神竜使いのグルメ旅
山夜みい
旅の始まり
「アルヴェン・ローランド。お前は
静かな執務室のなかでひびいた言葉に、アルヴェンは目を
追放される心当たりなど、ない。
目の前に座る戦友はこっちが居なくなる意味を考えないほど愚かではないはずだ。
「なぁ、ボルボ―。本気で言ってんのか?」
「本気だ」
「それがどういうことになるか、分かってんだよな?」
「分かってる」
禿頭で褐色肌のボルボーは重々しく頷いた。
「お前がいなくなれば、我が国の騎士団は精強になり、より結束を固めるだろう」
身もふたもない言いようである。
「ボルボー。頭どうかしちまったのかよ。今まで俺が何をしてきたと……」
「承知の上だ」
ボルボーは真に迫る顔で言った。
「お前は誰よりも魔王討伐に貢献し、人族の制空権を取り戻した英雄だ。お前がいなくては我が国の空はいまだに魔族のドラグーン共に支配されていただろう。お前を馬鹿にするものはたとえ陛下であろうと私が許さん。ぶっちゃけ私はお前に残って欲しい!!」
「お、おう。そうか」
そこまで言われると照れくさくなるアルヴェンだった。
切実な顔のボルボーは続けて言う。
「だが、お前は優秀すぎるのだ」
「いいことじゃねぇか」
「戦乱の世ではな。だが、今、既に戦争は終わった」
数百年間続いていた人魔戦争は終わりを迎えた。
勇者や聖女、大騎士や賢者、そしてアルヴェンの手によって魔王は討たれたのだ。
いまや魔王軍は散り散りとなり、各地で暴れまわる魔王軍の残党のみとなった。
「お前が残ると……うちの騎士団は腑抜けになるのだ……」
「というと?」
「ありていに言えば、お前に頼りすぎる」
「あー……」
それには心当たりがあった。
『アルヴェン様、ゴブリンが出現しました!』
『アルヴェン様、スライムが──』
『アルヴェン様、不審な人物が──』
明らかに自分が出る幕でもないところに呼び出される機会が増えている。
出勤日ならまだしも、休日にまで呼び出される始末だ。
慕ってくれるのは嬉しいが、いくらなんでもおかしいとは思っていた。
「じゃあ、教育に回ればいいじゃねぇか。なにも
「それは無理だ」
ボルボーは真顔で言った。
「お前は教えるのに向かん。絶望的に」
「そ、そうか」
具体的に何がとは聞かないほうがよさそうな雰囲気である。
少しだけショックを受けたアルヴェンだった。
「お前には溜まり溜まった有給休暇がある。使いきれないほどの報奨金もある」
優しく、ボルボーは言う。
「お前はもう充分に頑張った。お前よりも頑張った男はいないと、俺は断言する」
「……」
「我が
「ボルボー……」
共に前線を戦い抜いた男の優しさに、アルヴェンは胸が熱くなった。
ここで断れば彼の気遣いを無駄にすることになるし、騎士団にとってもよくない。
さほど迷わず、アルヴェンの心は固まった。
「分かった。じゃあそういうことなら」
「おう。たまには連絡しろよ。女が出来たら紹介しろ」
「あぁ。じゃあな、親友」
別れの言葉はそれで充分だった。
なお、アルヴェンが騎士団を離れたことで彼を慕う多くの者が退役を希望し、あるいは脱走して彼のあとを追い、ボルボーの頭を抱えさせることになるのだが──それはまた、別の話だ。
◆
「さて、何をしようかな」
晴れてお役御免となったアルヴェンだが、特にやりたいことはなかった。
特にやりたいことはなかったから、
執務室から出て、いつもなら談話室へ向かうところ。
同僚たちに出会うと面倒なことになりそうだと思い、アルヴェンは踵を返した。
「とりあえず、帰るか」
相棒を拾うべく食堂へ向かう。
昼飯時を過ぎてがらんとした食堂は二十メルト四方の大部屋だ。
テーブルの上には、背丈ほどの高さまで積み上がった肉の山があった。
肉山の前には白銀の髪をなびかせた女が座っている。
「もぐもぐ。まぁ、焼き加減はいいわね。もぐ。肉の質は、イマイチだけど……」
女は食べながらぶつぶつと呟いている。
華奢な身体に見合わないほどの大食いぶりだ。
栄養はすべて、胸部の発育にいっているのかもしれない。
「待たせたな、エル」
アルヴェンが食堂に入ると、女──エルは振り返った。
「あら。終わったの?」
「あぁ」
「じゃあ、次は誰を殺しに行くの。魔王は殺したし……巨人王? それとも精霊王かしら」
「それが、騎士団をクビになったんだ」
「は?」
エルが目を丸くした直後のことだ。
魔力のオーラが迸り、テーブルがひび割れた。
食堂全体が、みしみしと軋んでいる。
「そう。あのハゲ、死にたいようね」
「まぁ待て」
「食べ応えはないだろうけど、食い散らかしてやるわ」
「待てよ」
アルヴェンは慌てて事情を説明した。
すべてを聞いたエルは「なるほどね」と頷いた。
「そう。あのハゲ、なかなか見どころがあるじゃない」
「手のひら返しがすごい」
「ちょっと待ってて。これ片づけるから」
ものの一分ほどで肉山はただの皿に成り果てていた。
給仕係を掴まえ、魔力の漏出で破損した備品をアルヴェンの金庫に請求しておいてもらう。
なぜかあなたからは貰えないと言っていたが、押し付けた。
「で、何をすればいいと思う?」
「何かやりたいことはないの?」
「ないから、お前に聞いている」
「なるほどね。じゃあ、私に提案があるわ」
「ほう」
「旅に出ましょう」
「旅か」
二十代も後半にさしかかるアルヴェンだが、旅に出たことはなかった。
魔王討伐への旅を旅と言っていいならあるが、あれは旅に数えたくはない。
なにせ、戦いばかりでゆっくりしたことなんてなかったのだ。
「いいな、旅」
「ちょうど食堂の肉の質がイマイチだと思っていたの。美味しいお肉が食べたいわ」
「つまり、美味いもんを求める旅か」
「不満?」
「まさか」
アルヴェンは普段、食事は腹に入ればいいと思う派だ。
けれど、仕事もなくなったことだし、これを機に方針転換するのもいい。
「じゃあ行くか。まず家に帰って準備をしてから……」
「なに言ってるの。今から行くのよ」
「え」
「私とあなたが居れば、先立つものなんて要らないでしょ」
エルは腕を組みながら平然と言った。
確かにそうだとアルヴェンは思った。
「じゃあ行くか」
「えぇ」
「持ち金もないから、野宿になるけど」
「一緒に寝ましょう。私が抱いてあげる」
「助かる」
アルヴェンとエルはワイバーンの発着場へ赴いた。
この時間、空いていることは誰よりも知っている。
「行くわよ」
エルが胸に手を当てると、彼女の身体が大きな光に包みこまれた。
光が晴れると、五メルト以上の美しい竜がいた。
『なにしているの。早く乗りなさい』
「いや、相変わらず綺麗だなと見惚れていたんだ」
『ふん。分かり切ったこと』
言いつつ、エルの尻尾は上機嫌に揺れていた。
アルヴェンは背中に飛び乗った。
ばさり、ばさりと翼が上下し、またたくまに地上が点になる。
何度乗ってもすごい高さだとアルヴェンは思う。
神竜の加護がなければ、今ごろすごい風が自分に吹き付けていることだろう。
「さて。最初はどこに行こうか」
『気ままに行きましょう。そういう旅でしょ』
「それもそうか」
気高き白銀の竜が空を駆ける。
行く当てもなく計画もない。退役軍人の
◆
アルヴェンの朝は早い。
時に魔獣の咆哮で目覚め、時に魔族の足音で目覚め、時に仲間の暴走で目覚める。
そんな生活が染みついていたから、夜明け前に目覚めるのは当然のことだった。
「ん……」
草原のにおいが鼻腔を通り抜ける。
さぁ……と流れる風を、温かな竜の翼が遮ってくれる。
そういえば野宿をしていたんだと、アルヴェンは思い出した。
「クビになったんだもんな。もう後輩を起こしに行かなくてもいいし」
少し寂しい気もするが、まぁいい。
「エル。起きろ、朝だぞ」
『ん……何言っているの……まだ、夜明け前よ』
ぎゅっと、エルは猫のように丸くなった身体に力を入れた。
そのなかに包み込まれたアルヴェンは抜けようにも抜けられない。
竜の力だ。
契約者でなければひき肉になっているところである。
『仕事もないんだし、ゆっくりしましょ。それが旅の醍醐味でしょ』
「……それもそうか」
最近、やたらとエルに説得される気がする。
まぁいいかとアルヴェンは思った。
それから五時間ほど眠り、二人は起きた。
もう太陽は中天に登っている。さすがに腹が減った。
「なにを食べようか」
なにせ何も準備をしていない。
竈も鍋もないのだ。野獣や魔獣を狩って食べるしかない。
エルは、よく食べる。
竜は精霊種に近い魔力生命体だから、別に食べなくても生きていけるのだが。
人間の暮らしで娯楽といえば、食べることくらいしかエルにはないのだろう。
「お。
草原のなかを王者のごとく闊歩する、巨大な猪だ。
体長は三メルトほど。あれなら、腹八分目にはなるだろう。
「エル。そこに居ろ」
「手早くお願いね」
エルは竜だ。竜は強いから、魔獣は近づかない。
アルヴェンはエルを置いて魔猪に近付き、小石を投げて挑発した。
目の前で踊って見せる。獰猛な叫び声に鼓膜がおかしくなりそうだった。
動きは直線的だ。
アルヴェンは躱しざまに剣を抜き、まずは足を捌いた。
硬い。硬いが、斬鉄には慣れている。
足を斬られた魔猪は地面を滑り、苦しみ始めた。
苦しませる趣味はない、アルヴェンはすばやく止めを刺す。
「終わったぞ」
魔猪を運んで戻ると、人化したエルが焚き火をたいていた。
朝は起きないが、食い意地が関わると途端に行動力が増す。
とりあえず解体をしながら、アルヴェンは問題点を指摘した。
「塩がないんだが」
「あなたの鞄に入っているわよ」
「なんで?」
「五年前、魔王討伐の旅で料理を作るのはあんたの担当だったでしょ」
「五年前のか」
まぁ、腐るようなものでもない。
五年前の岩塩を取り出し、焼いた魔猪にかけて食べた。
旨い。
噛むたびに質のいい脂分が滴り、野性味が口のなかに広がる。
アルヴェンが食べたのは顎の部分。こりこりした肉がいい味をしている。
が。
「なんか、あれだな」
「……そうね」
肉を持っていた手を下げ、二人は同時にため息を吐いた。
『普通の料理が食べたい』
みごとに同意見だった。
魔猪は確かに旨い。旨いが、なんというか味気ない。
これでは仕事をしているのと変わらないような気がする。
「……鍋とか、買いに行くか」
「そうね」
当初の予定とは違うものの、行き当たりばったりも旅の醍醐味だ。
魔猪の骨は冒険者ギルドに行けば買い取ってくれる。
やはり、野宿を『楽しむ』にはいろいろと準備が必要なのだとアルヴェンは思った。
カノープス、という街に来た。
隣国の辺境にある、小さな街だ。
街の近くにある『神授の泉』が観光名所と謳われている。
なんでも千年前に女神から天啓を受けた聖人の名が由来なのだとか。
(そういえば、聖女もここで天啓を受けたとか言ってたな)
魔猪を狩った二人は、徒歩でカノープスに辿り着いた。
魔王軍から守るために作られた小さな城郭都市。
二人は『姿隠しの法衣』を用いて検問を素通りした。
アルヴェンは有名人だ。兵士に身分証をみせれば騒ぎになってしまう。
関税は落としてきたからこれで許してほしい。
◆
「まずは冒険者ギルドだな」
冒険者ギルドは民間で魔族や魔獣に対処するために作られた組織だ。
魔獣の鎧などが普及するにつれて国家に接収され、その後、各国間で連携を取るために国を超えて独立した組織となった。
エルと契約する前に、アルヴェンも登録したことがある。
「アルヴェン。私、お腹空いたわ」
「さっき食べたばかりだろ」
「ギルドで貰うものを貰ったら買い食いね」
「はいはい。その前にフード被ってろ」
「むぅ」
アルヴェンの冒険者としてのランクは
検問と同じく、正体がバレないか少し不安だった。
あまり人がいないギルドのなかに入り、魔獣素材の買取りカウンターへ行く。
「魔猪の骨の買取りを」
「あいよ」
出てきたのは屈強な男だった。
冒険者証を見せると、男は眉根をあげた。
「あの英雄アルヴェン・ローランドと同姓同名か。兄ちゃん、苦労するなぁ」
心配なかった。
アルヴェンのなかで、素性がバレる心配が見る間に消えていった。
「似てるって言われるんだ。どうだ?」
少し調子に乗るアルヴェンである。
おそらく解体係と思われる屈強な男はアルヴェンをじろじろ見て高笑いした。
「似てねぇな。いや俺も直接見たことがあるわけじゃないんだが。ちまたに出回ってる絵じゃ、もっと顔がいいし。あの英雄様は筋骨隆々の大男だってんじゃねぇか。お前さんみたいな細腕じゃ、ゴブリンだって切れやしねぇ。魔猪だって、仲間と一緒にやったんだろ? で、あんたは使いっぱしりってやつだ。どうだ。当たってるか?」
「すごいな。当たってるぞ」
「そうだろう、そうだろう。よし。魔猪の骨の査定額が出たぞ」
機嫌をよくした男に査定通りの金額をもらった。
中抜きされるのが普通だから、ありがたい。
「悪いな」
「おう。また来いよ」
男はそう言って、思いついたように首を傾げた。
「そういえば、アルヴェン・ローランドには目も眩むような美少女が傍にいるって聞いたが……いや、まさかな?」
男がエルをじろじろ見始めた。
フードを被っているが、整いすぎた容貌まで隠せはしない。
アルヴェンたちは逃げるようにギルドを後にした。
「危なかったな」
「あなたが調子に乗るからでしょ」
「馬鹿言え。お前が美人すぎるからだろ」
ぴたり、とエルは足を止めた。
少し先を歩いたアルヴェンは振り返り、
「なんだ?」
「…………別に」
「そうか。ところで何食べる?」
「あなたの好きなものがいいわ」
「好きなもの、ねぇ」
特にないから困っているわけだが。
美味いものを探す旅なのだし、出来ればこの街の名物が食べたい。
まぁ、なければないでいい。
「肉にするか」
肉は、エルが好きなものだ。
エルはじっとこちらを見つめて、
「それが、あなたの好きなもの?」
「うん。お前が食べてる姿を見るの、好きだからな」
昨日は肉が良いと言っていたし。
「……………………そう」
エルはなぜか早歩きになってアルヴェンを追い越した。
耳が真っ赤になっている気がするが、陽光のせいでそう見えるだけだろう。
「歩くの速いぞ」
「近づかないで」
「なんで?」
エルは口元を腕で隠すような仕草をしていた。
なるほど、食欲を隠しきれずに唾液が出てしまったわけだ。
アルヴェンは納得して、しばらくそのままにしておくことにした。
恐らく、この先に美味いものがあるに違いない。
アルヴェンの予想は、十分後に的中した。
いつの間にか、こじんまりとした酒場に付いていた。
「いらっしゃいませ!」
迎えてくれたのは、可愛らしい
獣人だ。獣混じりと差別されることはあるが、アルヴェンは好きだった。
案内された席に座ると、少女はとてとてと歩いてくる。
「なににしますか? とりあえずエール?」
「いや、果実酒で」
「私はエールよ」
「おい」
アルヴェンは咎めるようにエルを見た。
エルは、酒が弱い。
吞めないというわけではなく、酔うと面倒になるのだ。
「今日はめでたい日なのだから、吞むしかないわ」
「なんだよ。めでたいことって」
「さぁ。なにかしら」
ふわり、とエルは優しく微笑んだ。
女でさえ見惚れる笑みに、少女は見惚れたように、
「え、エールですね! ただいまお持ちします!」
果実酒もな。忘れてないよな?
「……まぁ、いいか。もう仕事はないわけだし」
「そういうことよ」
得意げに、エルは胸を張る。
アルヴェンは仕方なく笑い、店内を見渡した。
まだ夜に入るまえだから、さすがに閑散としている。
何人か、ガラの悪そうな男たちが目についた。
こちらを──というより、エルを見ている。
男でも分かるような卑しい目だが。
残念ながら、彼らにエルをどうこうする力はない。
王都にいる大戦士でさえ無理だろう。
アルヴェンは何も心配していなかった。
「──お待たせしましたぁ!」
なみなみと注がれた果実酒とエールを手に、アルヴェンはエルと目を合わせた。
「じゃあ」
「ん」
エルは微笑み、
「あなたの退役に」
「俺たちの旅路に」
『かんぱ──』
「ふざけんじゃねぇ!!」
怒声がこちらの声をかき消した。
中途半端に手が止まったまま、不満げなエルがそちらを見る。
柄の悪い男たちが
「この染みどうしてくれんだよ、あぁ!? 大金貨一枚したんだぞ!」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい。あの、今拭きますから……」
「拭けば済むってわけじゃねえだろうが!」
よく見れば、男たちの一人の服にエールがこぼれていた。
酒場でもたまに見る光景だ。笑ってすませばすむものを。
「──その服で大金貨一枚はないだろうよ」
アルヴェンは男たちのほうに近付いて言った。
「寄ってたかって女の子をいたぶるのは感心しないぜ」
エルが頭痛を堪えるように額を抑えているが、気にしなくてもいいだろう。
男たちはアルヴェンの介入に、「なんだてめぇ」と怒気を強めた。
「テメェは引っ込んでろ。よそもんが」
「ひょろいなりして、女みてぇだな。俺たちに春でも売りに来たのか?」
「気色悪いんだよ! あっち行け!」
エールの入ったジョッキがぶちまけられ、アルヴェンはびしょ濡れになった。
酒びたしになった顔を拭きながら、アルヴェンは笑顔で言う。
「まぁまぁ。そう言うなって。頼むよ、な?」
アルヴェンは懐から取り出したものを男たちに渡した。
男たちは目の色を変えて、アルヴェンをじろりと見る。
「ふん。店員よりも分かってるじゃねぇか。今日のところは勘弁してやる」
行くぞ、と男たちは店を出て行く。
残されたのは呆然とした少女と、食べ散らかした食事だけだ。
「あーあ。もったいない。美味しそうなのに」
「あ、あのっ! すいません。あたしのせいで」
それから店長らしき
「兄ちゃん。悪い。娘を守ってくれてありがとう」
「いやいや。気にすんな。ここで出会ったのも何かの縁ってやつだ」
旅の縁は大事にしないと。
「ところで、何か拭くものを、飯を注文したいんだが」
「は、はい!」
少女がタオルを持ってきて、顔を拭きながらアルヴェンは注文する。
「この街の名物が食べたいんだが。出来れば肉で」
「それが」
兎人族の少女はしょんぼりと耳を下げた。
「ごめんなさい。うちの看板商品……『とぶとぶコロッケ』は出せないんです」
「なんで?」
「ま、魔王軍の残党が……」
少女によれば。
この店の名物である『とぶとぶコロッケ』は草原地帯に生息する『よだれ牛』を材料にしているらしい。その『よだれ牛』が、魔王軍の残党に狩られているのだ。その残党、やけに強力らしく、観光名所である『神授の泉』が占拠され、街の男たちもかなりやられたのだとか。
「騎士団に頼めばいいじゃん」
「要請はしましたが……」
どの国でもそうだが、騎士団にも優先順位というものがある。
この街のような小さな街に出る残党など、大したことはないと思われているかもしれない。
「じゃあとりあえず、今、店で一番美味いものを」
「すぐにお持ちします!」
アルヴェンは顔の華やいだ少女を見送り、席に戻った。
むすぅ、としたエルがアルヴェンを見ていた。
「どうした?」
「どうしたと思う?」
「……あの程度のことで怒んなよ。よくあることだろ」
「そうね。でも私は許せないわ」
エルは目の笑っていない笑みを浮かべて壁を指差した。
壁だが、その向こうに何があるのかをアルヴェンは察した。
「エル、よせ」
「私の
アルヴェンは止めたが、遅かった。
指先から光線が奔る。鋭い擦過音を奏で、壁に穴が開いた。
どこからか悲鳴が聞こえたような気がする。それから地面が揺れた。
「お前なぁ」
アルヴェンは頭を抱えた。
エルは不満げに言った。
「あなたが触ったから、照準がずれたわ」
「誰も殺してないよな」
「そうね。でも、なにかに当たった感触があったわ」
「そうか」
まぁ、殺してないならいいか。
恐らくどこかの民家に穴が開いたこととは思うが。
あとで探して修繕費を渡しておこう。
「とりあえず、気を取り直そう」
アルヴェンはジョッキを持ち直した。
こういうときは、吞むに限る。
「じゃあ、改めて。かんぱ──」
甲高い鐘の音が連続した。
うんざりしながらジョッキを置いたアルヴェンは外を見る。
「今度はなんだ」
「大変! 大変です! 魔王軍の残党が攻めてきました!」
「お客さん、早く逃げてください!」
「いや、でもいきなりなんで……?」
訳も分からず、アルヴェンたちは店を出た。
見れば、身長七メルトはあろう巨大な海老の魔獣が飛んでいた。
海老は海にいるものだが。あの海老には翼が生えている。
「死んだ獣王の配下だ! 逃げろぉおおおおおおお!!」
「『神授の泉』を縄張りにしてたのに、なんで!?」
「誰が刺激したんだ! さっきの地震のせいじゃないのか!?」
周りの声を聞き、アルヴェンはいち早く真相に気付いた。
「……なるほど。エルの光線のせいか。当たった感触はそれだな」
「私のせいじゃないわ。黙ってやられていたあなたが悪いのよ。つまりあなたのせいね」
「俺のせいか」
「何か文句でも?」
言いたいところだが、今はそれどころではあるまい。
アルヴェンはため息を吐き、剣の柄に手を当てた。
「やるか」
「待ってたわ」
獰猛に、エルは口元を歪める。
そんな俺たちの様子に気付いた
「お、お客さん、もしかして戦うつもりですか!? 無理ですよ! あれは獣王の配下で、ええっと、四大獣士と呼ばれるすごい強いやつらしいんですよ!?」
「大丈夫だ。俺は冒険者だからな」
冒険者証を見せると、少女は悲鳴を上げた。
「ど、銅級……初心者じゃないですか!? 無理です無理です! 勝てっこありません! せめて『神鉄級』の冒険者じゃないと……!」
「そうだぜ兄ちゃん、あんたみたいなヒョロ腕が勝てる相手じゃねぇ!」
「すっこんでろ! 本職の邪魔になるだろ!?」
俺の様子に気付いた街の人々が次々に避難を促す。
見ず知らずの他人のために、律儀なことだ。
隣の国とはいえ、この街には守るべき価値がある。
「まぁ見てな」
アルヴェンは笑った。
エルが胸に手を当て、その身体が光に包まれる。
『え』
光は見る間に大きくなり、巨大な竜の姿となった。
見慣れているが、やはり美しい。
「こ、この竜は……」
商人らしき誰かが後ずさり、言った。
「し、神竜エルフレア……! まさか、あの御仁!?」
背中に飛び乗り、アルヴェンはエルとまたたく間に空を駆けた。
街の外に出る。
カノープスの城壁に迫る魔王軍の残党、およそ五百ほどだろうか。
「エル」
『焼き払うわ』
エルが大きく口をあけ、蒼い焔を吐き出した。
魔王軍の残党は見る間に呑まれ、なすすべなく燃え上がる。
およそ五百体の部下が消えたことに、四大獣士とやらは戸惑っている。
「なぁ、こんな魔獣、獣王との戦いにいたっけ?」
『雑魚の顔なんていちいち覚えてないけど』
エルは冷たく言った。
『碌な魔力も感じない。ブラフでしょ』
「なるほど」
虎の威を借りる狐というわけだ。
四大獣士という中途半端な強さが、逆に現実感を抱かせる。
「魔獣か。食えるよな。肉じゃないけど」
「肉は肉でも、魚肉といったところかしら」
エルはじゅるりと唾液をしたたらせた。
「好物よ」
「よし」
海老の足が森を薙ぎ払い、大地を陥没させる。
口から吐いた水の勢いは、城壁の一角を消し飛ばした。
エルは神竜だ。避けるのは造作もない。
「キシャァアアアアアアアアアアアアアア!!」
竜と人。
四つの双眸が、ぎらりと煌めく。
『うるさいぞ。雑魚が』
アルヴェンとエルは同時につぶやいた。
竜の爪が海老の触覚を切り裂き、甲殻に亀裂を入れる。
アルヴェンは背中を蹴り、宙に躍り出た。
「今日は海老祭りだ」
大きく振りかぶった剣が、雲を貫く魔力のオーラを纏い。
全長七メルトを超える魔獣の身体を、一刀両断する。
「きしゃ、ぁあああ……」
海老のバケモノは宙に落ち、ずうん。と地響きが大地を波打たせた。
カノープスを襲っていた魔族の残党たちも、エルの焔で焼き払ってある。
これでもう、この街が恐れることはないだろう。
宙を落ちていたアルヴェンを、エルの背中が優しく受け止めた、
相変わらず、見事な受け止め方だ。
「さすがだな、相棒」
「当然でしょ」
カノープスの街は沸き立っていた。
そこかしこから、自分の名や、エルの名を呼ぶ声がする。
早速正体がバレてしまったが、これは不可抗力というものだ。
街の中に降り立つと、頭を地面にこすりつけた三人の男たちがいた。
先ほど、アルヴェンを馬鹿にしたやつらだ。
エルの光線から逃れていたあたり、悪運だけはいいらしい。
蒼白い顔で汗をダラダラ垂らしながら、彼らは言った。
「お、お許しください。まさか、アルヴェン・ローランド様とは知らず……!」
「世界の英雄、神竜を従えた、天空の覇者……! 命だけは……」
アルヴェンは彼らの前に立ち、すげなく言った。
「謝るのは俺じゃないだろ」
「あ、あとであの酒場にも謝罪を……!」
「それなら許す。顔を上げろ」
そして笑う。
「今日はみんな海老祭りだ。お前ら、みんなと協力してあの化物を運んでくれよ」
あの海老は、でかい。
相当な重さになるだろうから、いい罰になるだろう。
荒くれ者たちは顔を上げ、頷いた。
『はい!』
甘いわねぇ。とエルが肩を竦めた。
◆
街をあげての宴会とあって、カノープス中が騒がしい。
アルヴェンたちは最初に立ち寄った『飛ぶ鯨亭』にやってきていた。
本当は町長が招待しようとしてきたのだが、エルが嫌がったので断った。
エルは華美なところが嫌いなのだ。
今いるような騒々しい酒場のほうが、彼女は好みである。
「お待たせしました」
「来たわね」
既に大量の肉をたいらげたエルが、じゅるりと舌なめずりする。
食い意地の張った神竜は
「ほう」
アルヴェンも顎に手を当てて眺める。
「『わた雲海老コロッケのピリ辛草原』です!」
白い皿の上に、赤いソースが広がっている。
随所に野菜を散りばめた皿のソースの中央には茶色いコロッケがあった。
「コロッケ。異界の民が伝えた郷土料理だったか」
確か、じゃがいもを主な主原料にしていたはずだが。
「能書きはいいわ。さっそく食べましょう」
「そうだな」
アルヴェンとエルは胸に手を当てて祈りを捧げる。
『いと尊き竜神様に感謝し、この食事をいただきます』
大事な食事の前では、エルモ礼儀を重んじる。
いつも豪快な手つきはなりを潜め、丁寧な所作でナイフを操り、コロッケを割った。
アルヴェンも、あとに続く。
「ほほう」
コロッケの中身にはぶつ切りにされた海老が入っていた。
ふわふわだ。濃厚な海老の香りがふわりと漂い、アルヴェンの食欲を刺激する。
「味のほうは……っと」
サク、と小気味よい感触だ。
口の中に入れた瞬間、海老の旨味が幸せを運んでくれる。
一見するとふわふわ過ぎて食べ応えがないと思われがちだが、ぶつ切りにした海老はプリプリの食感だし、ソースの絡みがパンの進みを早めてくれる。
外側の鎧を砕くと、ふわふわとした中身が強烈なパンチを繰り出す。
過酷な草原のなかで生きる、海老の強かさが伝わってくるようだ。
「美味いな、エル」
「おかわりよ。あと百個くらい」
「はい、ただいまぁ!」
エルはあっという間に平らげていた。
礼儀は最初の一枚で充分とばかりにがつがつと食べ始める。
注意しようかと思ったが、「ん~!」と幸せな笑みを浮かべたエルを見ていると、そんな気も失せて来る。
エルが、こちらに気付いた。
「なによ。じろじろ見て」
「いや」
アルヴェンは笑った。
「やっぱり俺、お前が好きだなぁ」
「ごほッ」
エルが苦しそうに胸を叩いた。
ジョッキに入った水を飲みほして、咎めるようにアルヴェンを見る。
「いきなり何を言いだすの」
「ん? 思ったことを言ったまでだが」
何も変なことは言っていないはずだが。
そう思いうながらコロッケを食べ進めるアルヴェンに、エルは目を逸らした。
「…………ふん。誇り高き神竜にそんなことをいう人間はあなたくらいのものよ」
「そうか。なら、俺だけの自慢ってわけだ」
「そうね」
エルは笑った。
「私も、あなたのそういうところは好きよ」
アルヴェンは手を止めた。
意趣返しに成功した子供のように笑って、エルは食事に戻る。
なるほど。不意打ちというやつは中々に厄介だ。
今後は気をつけよう、とアルヴェンは思った。
翌日。
「ここの名物も食べたし、なかなかいい旅だったな」
「えぇ。魚肉はもうお腹いっぱいよ」
「なら、次は獣肉か」
夜明け前に、二人はカノープスを後にした。
見送りはいない。いないような時間に、黙って出てきた。
もちろん、旅支度は整えたが。
「あの酒場の娘に聞いたんだけど」
エルが言った。
「この大陸のもっと東に、肉のような食感が楽しめる植物があるそうよ」
「植物肉か」
いい加減。肉から離れればいいとは思うが。
「行ってみない?」
「いいね」
エルが喜んでいるようだし、まぁいいだろう。
旅はまだ続く。植物肉の次は、別のものを食べに行けばいい。
東、というのもちょうどよかった。
「食べる旅を続けながら、魔王軍の残党を片付けていくか」
今回のことで思ったが、やはり、魔王軍の残党はまだ勢いがある。
このまま放っておけば新たな魔王を擁立しかねない。
せっかく
国というしがらみを越え、大陸中を回ってみるのもいいだろう。
そう告げる。
エルが仕方なさそうな目でアルヴェンを見た。
「それがあなたのやりたいこと?」
「まぁ、そうだな」
「やりたいこと、見つけたわね。内容はどうかと思うけど」
「不満か?」
「いいえ」
エルは平然と言った。
「私はあなたと共に在れるなら、どこへでも行くわ」
「そうか。俺もだ」
「当然よ」
少しためらってから、エルは腕を組んできた。
アルヴェンは眉根を上げる。
「飛ばないのか」
「たまには、こうして地上を歩くのもいいじゃない」
「それもそうか。旅、だしな」
「えぇ」
朝焼けの光が二人を照らし出し、エルの耳を赤く照らし出す。
相棒から感じる温もりと空から照らす日差しにアルヴェンの胸は満たされた。
旅というのは、いいものだ。
神竜使いのグルメ旅 山夜みい @Yamayasizuki
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