十年目、誕生日の贈り物 弐

 執務室の時計が退勤時間を告げた。

 紅緒様は残ってまだ仕事をしたいようだから、俺は後で迎えに来る事を告げて、一旦仕事を終えた。

 紅緒様の家というのか、帰る場所は独身の高級士官用官舎の一室で、最上階に紅緒様と俺だけが住んでいる。

 紅緒様のご身分なら何処かに屋敷を貰って住んでもいいんだけど、戦で転戦する身として定住場所なんか必要ないと思っておられるようだ。

 俺は今も紅緒様の送迎をしている。前は執務室から自室に送るだけだったけど、官舎の関係と護衛の都合上朝のお迎えも俺がやった方が早いからだ。毎朝斑鳩で俺と紅緒様は出勤している。

 そんな訳で、俺が都合で先に退勤しても、それが終わり次第紅緒様をお迎えに来ているのだ。

 で、俺の行先は城下町の雑貨屋。以前紅緒様と休日に城下に下りた時に通りかかった店だ。

 この店に直接寄る事はなかったけれど、その出窓に飾ってあった「マンボウ」とか言うちょっと間の抜けた顔の魚や、頭部がトンカチのような「シュモクザメ」という深海魚、頭に小さな耳のようなものが付いた足がパラシュートのようになっている「メンダコ」やらいうタコ、「ダイオウグソクムシ」たらいう虫っぽい甲殻類やら、海洋生物のぬいぐるみを見て、紅緒様が目を輝かせて。

 だから俺はこの店の店主に頼んで、販売されている海洋生物のぬいぐるみを全て一種類ずつ取り寄せてもらったのだ。

 出してもらった見積もりは、そりゃ驚く金額になったけど、本を読むのと斑鳩の整備が趣味の俺には結構な貯えがある。戦で死んだら故郷の家族に行くだけだし、そもそも金なんぞは使いたいときに使わなくては意味がない。

 全部まとめてお買い上げして、それが本日届く日だったのだ。

 搬送は店の店主が「凄く買っていただいたので、サービスです!」とにこやかに笑って手伝ってくれたお蔭で実にスムーズだった。

 でも問題はそれを置くスペース配分をうっかりミスった事だったり。

 隠しておこうにも、結構なデカさのぬいぐるみが沢山あって、俺の部屋一つが埋まったのだ。この分だともしかしたら紅緒様の部屋も埋まるかも知れない。

 だけどだ。ぬいぐるみに埋まる紅緒様はきっと可愛いに違いない。

 いつかの温泉旅行で差し上げたクジラの大小のぬいぐるみは、今も紅緒様のベッドにいる。特に大きいほうは抱き枕にもってこいらしく、紅緒様も「アレがあるとよく眠れる」と仰っていた。

 今回買った中にもクジラはいるし、トドやセイウチ、アザラシやダイオウイカもいるんだから、新しい安眠抱き枕が増える筈。因みにペンギンやアザラシ、ホッキョクグマなんかは、親子シリーズで買ってある。変わり種はウミウシや巻貝、イセエビやウツボだろうか。古生物のアロマロなんとかなんてのもあった。

 それは兎も角、準備は整った。後は紅緒様をお連れするだけ。

 そうしていそいそと俺は紅緒様を迎えに行って、官舎に戻ってくると、お茶の準備を始める。

 湯を沸かしている間に紅緒様はいつも部屋着に着替えられるから、俺は自分の部屋に戻るとプレゼントのぬいぐるみを抱えて行ったり来たり。

 俺は紅緒様の寝室に入ることを許されているから、勝手知ったる何とかで紅緒様のベッドサイドに沢山のぬいぐるみを配置する。と、紅緒様のベッドが埋まった。

 買いすぎたかも知れない。密かに冷や汗を垂らしていると、背後から「出穂?」と紅緒様が俺を覗き込んでいることに気付いた。


「べ、紅緒様!?」

「なにをして……ぬいぐるみ!?」

「あ……はい。海の生き物のぬいぐるみっすけど、ちょっと多かったかなって。紅緒様のベッドが埋まったっす」


 苦笑いしつつ、ベッドの様子を紅緒様にお見せすると、白い頬に赤みが指す。

 フラフラとご自身のベッドに近づくと、並べられたぬいぐるみの一つを手に取った。


「ラブカだ! 出穂、ラブカ!」

「ラブカって深海にいる鮫でしたっけ?」

「うん! あ、こっちにはシーラカンス! アロワナもいる!」

「本物そっくりシリーズだそうっすよ」

「本当だ! カブトガニ、引っ繰り返したら足がちゃんとついてる!?」


 キラキラと目を輝かせてぬいぐるみを一つ一つ確かめては、どんどん枕元に積み上げて、それが崩れて埋もれてしまっても、紅緒様は楽しいのか声を上げて笑っておられて。

 紅緒様は笑う時も基本静かで、あまり主張しない。その人が、声を高く上げるほど喜んでいる事が、俺は何より嬉しかった。

 すると俺が見ていることを思い出したのか、紅緒様が咳払いして表情を作る。でも口角に隠しきれない嬉しさが滲み出ていて、それはそれは可愛い。


「その、ありがとう出穂。大事にする」

「っす。でもベッドにぬいぐるみ並べて、紅緒様は床で寝るとかやめてくださいっす。ぬいぐるみはちゃんとおろしてくださいね」

「う、だ、だって、可愛いのに……」

「うーん、デカいベッドがありゃいいんですけどね?」

「……官舎のは備え付けで、変えたらいけないんだ」


 しゅんとした紅緒様に、俺はちょっといいことを思いついた。だから、それを提案してみる。


「宰相閣下が『そろそろ何処かに邸宅を持っていただきませんと、いつまでも第二王位継承者が官舎住まいは……』って仰ってたじゃないですか。この際屋敷を受け取って、そこの寝室をちょっと広くして、ぬいぐるみ全部おけるベッドを入れるとか?」

「……そうか、そうだな。うん、そうする」

「ベッドの手配は俺に任せてくださいっす。ちょっとした伝手があるんで、貰ってくるっす」

「いや、ちゃんと買うぞ?」

「いやいや、前からもらってくれって頼まれてたのがあるんすけど、俺の官舎じゃデカすぎて断ってたんすよね」

「そうなのか?」

「っす。なんで、そこは任せてくださいっす」

「解った。何から何までありがとう、出穂」

「いえいえ、役得っす」


 俺が笑えば紅緒様も笑う。

 この日はとりあえずそれで終わって、翌日。

 俺は書類の提出にいった宰相閣下のお部屋で、この国で一番偉いダメ親父に捕まった。


「宰相から聞いたが、紅緒が屋敷を持つ気になってくれたらしいが……広い寝室のある家ってどういうことかの?」

「そのまんまっす。あ、陛下は物凄く大きなベッドを紅緒様に贈って差し上げてください」

「は!?」


 俺の言葉に陛下の顎が外れる。そりゃそうか。毎回紅緒様の誕生日には消え物指定していたのが、突然ベッドじゃ驚くか。

 陛下が口をパクパクさせているのを見て、俺は納得するとかくかくしかじかと経緯を説明した。


「ぬ、ぬぐるみ……。そうか、ぬいぐるみ、な」

「っす。ガキの頃、萌黄様に買ってもらったクジラを思い出してよく寝られるみたいなんで」

「解った。そうしよう。だがそれだけでなく、ハウスキーパーも派遣しよう。紅緒も良く知ってる乳母の……」

「待った」


 言いかけた陛下の言葉を遮る。

 俺と陛下のやり取りを無視して仕事を続けていた宰相閣下が、その時一瞬顔を上げたけれど知った事か。


「乳母はいんねぇっす。てか、そのババア、絶対紅緒様に近づけんな。あとガキの頃のカテキョも」

「うん? どういうことだ」

「はあ? アンタら本当にクソだな、調べたんじゃねぇのかよ? ババアとカテキョ、萌黄様が買ってくださったクジラのぬいぐるみを紅緒様から取り上げて棄てたんだぞ!」

「な!?」

「知らねぇとか、マジかよ。ありえねぇ」

「な、なにかの間違いとか……」

「ぬいぐるみ棄てられた紅緒様ご本人からお伺いしました。信じねぇのは勝手ですけど、それならもう二度とアンタらに紅緒様の近況とか教えねぇっすから」


 腸が煮え返って告げた俺に、宰相閣下のため息が聞こえた。

 後日、紅緒様は魔導錬金術研究所の近くの郊外に屋敷を賜ったけど、立派な寝室にかなり大きなベッドが入って、そのベッドには沢山のぬいぐるみが置かれている。

 屋敷の合鍵は俺が持つことになっていて、俺の部屋も紅緒様の屋敷に移動した。

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