危機 弐
轟音と共に凄まじい風に晒されて、俺は紅緒様ごと床に伏した。
身体に衝撃を感じて息が詰まったけれど、長くは続かなくて、部屋に濛々と立ち込める煙が収まる。俺の身体の下には紅緒様がいらして。
「……出穂、無事かい?」
「何とか。ちょっと足が痛いっす」
「そうか。私は腕が動かない」
「……腕っすか?」
紅緒様の腕を確認するために、覆い被さっていた身体を紅緒様の上から退かせれば、その腕がだらりとさがり、不自然に力が抜けている。わずかに額に汗が滲んでいるけれど、紅緒様の頬からは血の気が引いていた。
「折れてはない」
「なら脱臼っすかね」
俺は「失礼します」と声をかけて紅緒様の腕に触れる。たしかに肩の関節がずれているような気配があって、俺は眉を寄せた。
すると紅緒様は無表情で「治せ」と一言。
「っす。痛かったら後で俺の事殴っていいっすから」
「大丈夫。任せた」
「っす」
痛みに耐えるように紅緒様が息を深く吸い込んで、身体の緊張をなだめるように吐いたのを見計らって、俺は紅緒様の肩に手をかけて関節をねじ込んだ。
軍にいれば脱臼くらいの怪我は日常茶飯事だから、荒いが処置は解るし出来る。
痛みにわずかに顔を歪ませただけで、紅緒様は悲鳴も上げない。ただ唇を噛んで、痛みに耐えるだけ。
しばらくすると、紅緒様の顔に赤みが戻った。
それから俺は辺りを見回して、座り込んだ紅緒様の脱臼したのとは反対の腕を取る。が、俺は立ち上がれなかった。
「出穂?」
「足が片方……折れてるみたいっす」
「そうか、解った。私の肩に掴まれるか?」
「っす」
俺が頷くと、さっと紅緒様が怪我をしていない方の肩に摑まらせてくれる。そうして俺達は立ち上がると、謁見の間の全景が見えて来た。
豪華な造りだった部屋の壁は黒く焼け焦げ、床も黒く焦げていて、所々赤黒く変色している。中でも一番焼けていたのは棺があった場所で、その辺りから人間の焼ける匂いがした。
「……テロっすか?」
「だろうな。大方棺の中に、遺体と魔術をぶつけると爆発する何かを仕込んでいたんだろう。それにしては爆発の威力が小さい……いや、途中で弱まった?」
紅緒様が床に転がる、青洲様の副官の死体を見つつ呟く。
青洲様の副官は、兵士と一緒に棺を開けようとしていたが、男が指輪を投げた瞬間、踵を返してこちらに逃げようとしていた。そのせいか、下半身は跡形もないが上半身は残っている。
怪訝そうな紅緒様の様子と、爆発の跡を見比べて、俺は「あ」と声を上げた。そして胸から万年筆を取り出して、紅緒様にお見せする。
「これ、魔導錬金術研究所の所長に、今朝返してらったんすけど」
「うん?」
「いや、紅緒様と色違いのお揃いだって言ったら、持って帰られちゃって。俺は四六時中紅緒様の傍にいるから、魔術が発動する際に出る魔力の波形を感知して、防御障壁を勝手に展開してくれる機能を付けたから引き取りに来いって、連絡があって……」
「じゃあそのお蔭で、私と出穂は助かったのか」
「多分?」
防御障壁が展開した瞬間を目撃した訳じゃないから何とも言えないが、俺も紅緒様も無事なんだからそういう事だろう。
それだけじゃなく、俺や紅緒様より部屋の奥にいる連中は、皆爆風に晒されてもかすり傷で済んだようで、青洲様なんか玉座に座ったまま。頬に僅かに切り傷がある程度だ。
俺が周囲の確認を終わらせた頃、バタバタと大勢の兵士が異変を察知して駆けつけてくる。
すると紅緒様が「閣下」と静かに玉座の青洲様に呼びかけた。
「私と副官は下がらせていただいても?」
「ああ、いや、ここに軍医を呼ぶ。だから……」
「いえ、歩けます。こちらの軍医には死体の検分があるでしょう。我が方の軍医に見てもらいますので」
そうして俺を肩に担ぐようにして紅緒様が歩き出す。俺はと言えば片足は動くので、なんとか紅緒様に負担がかからないように動かない片足を引きずるように歩いていると、うちの部隊から担架と軍医がやって来た。
軍医は俺と紅緒様を見比べて、俺を担架に転がす。そして紅緒様に「ご一緒に」と声をかけるだけかけて、自分は治療の準備をしてくると、一足先に医務室へと戻って行った。
「所長には何か褒美が行くように兄上に掛け合おう」
「そうしてやってください。紅緒様をいつ何時何があっても守れるようにって改造してくれたんで」
「うん」
俺の言葉に紅緒様が静かに頷く。
そうこうしていると、医務室に着いた。そこで処置を受けると、同じ部屋にベッドを二つ並べられて、俺と紅緒様は並んで入院することに。
腕に三角巾を巻いた紅緒様の姿に、俺は唇を噛む。
紅緒様が「噛むな」と、自身の動く方の指先で、俺に向かって自身の唇を指差した。
そう言われては、唇を解くしかない。俺は苛立ちに任せて、自身の髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。
「……出穂?」
「すんません、俺がいたのに怪我させちまって」
「馬鹿な事を。お前がいたから脱臼で済んだ。お前は骨折したのに」
「それこそ気にしねぇでください。骨折くらいなら安いもんです」
心からそう思う。
紅緒様を守れた安心と満足でにかっと笑うと、紅緒様が目を伏せた。
「……私が死んでも代りはいるのに。出穂は変わったやつだなぁ」
へにょりと紅緒様の眉が下がるけれど、その顔は泣きそうに見えて。俺の事で紅緒様が泣くなんてあってはいけない。
俺はベッドサイドの松葉づえを使ってベッドから降りると、紅緒様のベッドの傍で跪いた。
「出穂、怪我に触る……」
「たしかに、国や軍には紅緒様に万が一の事があっても代りになる誰かがいるのかもしれません。それは俺だってそうっす」
「……」
「でも、俺の紅緒様は紅緒様ただ御一人です。俺はもう、紅緒様と知り合う前の自分がどうやって息をしていたか忘れました。だから紅緒様がいない世界で呼吸が出来ると思えない。俺は俺のために、紅緒様に生きていてほしいっす」
言い切れば、紅緒様の緋色の目が見開かれる。これは俺の本心だ。この人がいない日常を、俺はもう思い出すことが出来ない。
家族の顔より、俺は紅緒様の声や顔の方をずっと覚えている。
俺の言葉を咀嚼するように、紅緒様は何度か瞬きをする。それから柔らかく口の端を上げた。
「なら、お前もそうだよ。私の出穂は出穂しかいない」
「っすね。だから俺は紅緒様を守っては死にません。必ず生きて守り切ります。それで俺は紅緒様とずっと生きていくんです」
「……ずっと? 戦が終わっても?」
「っす」
「そうか」
紅緒様が頷かれる。
そしてへにゃりとお笑いになったから、俺も笑って立ち上がると、部屋の扉から咳払いが聞こえた。
そちらを見れば軍医が、苦虫を噛み潰したような顔をしていて。
「軍医?」
「いや、その……噂には聞いてましたが、凄いですね?」
「何がっすか?」
「自覚がない!」
「あ?」
訳の分からない言葉に、俺と紅緒様は顔を見合わせる。
兎も角、俺と紅緒様は入院らしい。部屋は普通分けられるモノだけど、紅緒様が「このままで」と仰って、俺は紅緒様と一緒のお部屋のまま。
軍医からは「怪我を悪化させんなよ」と言われたけど、そんなことして紅緒様の復帰に間に合わないとか冗談じゃない。大人しくしているに決まっている。
なのに翌朝、俺は軍医から「お前のせいで口が甘い! 帰れ!」と言われて、医務室を追い出された。
いつもと同じく紅緒様と楽しく食事や会話をしていただけで、暴れたり怪我を悪化させるようなこともしなかったのに。
なんだったんだろう?
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