偶像の舞台

今福シノ

前篇

 最近、俺に初めて「推し」というものができた。


「なっ? すっげえいい曲だろ?」


 再生が終わってイヤホンをはずすと、真輔しんすけが興奮気味に同意を求めてくる。


「ああ。なんていうか、クセになる声だな」


 午前の講義の終わった俺たちは学食で少し遅めの昼食をとり、そのまま「推し」についての会話に興じていた。


「新曲もやっぱ神だよな~」

「でもあれだな。音質はちょっと悪いな。ダウンロード音源なのに」

「それが逆にいいんだよ。そのへんのアイドルの歌と違って味があるっていうかさ。そのよさがわからねえなんて、颯太そうたもまだまだ甘いな~」

「しょうがないだろ、ファンになってからまだ日が浅いんだし」

「まあ音質は許してやれよ、ナオたんはレコード会社と契約してなくて収録とかは自分と手伝ってくれる友だちで全部やってるんだし」


『ナオたん』はインディーズで活動しているいわゆる「地下アイドル」だ。これまでテレビやラジオといったメディアにはまったく露出がなかったので、俺も真輔に教えてもらって初めてその存在を知った。

 そして試しに数曲ダウンロードしてみて、その歌声を聞いて、俺はすぐにハマった。


「おっ、見ろよ。ナオたんのツイッター更新されてるぞ」


 真輔がスマホを見せてくる。画面にはナオたんが情報発信をしている唯一のSNSのアカウントが映っている。そして5分ほど前の最新ツイートでは「これからライブに向けて最終打ち合わせしてきま~す」というつぶやきとともに、ライブハウスの玄関が映った写真が添えられていた。


「週末のライブ、ほんと楽しみだなあ。颯太は初めてだろ?」

「ああ。真輔は行ったことがあるんだっけ?」

「1回だけな。ナオたんはライブもほとんどしないからレアなんだよ」

「へえー。でもめずらしいよな。今じゃ誰でも顔出しで動画とか配信してるのに」


 ナオたんはツイッターでもいろんな写真を投稿しているが、顔を出すことはしていなかった。

 逆に言えば、その神秘性のようなものこそ彼女が人をきつけている要因のひとつなんだろう。それこそアイドルに求められる容姿やキャラクターといったものじゃなくて、純粋に己の歌声だけで魅了してくれる。


「にしても真輔、よくチケットとれたな」


 俺がライブに行けるのは、眼前に座る大学の友人が奇跡的に2人分のチケットを抽選で当ててくれたからだ。会場がライブハウスでキャパもそこまでなくて、ものすごい倍率に違いないのに。


「そこはあれだよ、俺の日ごろの行いってやつよ」

「嘘つけ。抽選権つきのCDに1か月のバイト代全部つぎ込んだって言ってただろ」


 今までリリースされたものもあるし、きっと真輔の部屋はCDの数がすごいことになってるだろう。


「そんくらいしないとナオたんには会いに行けねえってことだよ」


 腕を組んで自慢げに言う。さすが最古参のファンなだけはある。


「くっそー、俺ももっとバイト増やすかなあ」

「無理すんなって。ちょっとずつグッズ、集めてるんだろ? 人には人それぞれの推し活ってやつだよ」

「……そうだな」


 真輔の言うとおりだ。俺もナオたんのファンであることに変わりはない。ナオたんを推す気持ちで誰にも負けないようにしていればいい。


「んじゃ、帰ってお互いライブに向けて予習しとこうぜ」


 俺たちは席から立ち上がる。

 予習、つまるところ曲を聞き返してコールのタイミングを確認するのだ。


「とりあえず帰りの電車は新曲をループ再生して聞きこむかー」

「ああ。やっべー今から緊張してきた」

「早すぎだろ。そんなんじゃ当日寝坊して遅刻しちまうぞ」

「それはないって。真輔こそ遅れるなよ?」


 そう言い合って、俺たちは互いの帰路についた。

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