第9話 甘露を渡すこと
トトフィガロはメイドである。
キュートでキュアなメイドである。
「全く、誰の差金か言ってみろ。ラルか? アウグラスか?」
「いえ、誰の差金でもないのです。唯、そうだったら楽しいなと、トトが勝手に思っただけです」
鼻息を荒くしていたカインレだったが、これ以上押しても暖簾に同じと思ったのか、矛を下げる。
彼女は白黒をはっきりつけるのを好ましく思う気性であるから、言い合いになってしまえば、決着がつくまではどこまでも言い合いを続けてしまうのだが、トトフィガロの態度から悪意がある訳ではないこと、また、トトフィガロが、名前を挙げられた二人に何か不利益が被らないかと恐れている様子から、多少の罪悪感を覚え、溜飲を無理矢理下げたようだ。
「昔は素直で可愛かったものを。一体、誰が賢しらな悪知恵を与えたのか。悪影響とはまさにこれを言う。知らなくても良いことは、知らぬままで良いだろうに」
そう言って、カインレは自動クッキングマシーンへと向き直る。ブーンという低い機械の稼働音が広い食堂の足元へと響いた。
トトフィガロはカインレに詰められ、あわあわとしていたが、意識が逸れたので、少しほっとしていた。しかし、自分の言動のために、関係ない二人がカインレの悪行リストに載ったかと思うと、申し訳なさが胸を刺す。
「カインレ、お二人は関係ないのですよ」
「関係ない訳あるか。お前の態度はまさにラルコンドゥが、誰かを揶揄う時と同じものであったぞ」
「うう」
自分でも、少し似ていると思ってしまったがために、なかなか反論することが出来ないでいる。
「そも」
カインレがクッキングマシーンから目を離し、トトフィガロを見下ろす。
「会う度にお前は新しい知識を身に付けている。今の会話のやり方もな。だが、それは本当に必要なものなのか? カザミナルも同じだが、唯、揺蕩うように生きる我等に知識等、必要なものだろうか」
「トトは掃除の知識を得たから、今のお仕事が出来ていますよ」
「嗚呼、そうではないのだ。生活に必要最低限のものさえあれば、探究する必要はあるまいということだ。お前の掃除は必要最低限に入ろう。必要なものはもう既に揃っているのだから、新しいものを求めることに何の意味があるのか」
確かに、ここ竜宮は満ち足りている。
生きていく上での困難さはない。唯、部屋で眠っているだけで、時は過ぎ行き、城は綺麗になっていく。起きたら起きたで、本もあるし、食べ物もあるし、娯楽もある。また、皆もいる。
それでも求め続けるものとは、何があろうか。
トトフィガロは答えに窮した。
皺一つない顔の眉を必死に寄せて、考えている。
カインレの指摘は正しい。満ち足りているのに、更に欲しがるのは欲深いことだ。欲深きことは正しくない。正しくあらなければ、秩序は保てない。だから、新しいことを求めることは間違っている。その道理はトトフィガロも知っている。どこで得たかは分からないままだが、知ってはいた。
でも、トトフィガロは何故だかそれを素直に受け入れられないのだ。
その時、チンという独特な音が耳を刺した。
料理が出来た合図だ。
「む、この扉を開けば良いのか?」
「そうです」
カインレが扉を開き、トトフィガロが中身のトレーを取り出す。
黒いトレーの上には四つの平たい容器が乗っており、その上でプリンが揺れている。この容器も魔力によって精製されるものだ。
トトフィガロはシンプルな白い器くらいしか作れないが、人によっては料理に合わせて細かく多彩に器を作っているようだ。
プリンを近くの机に置いて、トレーを元の場所へと戻す。
置いた際の衝撃に揺れるプリンを、カインレが興味深そうに見つめている。
「これがプリンか。初めて見るが、なかなかに面妖な」
「つるんとして美味しいですよ」
「上に掛かっている茶色いものは何だ? 本当に食べ物なのか」
「焼き目ですよ。まずは食べてみましょう」
トトフィガロは訝しげに見るカインレを席に座らせる。そして、魔力で精製したれんげを握らせた。
そして、トトフィガロも向かいの席に座り、プリンの一つを手に取った。
「一見は百聞にしかずと言います。それは味にも言えることではないですか」
「そうだな。試しもしない内にぶつくさ言うのは、プリンとやらに対して礼儀がなっていなかった。食べよう」
トトフィガロが一口掬ってみせる。れんげで押した感じでは、弾力は丁度良い。舌の上へと乗せてみる。以前と大体同じ味だが、甘さを強めにしたからか、こちらのほうが美味しいとトトフィガロは感じ、自然と緩む頬を止められないでいる。
優しいミルクの香りを吸い込みながら、つるりと舌の上へとプリンを乗せる。軽く舌で押すだけで崩れる軽さもさることながら、滑らかな食感もまた舌触りが良く、そのまま喉まで滑って行きそうだった。
濃厚な卵の味は、強めの甘さと相まって、少々くどさもあったが、底に溜まったカラメルソースと絡めれば、その苦さと合わさって、次から次へと口に運びたく絶妙なバランスになるのだ。香ばしい表面の焼き目もまた同じく、味のアクセントになっている。
まさに望んでいた通りの一品が出来上がったと、トトフィガロは得意げに思いながら、舌鼓を打った。
それを見たカインレは、少し笑った後、プリンを口へと運んだ。すると、驚いたように目を開き、トトフィガロへと顔を向けた。
「これは美味しいぞ」
「前より上手くいきました」
「ふんふん、ミルクだな。これは確かミルクの味だ。この強めの味は鶏卵か。これが良い。後、甘いのも良いな。食感もまた良し。飲むように食べられる」
どうやらカインレのお眼鏡にかなったようで、トトフィガロも嬉しくなる。
そして、はっとしたように口を開いた。
「カインレ、これです」
「何がだ」
「トトが新しいものを求めるのは、美味しくて、楽しいからです。新しいデザートを試すのは楽しいですし、一度作ったものが試行錯誤で美味しくなっていくのも嬉しいし、それを誰かに食べて貰って、その人が喜んでくれたら、トトも喜ばしいのです」
「嗚呼」
「何も知らないままで居続けようとしていたら、それは手に入らなかったものです。だから、その、えーと」
「探究心はあっても良いもの。影響も受けて良いもの、ということか?」
「そうです。勿論、カインレの言うような悪いものも中にはあるかもしれませんが、それでも、トトは新しいデザートを作ってみたいのです」
満ち足りていても、求めてしまうもの。それは余剰と呼ばれるものなのだろう。そして、同時にそれは心の渇望でもある。不足分がなくても追い求めてしまう、手を伸ばしてしまう、何故なら、心からそれを求めているからだ。
真の幸福とは如何なるものか。
満腹であることか。眠りにつくことか。富を得ることか、力を示すことか。
トトフィガロは物知りではないが、実は答えをもう得ていた。
真の幸福とは、心が満たされること。
物理的な補充ではなく、心から追い求めるものを手に入れること、或いは、追い求めるそれ自体に幸福を感じるのだ。
美しき王女殿下を想う時、トトフィガロは胸がいっぱいになる。苦しいと思うことさえもある。それでも、想わずにはいられない。彼女の影を見るだけで、トトフィガロは喜びに満ちるのだ。世界は美しいと思えるのだ。
新しい顔を見たいと慕い、差し出がましいと悩み、微笑まれて有頂天になり、ワンブロックを綺麗にしては、自分を少しずつ認められる。その繰り返しにも似た生活が堪らなく愛おしいと思える。
トトフィガロに愛は分からない。恋も分からない。胸がいっぱいになることしか分からない。一日の終わりに程よい疲労感に満足することしか分からない。
だが、誰かが何かを愛おしいと思う気持ちは理解出来た。カインレが料理に興味を持つのも、ラルコンドゥが手放さないのも、トトフィガロが時に退屈でさえあるこの国で暮らし続けるのも、ここに愛おしいものがあるからだ。
ならば、やはり、この国は満ち足りていよう。
求めずにいられないものを、誰もが胸に抱いている。
トトフィガロはまだ口をつけていないプリンを見た。
四つ作って、今二つ食べたから、残りは二つである。それは、他の部屋より明るい月の光を受けて、艶々と光っている。
今日のプリンは大分上出来だった。差し上げたら、褒められるかもしれない、とトトフィガロは思った。率直に褒められたいとも思った。
だが、手は伸ばさなかった。
それは自分でもどういう心理かは分からなかった。ただ、他に美しい光景が広がるかもしれない、という予感だけは感じた。
「カインレ。甘い物は好きですか?」
「好ましく思う」
「では、もう一つくらい食べられますね?」
「勿論だとも」
カインレは空の容器を机に置きながら頷いた。
トトフィガロはトレーの上のプリンをカインレの前に置いた。
「流石に、もう二つは」
「いいえ。これは二人で食べるのです」
トトフィガロの言葉に、カインレは首を傾げる。
食器棚の端に立てられたお盆の一つを取り出すと、トトフィガロはそこにプリンとスプーンを並べた。
「一緒に食べている間は、お喋り出来ます。ゆっくり食べれば、きっと沢山話せます。だから、良かったら持って行ってみてください」
「お前」
カインレは何かを反論しようとした。だが、言葉を口に出すことはなかった。
何かを飲み込んで、そして、とても穏やかに微笑んだ。
「礼を言う。プリンも美味しかった」
「どういたしまして。感想を聞いておいてください」
「承知した」
そう言って、カインレはお盆を手に取り、食堂を後にした。
残されたトトフィガロは、同じく残された空の食器を持って、流しへと向かう。クッキングマシーンと同じく全自動で汚れた皿の処理も完了出来る。シンクに置いておくだけで、勝手に皿ごと分解されて、影も形も残らないのだ。
「よし」
動き出した皿達を尻目に、トトフィガロも食堂を後にする。
「やる気出て来たから、お仕事頑張るぞ」
入口に立て掛けた箒とちりとりを持って、スカートの裾を翻しながら、今日もトトフィガロは行く。
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