量なくして質は担保できないし、「事実」も残せない。

 いやしくも「プロ(プロフェッショナル)」を標榜する以上、最低限こなさねばならぬものは、鍛錬における


「量」


であります。


 この「量」というのは、実際に書くこともそうですが、書籍や文献にあたっていくことも、「取材」と銘打って(打たなくてもいいが)然るべき場所を回るのも、同じこと。これらも、当然かどうか論ずるまでもなく、その範疇に入ります。

 もちろんこちらも生身の人間ですから、いつもいつも同じペースでできるわけでもないし、休養も必要ですよ。

 だが、私の言いたいことは、そんなことでないことくらいは、わかるでしょう。


 量の担保がないと、質も上がりません。

 これは、書籍を出していくことにおいても、同じであると私は考えております。

 以前、みのりん小説分析の作品群で、事実というものの重さについて書きました。


 女子中学生一之瀬みのりがあおぞら中学校文芸部の会誌に「マーメイド物語」という作品を執筆して掲載したことと、落合博満という職業野球選手が3度にわたって三冠王を獲得したこととは、事実として同等の価値がある。


 この「事実」を担保するのは、それを支える「量」に相当する部分なのです。

 もちろん、みのりんが小説を書くうえで学んだことの「量」と、落合選手が三冠王3度を獲得するに至るまでに積んだ「鍛錬」とは、比較のしようのないものではありますが、その構図自体に、両者間において何か違いがあるわけではありません。


 量が作れないなら質で、といったさじ加減は、基本的には通用しないと思っておいた方が、いいでしょう。

 もっとも、基本的な「量」が担保された上での話や、この公式が通用しない一部の天才ともいうべき人は、この限りではありません。

 そんな人たちと比較しようとすること自体が、無駄で無益な行為です。

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