俺の友人が俺の弟子で推し活して迷惑被っている件――それはそれとして俺の推しは俺の従弟なのだが、俺も推し活することにもなった件
虎山八狐
寿観29年7月12日水曜日
推し活。
具体的に言えば、推しを応援したり、推しを語ったりすること。
そう、語る。
この行為は推しが架空のキャラクターであったり、芸能人であれば無害だろう。しかし、共通の知り合いであれば地獄だ。いや、共通の知り合いとしか言えない薄い関係であれば害も少なかったかもしれない。俺の友人の
いや、でも、語りの内容が薄いものであればまだ害も少なかっただろう。
――腰が太くて、尻が大きく、腿も太いことがセクシー!
そんなえげつない語りだから頗る迷惑極まりない。
「君もそう思うだろ」
桜刃組事務所に唯一いた組員――つまりは清美の仲間――の
彼女は俺と安藤を見回し、酸っぱい顔でソファーに案内した。俺と安藤に対面する形で座ると、咳払いをして姿勢を正した。
「迷惑だね」
俺が肯くと、奈央子は首を横に振った。安藤が嬉しそうな声をあげる。
「ほらあ! 迷惑だってわざわざ他の人に言いに来る
安藤は勝ち誇ってコンビニの袋から苺みるく味のチューハイを取り出して開ける。奈央子に向かって乾杯したが、彼女はまたもや首を横に振った。
「酔っ払い二人が事務所に来て、変なことを熱弁するということ自体が迷惑なの」
「言われちゃったね」
安藤がへらへら笑いながら、髪と同じく真っ赤に染まった顔を俺に向ける。無性にむかついたので、額を叩いておく。
大袈裟に痛がる安藤を無視して袋からワンカップを取り出して開ける。一口飲んでテーブルに置いて奈央子に向き直る。
「本当は清美に言いたかったんだ。何で君しかいないの」
「皆さん、というか私も含めて忙しいの」
「そうか。アンパン丸かじりは随分たいそうな仕事なんだ。カタギの剣道師範の俺にはヤクザの世界は分からないな」
奈央子は唸り、コンビニの袋に手を伸ばした。安藤がビールのロング缶を開けて渡す。奈央子は受け取るや否や、ごっごっごと喉を鳴らして飲んだ。そして、口元を拭って俺を睨んだ。
「安藤さんが清美君のことを語る件においては、焔さんが繊細なだけ!」
俺が口を開くと、奈央子は缶でテーブルを叩いた。
「閉廷ー!」
安藤が即座に真似したので、もう一度額を叩く。呻く安藤をほっておいて奈央子を詰める。
「俺の立場になって考えてみろ。いや、俺の立場じゃなくてもいい。君の立場でも嫌だろ。毎日会う清美の腰の艶やかさなど語られてみろ。次に清美に会う時に気まずくなるだろうが」
奈央子はふっと笑って、缶をテーブルに置いた。そして、両肘をテーブルにつけて組んだ手に顎を乗せた。冷めた目が俺を見上げる。
「既にされ尽くしてる」
そうだよと安藤が俺の肩を突く。
「焔に語っておいて奈央子ちゃんに語らない訳がないでしょ! 焔は自己本位なんだよね!」
額を強めに叩こうとしたら、奈央子に止められた。意味分からない。
「安藤さんはそういう人でしょ。清美さんの前は
確かに
「在の時は此処までうざくなかった」
安藤を睨んで言い直すことにする。
「在の時はまだ気持ち悪くなかった」
安藤が胸を押さえて震えた。奈央子が庇う。
「お気に入りの人のことを語ることは、推し活は悪くない。私だって在さんを語ることあるよね? 焔さんは聞いてくれるじゃないですか」
「君の話はまだ緩いものだろ。性的な視線が全くなくて、まるで動物園の動物に対するような語り口で」
と自分で言っていて、ある一点に気付く。
「発情しろよ」
奈央子が目を丸くする。
「君は発情しろよ」
奈央子が震える。
「君は発情して在の恋人になれよ」
「ひええ。無理難題」
奈央子は仰け反った。俺は身を乗り出す。
「在の恋人がいなくなったんだから、君がなれよ。チャンスだろ」
安藤も同意らしく、身を乗り出す。
「そうじゃん。なっちゃえー!」
「いやいやいや無理なものは無理」
安藤が首を捻ってから、ソファーに座り直した。自分の髪を指に巻き付けながら、溜息を吐いた。
「在さんを幸せにする自信が無いんだっけ。だから、恋愛はしたくないんだよね。そういうポリシーだったね。そりゃあ無理かあ」
そうと奈央子が安藤を左右両方で指さした。その手を振り払う。
「幸せにする自信が無い? そんなもの要らない。あいつは人をかまうことで精神が安定するタイプなんだよ。ただ尽くされとけば、甘やされていればいいんだ」
奈央子は瞬き、座り直した。
「一理ある」
「だろ」
「でも、その役割って今は
在が桜刃組に引き入れた従弟の奏の名前を出されて思考が停止する。その隙に安藤が俺との距離を詰めた。酒臭い息と共に甘ったるい声が襲ってくる。
「ご機嫌なのは清美君のお蔭でもあるよ! 清美君といたら誰だって楽しくなっちゃうもん! 凄いでしょ!」
同意だが、話がそれるので無視して奈央子に話す。
「奏を構っているのも問題がある。だから、君が発情しろ」
「問題って何が?」
簡単には説明できないのでつまっていると、安藤にワンカップを持たされた。それを飲み干す。アルコールが頭の鍵を外していって、舌の滑りもよくした。
「奏は不器用なんだ。対人関係においては。甘えるのが下手くそだから、一人にしか甘えられない」
安藤がにたにたと笑いながら話を促す。
「その一人が在さんだと」
「今は。今だけは。昔は俺だったのに」
「昔って奏君がイタリアに行く前でしょ。えーと、八年前だから小学六年生の頃かな」
「二歳の時に俺の家に預けられたからだいたい十年。そんな長い間、俺に甘えてくれてた」
奈央子が唸った。
「何だよ」
「いや……何も」
「何かあるだろ」
奈央子がビールをまたごっごっごっごっごと飲んで口を拭った。そして、安藤に向かって笑い声をあげた。安藤も笑う。
「何、二人して」
安藤がパチンと指を鳴らす。
「焔の奏君に対する推し活してほしいなあ!」
「聞きたい。語って!」
二人が俺に対して身を乗り出す。俺が戸惑うと、安藤は新しいワンカップを開けて渡してきた。俺が受け取ると、二人ともが煽るので飲み干すことになった。そうして胸のうちを曝け出してしまった。
「奏はその不器用さが可愛いんだよ。一人にしか心を開かないのが堪らない訳。正直子どもの頃はそれ程思わなかったよ。いや可愛かった。でも、やんちゃな所とかプライドの高い所とかぴょんぴょん動くのが可愛いと思ってた。まあ今もそこは可愛い。奏がイタリアに行って、ぐれて素っ気なくなって初めて不器用な所に魅力を覚えた。ずっと昔みたいに甘えてほしいなあって思い焦がれていた。で、やっと日本に帰ってきたと思ったら在にべったり。いや、言うほどべったりではないけど。俺に甘えてた時の方がべったりだったけど。絶対俺の方が在より奏の甘えた時の可愛さを知ってるけど。あの藍色の目で上目遣いでおずおず甘えてくる。甘やかしてやると照れながら捻くれたこと言う。在はそこまで引き出してないだろうけど。でも、今の奏は在にだけ甘えるって決めてしまったから、俺には一切甘えてこない。他人行儀。一緒に暮らそうって言ったのに一人暮らしするし、全然帰って来ないし。大人になったから遠慮してるみたいだけど。今年二十歳で成人でもまだ正直子どもだよ。大学生と同じだもの。本人に言えないけど、気付いて俺に甘えてきてほしい。どうしたらいい?」
奈央子は顔をそむけていた。安藤は自分の胸を叩いた。
「僕に任せてよ」
「役立たず」
「聞いてから判断して。奏君はイタリアで大人になっちゃったんだよ。もう発情するの。お姉さまに発情するの」
「役立たず」
「女装した僕に上目遣いで可愛く話しかけてきちゃった」
こういうぶっ飛び具合が安藤を素直に好きになれない理由なんだよな、と感心してしまった。安藤が俺の両肩に手を置いてきたから振り払った。しかし、言葉は投げて来た。
「焔も女装しよう。任せてよ。焔って分からないようにしつつ奏君好みにしてあげちゃう」
安藤は真剣そのものだったが、奈央子が噴き出した。俺だってできるならば他人事にして笑い飛ばしたい。
安藤の調子は変わらない。
「奏君は頑固だからそれしか方法は無いよ」
「信頼関係が壊れる」
「僕は女装してシリコンバストを押し付けまくったら、奏君との距離が縮まったよ」
こいつの行動の異様さは何なんだろう。真面な事をすれば死ぬ呪いでもかかっているのだろうか。
奈央子が自分の膝を叩いた。救いを求めてそちらを見たら、彼女は真剣な顔をしていた。
「言われてみれば確かにそうだね。第三者として保証する!」
「するな」
「他に方法が無いことも保証するー!」
「するな」
「じゃあ、他に思いつく?」
奈央子と安藤が考えてみろと煽ってくる。腹が立ったので絶対考え付いてやると顔を覆って思考してみたものの、最悪なことに何も思いつかなかった。
「するしかないのか。女装で胸押し付け……」
言いながら顔上げると、奈央子の隣に在と奏が座っていた。奈央子と安藤は俯いて肩を震わせてふつふつ笑っている。
奏は俯いて目だけで俺を見上げた。
「止めてくれ」
「何処から聞いてた?」
奏が顔を上げて半眼になる。
「『奏は不器用なんだ。対人関係においては』」
声帯模写してくれたようだが、俺の声に似ているとは思いたくない。奈央子が小さくセーフと呟く。俺とお揃いのアウトにしてやろうと、在を見ると先に話された。
「僕達の足音に気付かないって相当酔っているのね。車で送るから帰りましょう」
奏が追撃する。
「俺、酔っぱらってる焔を見たから頼りたくなくなったんだ」
衝撃の事実と悲哀溢れる現状を受け入れられず、邪魔してくる手を跳ねのけて新しいワンカップを開けたのは言うまでもない。
俺の友人が俺の弟子で推し活して迷惑被っている件――それはそれとして俺の推しは俺の従弟なのだが、俺も推し活することにもなった件 虎山八狐 @iriomote41
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