竜宮徒然日記

宇津喜 十一

竜宮

第1話 通せんぼされること

 トトフィガロはメイドである。

 ほぼ毎日、黒く地の厚いシャツワンピースに、純白のエプロンドレスを着て、頭にはフリルのブリムを着けている。手には大体、箒とちりとりがある。

 今日も長いスカートの裾を翻しながら、大きな城内を掃除して回っている。


 トトフィガロの主な仕事は掃除である。

 この城はとてつもなく広いというのに、トトフィガロ以外、メイドはいない。使用人というものがいないのだ。皆、自分のことは自分でやるし、そもそも部屋から出て来ないので、誰かが世話を焼く必要もない。城でありながら、政治、統治と言ったものとは殆ど無縁なのが、此処、竜宮城である。


 毎日、こつこつと隅から隅まで綺麗に掃いて行くのがトトフィガロの日課であるが、今日はそうではなかった。


 トトフィガロの眼前に悠々と横たわるのは巨大な二匹の竜である。

 幅五メートル、高さは十メートル、長さは測るのも嫌になるほどのこの広い廊下いっぱいに、ひしめくようにその二匹は並んでいた。通り抜ける隙間もなく、久々に見た自分以外の他人に、トトフィガロは少しだらしなく口を開けて眺めていた。

 静かな城内には二匹の寝息が聞こえ、恐らく、トトフィガロが此処にいることも、そして、通せんぼをしていることにも気付いていないと見える。

 これでは掃除が出来ない。困ったものだと考えながら、トトフィガロはその細い指で鱗を軽めに突く。しかし、その程度の微弱な刺激で彼等が起きる筈もなく、規則正しい寝息はまだ聞こえている。


 此処にいる二匹の竜の名前は、ピップルラッピリである。

 二人共、ピップルラッピリで、一人でいようが二人でいようがそう呼ばれる。彼等は二人で一人なのだ。だから、一方がピップル、もう一方がラッピリということもない。

 それでは、どちらかを呼びたい時は何と呼べば良いのかと困るかもしれないが、幸いにもこの双子の仲は良好で、喧嘩をしたとしても片時も離れないものだから、一人だけを呼ぶ機会はそうそうなく、呼び名に困る場面というものはそうそうやっては来ないのだ。


「ピップルラッピリ」


 トトフィガロが良く通る声で二人を呼ぶ。

 すると、片方がのそりと緩慢な動きで、此方に顔を向けた。


「やあ、トトフィガロ」

「おはよう、ピップルラッピリ。起きてすぐに申し訳ないのですが、掃除をしたいので、彼と一緒に此処を退いてくれませんか」

「嗚呼、それは何とも奇妙なお願いだね」


 紫色のような緑色のような長い睫毛が伏せられる。一度起きたように見えたが、まだ、微睡みの中にあるのであろう。反対にもう一人のピップルラッピリが口を開いた。


「此処はこんなにも綺麗なのに、何を掃除するっていうのさ。無意味な理由で、この安らぎを手放したくはないな」

「では、せめてトトが通れるくらいの道を開けてはくれませんか。あなたがたが目覚めた後に此処を掃除しますから、それまではその先の廊下を掃除したいのです」

「登ればいいよ。僕等は君ほど小さな生き物が、足や背中を蹴ったって、何も感じやしないのだから」


 それだけ言うと、完全に瞼を閉じ、ピップルラッピリは眠ってしまった。

 トトフィガロはふうと息を吐き出す。


 竜達には二つの姿がある。

 一つは此処にいるピップルラッピリのように、鱗に覆われ、頭に角の生えた巨大な生き物、竜としての姿。そして、もう一つは、今のトトフィガロと似た人型の姿だ。

 暗黙の了解ではあって、法で定められている訳ではないのだが、自室以外で竜の姿を取るのは避けるべきだと思われている。だから、此処で二匹が夢現のままの姿を誰かに見られたら、ピップルラッピリもまずいし、傍にいるトトフィガロにも飛び火が来るかもしれない。もし、ピップルラッピリを注意した相手が厳格なタイプで、彼等と喧嘩にでもなれば、トトフィガロはひとたまりもないのだ。


 ならば、やはり、此処は起きて貰う他にない。


 今度は両手で、先程よりも強い力でトトフィガロはピップルラッピリのお尻を揺さ振る。少し湿り気のある移ろう紫色の鱗を押す。


「起きてください」

「むーん」


 あちらも意地になっているようで、テコでも動かないつもりだ。


「登ればいいでしょ」

「誰かが来たらどうするんです」

「来ないよ。昨日から此処にいるけど、誰もいないよ。いつだって、この城の住人は、部屋から出てきやしないんだから、そんな心配はするだけ無駄だよ」

「万が一があります」

「万の内の一なんて、そうそう当たらないものさ。きっと、今日一日こうしていたって、誰に怒られることもないよ」

「トトはちょっと怒ってますよ」


 むっとしたような籠った声で、トトフィガロが言う。仁王立ちしていてもその体は華奢で、ピップルラッピリと比べると、ひ弱そうに見えてしまう。

 対するピップルラッピリは、のそりと首を動かして、トトフィガロを見た。


「怒ってる? 怒ってるだって?」

「僕達は解決法を示したよ」

「それなのに怒っているの?」

「その解決法は君には難しかったかな」

「トトは根本的解決を望みます」


 踏ん反り返るトトフィガロを見て、ピップルラッピリは不満そうな顔をする。

 トトフィガロは澄んだ水色の目で、彼等をしっかりと捉えてから言葉を発した。


「眠たいのなら、部屋に戻って眠れば良いのです。邪魔になる所で寝てはいけません。怒られる所で寝てはいけません。ほら、トトが連れて行って差し上げますから、行きましょう」


 さあさあと言いながら尻尾を引っ張られ、漸く二人は起き上がった。

 紫色の鱗は月に照らされて、艶かしくぬめぬめと光る。時にピンクに、時に緑に、時に紫に、角度によって千差万別の生き物に見える。


 彼等には多くの姿がある。故に姿がない。

 その偏光の身は、瞳の映り方によって形を変える。多種多様に様変わりするため、見る人によって、彼が何の生き物であるかの意見が分たれるだろう。今のこの竜の姿でさえも、時に全く違う竜にも見えるのだ。

 だから、本当の意味での彼等の姿とは、そのような変化の中にあるのであって、一枚、瞬間を捉えた所で、それは何も掴めていないも同然なのだ。

 でも、二人ずっと一緒にいるという特徴から、例え姿がそれと見えなくても、彼等はピップルラッピリだと判断されるのだ。


 トトフィガロは眠たげな双子を引き連れて、城内を歩いて行く。

 そして、ある部屋の前に来れば、立ち止まって、扉を開ける。どれもきびきびとしながらも、不慣れさが目立つ所作だ。


 ピップルラッピリはそういった所を気にした素振りもなく、開け放たれた部屋の中へと帰って行く。

 此処はピップルラッピリの部屋だ。部屋も二人で一部屋なのだ。


「おやすみなさい、ピップルラッピリ」

「おやすみなさい、トトフィガロ」

「お元気で、トトフィガロ」


 ぎいと音を立てて、扉は閉まる。

 此処から先は、彼等の夢の世界だ。迂闊に入れば、夢に囚われて出られなくなると言う。だから、眠っている竜を起こす人はいないし、もし、どうしても起こしたい時は、外からノックと声掛けを繰り返す他にないのだ。


 竜は一度眠ると、数年から十数年、長い者だと百年以上眠ったままになる。稀に、夢遊病のように起きて来る竜もいるが、どれもさっきのピップルラッピリのように寝ぼけた様子で、意識がはっきりしない。

 トトフィガロはそういった竜に会うと、部屋に戻るよう伝えている。壁にぶつかりそうで危ないからだ。


 トトフィガロは、誰もいなくなった廊下を掃きながら、双子を思い出す。

 凄く眠そうで、怠惰で、でもとろんとした感じが可愛らしかった。しかし、通せんぼはやめて貰いたい、そんなことを思った。


 今日も一日が過ぎて行く。代わり映えのない、起伏のない日々と思えど、小さな出来事は起きている。トトフィガロは、それを記憶の底から偶に手に取っては、眺めて懐かしげに微笑む楽しみを知った。


 トトフィガロはメイドである。


 これは、そんなトトフィガロのお話である。





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