不満点

Racq

不満点

「で」


 何が不満なの?と尋ねる。



 私、真理は、親友である美穂の愚痴を聞くために、ファミレスにいる。

 先日、美穂の彼氏に不満があるようで、その愚痴に付き合ってくれという連絡を受けた。そして待ち合わせの今日、ファミレスで食べながらという話になり、今に至る。

 店内の和気藹々とした空気の中、私たちの席だけ異質ともいえる静寂に包まれていた。しかしその空気が嫌というわけでもなく、寧ろ心地よささえある。美穂は席に着くや否や、注文し、ドリンクバーから帰った今でも、もじもじしている。

 美穂はアイスカフェオレを一口含んでから、話を始めた。


「えと……本日はお日柄もよく」

「うん。テンション変だね」


 先ほどからこんな調子だ。


「でさ、彼の何が不満なのさ。私には結構いい男に見えるけど」


 美穂の彼はどちらかというと高身長で所謂細マッチョ、性格は優しく、感謝の言葉を述べている場面が多い気がする。強いて欠点を挙げるなら、顔は普通というところか。

 しかし美穂は面食いではない。美穂とは長い付き合いだが、そんな素振りを見たことがない。


「いや、それが……」

「何、喧嘩でもした?」

「……うん」


 コクリと頷く美穂。その顔は曇っていた。

 美穂にしては珍しい。いつもは彼氏の惚気ばかりなのに、今日はなんだか沈んだオーラを纏っている。


「なんか彼のことが嫌いで……」

「早まるんじゃあない。彼はいい男だぞ」

「いい男……?」

「ほら。彼、優しいじゃん」


 彼、優しいじゃん。そう言った後だった。

 少し黙って俯いていた美穂のエンジンがかかったのだろう。その思いを言葉にした、早口で。


「そうなの、颯はとても優しいの。喧嘩しても全然責めてくれないし、それどころか原因を考えてくれたりするし! あと気遣いとか凄いしてくれるし! あと可愛いってめっちゃ言ってくれるし! 」

 きっとその早口は車といい勝負をするだろう。しばらく熱中していたが途中から聞き流していた。


「だから颯は優しいの!  優しすぎて嫌い!」

「こらこら、嫌いなんて言うんじゃありません。好きなんでしょ?」

「好き! !」


 可愛いなこの恋する乙女。ご飯三杯はいける。いや、三杯食べると太るだろうから二杯にしておこう。

  聞く限り、彼女の言う嫌いは、別れたいというものとは違っている。彼女から「別れ」という単語も、離れたいという思いの混じった言葉さえなかった。


「なら何が嫌いなのさ」

「優しいところだって!」

「それは長所じゃない?」

「うん……それはわかってるんだけどさ」



 しばらく考えていると、今度は美穂の方から話を振ってきた。


「真理は彼氏つくらないの?」

「私みたいなオタクを彼女にしようという男はいませんて」


 ある程度スタイルとかは気にするけど、私は別に彼氏が欲しいわけではない。つくった事もない。太ってさえいなければ別にファッションは気にしない。


「まぁ確かに颯君みたいな人と一緒なら楽しいとは思うけどね。オタクの部分隠してたら長くは続かないでしょ?」

「最近じゃオタクって普通だと思うけど。結構そういう人が好きって人は多いかもよ?」

「どこ情報?」

「彼氏情報」


 美穂はさらに問う。


「理想の彼氏は?」

「えぇ、それ聞く?」


 美穂は興味深そうだった。まるで実験を試みる博士のような目だった。


「嫌いなとことか思いつく?」

「いない人なら嫌いなとこも言えないよ」

「ちぇー」


 食器が机に接触する音が、この会話の流れを区切る。注文してから届くまで、体感数分のことだった。料理が届いたという事実が、時間の流れの早さを感じさせる。



「私ね」


 美穂が口を開く。


「なんだか彼に何もしてあげられてないなーって思うの」


 届いた料理になんか気付きもせず、ただ虚空を見ながら話す。


「颯のことを考えるとさ、理想の彼氏で、欠点がなくて。対して私には何もなくて。天秤で測るのが怖いぐらい」


 そんな真剣な目で、表情で話す美穂に、精一杯の笑みで頷く。


「私、颯の彼女でいいのかなって、自信がなくなるの」


 少し涙を含んだ言葉が、美穂の口から零れる。そんな彼女は、答えを求めているようだった。

 暫く長考した上で、その結果を伝えることにした。


「それは彼氏本人に聞いた方がいいと思うよ?」

「聞くの怖いよ……。ダメだって言われたら私…………」

「大丈夫。たまには弱音を吐いてみないと彼氏だって寂しいんじゃない?」

「うん……」


 その後は、料理が冷める、と食べるように促した。いい回答ができた自信はないけど、適当なことは言えない。彼女が勇気を出して、本人に聞かないと、その悩みは解消されないだろう。

 料理を食べて、幸せそうな顔をする美穂に、頑張れ、と心の中で応援した。



***



「なぁ」


 とある日の深夜。俺は自室でパソコンのモニターと睨めっこをしている。

 友人の悠と一緒に、毎週恒例、通話しながらゲームをしていた。握るコントローラからは、カチャカチャという音が聞こえてくる。耳につけているイヤホンからは、悠の声だけが聞こえてきていた。


「なんじゃー」

「お前に彼女っている?」

「何それ煽り?」

「いや、なんて言うかさ。最近彼女に不満があってさ」


 彼は末永く爆発しろとかなんとか言っていたが、そのまま話を進めた。


「うちの彼女ってさ、中々不満言ってくれないんだ」

「はぁ、そっすか。あ、これ回復薬大ね」

「サンキュ。そんでさ、悠は俺に不満ある?」

「ある。全然ピン指してくれないとこ」


 それはゲームの話だろと思いつつ、話を進めた。


「……まぁあるわけじゃん。つまり少なからず、彼女も持ってるはずなんだ。これを聞くのって野暮かな?」

「野暮だろ。そんなお前含めて好きなんだろうし。――あ、ここ弾ね」


 ピコン、という音とともに、ピンが表示される。彼は漁りのプロかと思うほどに、俺が今欲しい物資を見つけてくれる。


「やっぱ野暮だよなぁ。でも付き合ってから一回も言ってくれないんだぜ?」

「気になんの?」

「そりゃ気にはなるよ」

「ほーん。そんなもんか」

「そんなもんよ」


 悠は少し不思議そうに聞いていた。


「颯は彼女出来ていいことあった?」


 そう問う悠に、俺は色々思い出しながら答える。


「思い出が増えたり、世界が広がる」

「ありがちだなぁ」

「ガラリと世界が変わるぞ」


 彼はこの会話の中で三人もキルしていた。

 激戦区から離れた町まで移動する最中でさえ、隙を見せない。

 隠れている的を俺が索敵し、悠が狙撃する。

 彼の狙う先は外れることなく、ヘッドショットで仕留める。


「そんだけ言うなら聞いてみたら?」


 悠は突然ではあるが、しかし落ち着いた声で問うた。


「不満のこと?でも野暮だっていったじゃん」

「ガラリと変えてもらったなら、ガラリと変えてやれよ」

「そんなもんか?」

「そんなもんだろ」


 会話が終わると同時に、画面いっぱいに表示される「YOU WIN」の文字。

 気がつけば、俺たちのチームがこのマッチで優勝した。ほぼ悠がキルしていた。


「なぁ」

「なんじゃー」

「脳死会話やめない?」

「脳死会話なんてしてないさー」

「それがもう脳死なんよ……」



***



「ふーん……で?」


 私、真理は、面倒くさい親友である美穂の愚痴を聞くために、ファミレスにいる。

 現在は、注文が終わり、ドリンクバーから帰ってきた後だ。

 しかし、先月とは大違いだ。あんなにも真剣に悩んでいた彼女がまさか……。


「何があったのさ」

「彼もね! 彼も悩んでたの! しかも『俺に不満はないか?』だって! キャー!」

「何を言ってるのかさっぱりわからん」


 失礼。愚痴ではなく本当にただの惚気のようだ。

 両手を頬に当て、全身でくねくねしながら黄色い声を発している。私の心は真っ黒だ。


「私が謝ったんだけど、彼は私のこと抱きしめてくれたの。それも嬉しかったんだけど、颯が、不満を言ってくれ、って! 俺も変に当たってしまって悪かったからって! 颯ったら可愛いんだから」

「私には分かりかねる」


 それから、私は美穂に何があったか事細かに問い詰める。

 どうやら直接会うや否や、同時に謝罪するという、側から見たらバカップルにしか見えないようなことをしていたらしい。お互いに話を聞いていくうちに、悩みも小さくなっていき、今ではもうなくなったらしい。これからは二人三脚で歩んでいこうとか顔から火が出そうな約束を交わして仲直りをしたらしい。らしいが……。


「ーーそれで、お互いちゃんと話し合えて仲直りしたら、更に親密になったと」

「うん! 親密すぎてくっついちゃうぐらい!」

「暑苦しそう……。やっぱしばらく恋人は要らないかな」

「そんなこと言って〜。どうせ少ししたら真理だって『拙者、一目惚れしたかもでござる……』とか顔真っ赤にして言うんでしょ〜?」

「いやいや、ないない」


 私は手をひらひらと動かし、頭を左右に振った。


「もしかして、もういたりして?」

「…………美穂って可愛いよね。少し分けてよ」

「そんなことないもーん!」


 美穂はホットカフェラテを一口含んだ。そのとびっきりの幸せそうな笑顔には、心が和む。

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