヤイバきゅんを想像できたから私としては非常に助かったんだけどね」
「勝手に助からないで欲しい」
いや、本来ボイスとはそういうものだけれども。
「とりあえず善は急げだ。早速やってみよう!」
そして収録が始まった。。
ボイスを何度も販売しているだけあって、アスカによる指導は的確だった。
よく分からないまま収録をしていたこの間とは違い、リテイクの度に良くなっていく実感がはっきりとあった。
「これは?」
「新ボイス」
ただ文句があるのは、何故かボイスが爆増したことだ。
「この間のボイスたちだけでも3時間分位ボイスあったの分かってるよね?」
これでもVtuberのASMRを使ったシチュエーションボイス配信ですら中々見ない分量だった。しかし今回のは常軌を逸している。累計で15時間って。一人でアニメ一期分賄えるくらい演技してるよ。
「だってこの間のボイスで閃いちゃったんだもん」
「てへ、みたいな顔で誤魔化さないでよ」
確かに可愛いが、俺は騙されない。
「まあまあ。数回に分けて売れば2年分くらいのボイスになるんだから。お金、たくさん手に入るよ?私の予想では~全て合わせて3000円で売ったとしてもブーストあるし億は固いかなあ」
……
「いやあ、よく分からないけど、演技は上手くなっておきたいからなあ!もっとがんばろっかな!」
将来仕事の幅を広げるためだ。決して金に目がくらんだわけではない。
「じゃあ今日はここまでかな」
結局当初予定されていた3時間分の再収録だけ済ませて切り上げることになった。
「終わった……」
それでもだいぶん疲れてしまった。歌みたいに腹に力を込めて声を出す必要は無いものの、10時間以上声を出し続けるのは流石に堪える。
「とりあえず今回の分だけ販売に回して、残りは少しずつ撮っていこうね。大会もあるし」
「うん。無理しすぎて練習に支障出たらながめに悪いしね」
というわけで今日の収録が終わり、打ち上げとして二人で焼き肉を食べに行くことになった。
「あ……」
「どうしたの?」
「ちょっとだけ待っててもらえる?」
「何?どうしたの?」
「しっ!」
その道中に奴を見つけてしまった。羽柴葵だ。
「え、まさか恋人でも見つけちゃった?大丈夫、君の姉だって嘘ついてあげるから」
「そんなんじゃないから。少し静かにしててもらえる?」
「はい」
ここで羽柴葵とアスカを引き合わせるのは非常に不味い。
俺の記憶が確かであれば、この二人は結構前にディ○ニーランドに行っていたからお互いに顔を認識しているはず。
つまりここで引き合わせたら最後、俺が九重ヤイバだと葵にバレかねない。
それだけは絶対に避けなければならない。
葵は多分目の前にあるスーパーに買い物に来たっぽいな。今日の夕食を作るためだろうか。
「ごめん、ちょっとだけこっちに来て」
俺はスーパーが死角になる所まで下がった。
葵の歩行速度とスーパーまでの距離的に、後1分くらい待てば大丈夫か。
「よし、これで大丈夫」
俺は葵が店内に入っていくことを確認し、一息ついた。
「で、何だったの?」
意味も分からず隠れさせられたアスカは何があったのかを聞いてくる。
「ちょっとクラスメイトがいたから隠れたんだ。ありがとうね」
水晶ながめとアスカを会わせたら非常に不味いからなんて正直に話すことも出来ないので、それっぽい理由を言った。
「なるほど、身バレ対策の一環ってことね」
「そういうこと」
あっさりとアスカは納得してくれた。これで一安心だ。
「じゃあ行こうか」
「そうだね」
とりあえず電車に乗れれば勝ちなんだ。これ以上見つからないことを祈るばかりだ。
俺は周囲に気を張り巡らせつつ歩みを進めた。
「メッサすげえよなあ。またハットトリックだってよ」
「本当な。俺もああなりてえわ」
マジかよ!何でこんな日に限って!
「また隠れるよ」
俺はアスカに軽く謝り、再び身を隠した。
今回見つけたのは海東哲平とサッカー部の方々だ。全員Vtuberには縁遠いから何があっても身バレに繋がらないことは分かっているのだが、見つかった場合学校で美人と一緒に居た理由を絶対聞かれるに決まっている。
というわけで絶対に見つかるわけにはいかない。
しばらく待つと、サッカー部の声は聞こえなくなった。どうやら遠くへ行ったようだ。
「ありがとう」
「良いよ、別に」
それからは誰にも遭遇することなく駅に辿り着き、改札を通ってホームへ向かう。
「ここまで来れば大丈夫かな」
「そうだね」
こんな時間に電車に乗る同級生は居ないだろうし、居たとしても帰宅ラッシュと若干重なっているから見つけるのは至難の業だ。
満員電車は体力的に疲れるが、身バレに神経を使わなくてよくなったので精神的には休みがとれる。
「後は徐々園を楽しむだけ。久々の焼き肉、早く食べたい」
「流石男子高校生だね。食欲が旺盛だ」
完全に緊張がとれたせいで、本当に適当な会話になっていた。
「そんなにお金持ってるんだ。流石は斎藤君ね」
「ひゃああ!」
背後から突然俺の名前を呼ばれ、思わず変な声が出た。
振り返ると、知り合いの中でも見つかっても問題ない人の姿があった。
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