野村克也氏の本をヒントに、小説の道に。~起承「頂」転結の裏側

与方藤士朗

小説という分野で書いていくまで~私の創作論

何を書いて、物書きとして生きていくか?

 私は、もともと小説をさほど読んでいたわけでもないし、まして書いたりすることなどなかった。

 ただ、本は多量に読んでいたし、自伝的な本も、父の死の後1冊出版した。

 いずれは物書きとしてやっていきたいという思いは、あった。


 さて、物書きになるのはいいが、何を書いていこうか?


 私は鉄道趣味人であり、小学5年生で大学の鉄道研究会にスカウトされた経験さえある。おそらく、そんな経験の持ち主は、全国でも私くらいだろう。

 その趣味人としての経験上、鉄道がらみの物書きになれればと思ったことはもちろんある。旅行記も、嫌いじゃない。

 だが、旅行記であれば、種村直樹氏(故人)をはじめ、多くの先人がいる。しかも、今もってその筋にはたくさん書き手がいるから、私が参入したところで、鉄道色が人より幾分濃い程度のものしか、書けないだろう。しかも、それなりの鉄道を知る人間でないと楽しめないような文章を書いてしまうのは目に見えている。

 ノンフィクションも、考えた。

 だがこれも、取材量は半端じゃないし、何より、関係各位との調整がかなり必要となってくるだろう。今の自分の状況を考えると、とても参入してやっていけるだけのゆとりがない。金銭的にも、時間的にも。

 ビジネス書?

 こちらは文芸というよりむしろ、文字通りの「ビジネス」となる。

 さほど大したビジネスをした経験もないからねぇ・・・。

 しかも、こちらは旅行記やノンフィクションなんかより、はるかに競争相手が多いときております。生半可では書けねえぞ・・・。


 私は、高校時代、といっても、入試に失敗して定時制高校に籍を置きつつ大検こと大学入学資格検定を利用して大学に現役合格したという経歴があって、その3年間の話になるのだが、あの頃、プロ野球関連の本を多量に読んでいた。

 その頃、元南海ホークスの野村克也氏が書かれた本を読んだ。

 私がその本の中でもっとも意識したのは、野村青年がプロ野球で身を立てるべく、どこの球団のテストを受けに行くべきかを、1953(昭和28)年当時30円のプロ野球選手名鑑を読んで検討したときのエピソード。


 京都府北部の田舎町の野村青年は、幼いころからラジオや雑誌で知っていた巨人軍の選手を一通り、まずは見ていった。というより、捕手の顔ぶれを見た。

 憧れの巨人軍には、その年から、強肩強打の捕手・藤尾茂が入団しており、彼を押しのけてレギュラーというのは、まず無理と判断。それでは仕方ないと、その他の球団に目を向け、とにかく、捕手層の薄いところ、レギュラーがベテランで早晩若手に切り替える必要が出てくるような球団、レギュラーが固定できていない球団を探した結果、2球団まで絞れた。

 そして結局、大阪の南海ホークスのテストを受験することに。

 恩師に旅費を借りて大阪に出向き、テストを受け、なんとか合格できた。

 でも、球団からはさして期待されていたわけでもなかった。

 それでもしかし、そのチャンスをつかんだ野村青年は、2年間、1軍出場もほとんどない中、バットを振り続けた。

 3年目のハワイキャンプで鶴岡一人監督の目に留まり、いよいよ、1軍デビュー。4年目には本塁打王獲得。その後は、南海ホークスの捕手で4番打者として、大阪球場はじめ多くの球場の南海ホークス側のスコアボードの前から4番目に何千試合と名前を連ねる選手となり、ついには三冠王さえ獲得した。

 その後の野村克也氏の活躍については、ここでは割愛させていただく。


 私は、野村克也氏のあのエピソードを、自分自身にトレースした。

 そして、意を決した。


 それなら、小説を書こう。


 小説なら、取材や関係各位との調整に時間と労力を割く必要はほとんどないし、フィクションという「錦の御旗」で大抵は責を免れ得る。旅行記のようになまじの好きなことを盾にやってみたところで、競争相手も多い(特に「鉄道」絡みは、多いね)。何より小説であれば、扱う題材を自在に決められる。そして、その中でも人があまり扱わない舞台や題材を使えば、世に出す(出る)チャンスは増える。

 ある意味不幸かもしれないが、私は6歳から18歳まで、孤児扱いされて養護施設(現在の児童養護施設)で過ごすことを余儀なくされた。

 そのことは、自分の人生において良くも悪くも影響を与えられた。そのために不快な目に遭ったこともないわけじゃない。だが、それはある意味幸いであり、取材などしなくても、当時の経験をベースに、これまでの自身の経験に加えて読書経験を足していけば、いくらでも書くことができるはずである。そして、そこを軸にして、さらに広い世界を描いていくことも、十分に可能ではなかろうか。


 そんな折、時期的には2017年の末から翌18年の年初にかけて、岡山県立図書館でとある映画のDVDを借りた。

 その映画に出てきた主人公は、私より5歳上の女性と4歳上の男性で、1977年当時の函館市を舞台に物語が展開している作品だった。

 その映画の最後の場面で、鉄道部品がその男性の部屋に飾られているのを見た。時期的にはブルートレインブームの頃である。

 さすがにこれはないぞ、と、思った。

 当時の鉄道少年たちが、そんな部品を家に飾れていたはずもない。

 だとしても、余程鉄道趣味もしくは鉄道関係者との「コネ」でもあったか、さもなければ「盗品」か。

 ありえないな。

 そこで終わる、はずだった。

 しかし、そのシーンが、私についに、小説を書こうという意欲を後押ししてくれたこともまた、確かである。

 ~ 毎年シリーズでこの3年来出版している小説では、参考文献にこの映画を必ず挙げております。


 かくして私は、2018年の1月中旬、小説を書き始めた。

 それからしばらくは、とにかく、書くだけ書いた。


 黙って原稿を読んでくださった方も、いた。その方はすでに亡くなられてしまったが、早稲田大学の文学部の卒業生の方だった。選挙がらみでお会いした人で、人物的にはいかがなものかと思われる言動の多い人ではあった。

 だが、私にとっては、本当にありがたい人だった。

 その人がいなければ、私は小説を書き続けられていないだろう。


 ペンネームについても考えに考えた。

 結局、2019年の秋ごろ、今のペンネームを思いついた。

 部外者で素人・・・それで、「与方藤士朗」となったのね。

 それから、さらに執筆の勢いが増してきたような気がする。


 特に何かの賞を取ったわけでもないが、2019年の暮れ、とある出版社からお声がかかった。

 そして2020年6月、自らの小説としての第1作目を、出版できた。

 シリーズものにしておいた甲斐あってか、翌2021年6月には、その2作目を出版する運びとなった。


 まだまだ読者も少なく、知名度もないが、地元の岡山県はじめ各地の図書館に自著を寄贈したり、こちらカクヨムでかれこれ披露したりと、単に書くだけでなく、営業活動にも力を入れて参りました。

 そして今年2022年、シリーズ3作目の小説を出版予定となっております。

 カクヨムさんのほうでは知名度はまだまだですけど、こちらでも、書籍化できないけど書かずにはおれないさまざまな作品を、披露させていただいております。


 小説を書こうと思い立ってちょうど正味で4年が過ぎました。

 まだまだ、道半ば。

 現在満年齢で52歳、今年9月で53歳となります。

 あと何年生きられるかわかりません。

 ですが、「生涯一捕手」の野村克也氏ではないけど、「生涯一作家」として、この世にいられる限り、たくさんの物事を見て知って、そして、作品を1作でも多くつむいでいけたらと、思っております。


 私ごときの、かくもつたない経験が、皆様のお役に何らかの形で少しでも立てたなら、かくもありがたいこと、この上ありません。

 駄文にお付合いいただき、ありがとうございました。

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