茶色の円卓
上海X
第1話 JK×会社員×大学生
『あそこの喫茶店にある茶色の円卓。やっぱり行って良かったよ!』
『ほんと!? わたしも今度行こっかなぁ』
脇を歩いていた女子大生がそんなような言葉を呟いていたのを小耳にはさみながら、僕はキャンパスを歩いていた。
茶色の円卓……最近SNSで話題に上がってきている、有名な喫茶店にある一角のスペースらしい。とはいっても、何か特殊な施工がされているわけでもなければ、特別な演出がされている訳でもないらしい。
そう『らしい』。としかわからない。何せ僕も行ったことがないのだ。
よく聞く噂では、「何人かの他人が集まって、個人の悩み相談をする」とかなんとか。そんなことなら相応のカウンセラーに行けば良いとは思うのだが……。他人に匙を振るというのに、皆高揚しているようだ。
今日は知り合いや友人も大学へは来ておらず、午後は授業もない。
その上、珍しく春風の心地よい晴れっぷりだ。早々に帰るのも損だというものである。
僕は半分呆れつつ、半分を望外の期待を込めて。携帯でその喫茶店の情報を集めた。
◇◇◇
「で、本当に来てしまった……」
喫茶店『ラプレス』……ラプラスから名前をとったと思しきその喫茶店は、平日の昼にしては中々に賑わっているようだった。
木目調のデザインに、どこな古風な印象を受けてしまう。
僕は小鈴を鳴らすと、店員と思われる人物に案内された。
ウッドデッキ。というのだろうか。高い天井にはファンが回っており、開放感を感じさせる。
そこで、僕は女性の店員さんに一声かけた。
「あの、『茶色の円卓』っていうのを聞いてきたんですけど……」
「畏まりました。なら、あっちですね」
にこりと微笑む店員さんに、心中をかき乱されつつ進行方向を変えた。
そこには一際距離を画したテーブルが一つ、備え付けられていた。
焦げ茶色の円形のテーブル。なるほど、『茶色の円卓』というのも頷けた。
そして更に、そこには既に女子高生と会社員の男性が見受けられたのである。
一瞬そこだけを切り取れば、いかにも如何わしい情景だろう。だが、ここは巷で噂のスポット。たじろぎそうになる足をゆっくりと前に出し、テーブルへ向かった。
その姿を視認した彼等は、二人してこちらを見遣りにっこりと微笑んだ。
「お、新しい人~」
「こんにちは」
店員さんの声よりも先に挨拶を交わし、会釈する。
女子高生は「そんなに硬くならないでいいですよ~」と笑っていたが、どうにも空気が読めない以上仕方がなかった。
席に着くと、店員さんにメニュー表を渡される。適当な珈琲を頼むと店員さんは去っていった。
そこで、はす向かいと表現すべき位置に座っている二人から、声をかけられた。
「君は初めて?」
「っ、はい。正直どういるべきかわからないですけど……」
「まぁそう硬くならないで大丈夫ですよっ!」
机を軽くぱしぱしと叩き、チャラそうな女子高生はティーカップに注いであった紅茶を一口飲んだ。ははは……と笑っている会社員そうな男性も、ブラックだろう珈琲を嗜んでいる。
「っあ。言い忘れてました。僕の名前は――――――」
「大丈夫。言わなくていいんだよ~」
「へ?」
「あぁ、そうだね。ある程度の説明はこちらでしておこうか。
ここで話すときは名前も、年齢も、個人情報を隠していていいんだ。もちろん、公表しても良いけどね」
にこりと再度微笑む会社員の男性は、更に少し説明をしてくれた。
初めてだったので大いに助かる。
「……じゃあ、いきなりなんですけど。お二人はどんな理由でここに来たんですか?」
「うーん……私は特にないかな」
「ない…………?」
「うん。ただ聞くだけの方。たまにいるよ? 漫画家さんとか、作詞家さん? だったかな。そんな人たちもこっそりここに来たりしてネタにしてるの」
「それって……あんまり良い方向じゃないんじゃ」
「いや? ただの自慢を言いに来る人だっているし、ストレス発散のために掃き溜めにする人だっているし」
女子高生はそういうと、ティーカップの淵をなぞるように指を置いた。
理由はどうあれ、ここには老若男女、十人十色さまざまな人が来るようだ。
「でも……そういうのって知人に話せば良かったりしませんか?」
「他人だから。どれだけ知人に隠してることだって言えるし。
「――――――――なるほど」
他人だからこそ、話せる。
他人だからこそ、違った視線で良かれ悪かれアドバイスをくれる。
その意味合いからすれば、このスペースが流行るのも納得だ。
ネコ目で興味をくすぐられている女子高生は、僕を注視していた。
「それでねぇ。さっきこっちの会社員さんからの話を聞いたばっかりなんだぁ」
「へぇぇ。因みにどんな話を?」
「? 大した話じゃないさ。ただ、転職をしようか迷っててね」
「転職ですか」と鸚鵡返しになる僕を見て、こくりと頷く男性。
ちょうどタイミングよく、店員さんが僕へ珈琲を届けてくれた。
「自分の適職ではあるものの、自分のやりたいことか半信半疑になってきてね。
だけれど、妻の妊娠がわかって、この先をどうしようかと」
「っ! おめでとうございます……」
「ありがとう」と珈琲を啜る男性に、喜ばしい表情を向ける女子高生。
奥さんを心配にさせたくなく、かつ仕事のことを社内の人に知られたくなかったのだろう。順当な内容に僕は意図を飲み込む。
因みに彼女は「今は待って、時期を見た方が良いのでは」と堅実な意見を送っていたらしい。外見にそぐわず凛と着実な性格をしているのだな、とつい感心した。
「僕だったら適職で続けますかね。僕もバイトやってると、新しい仕事ってストレスとか
「はは……」と繕うように笑うと、またも感謝を述べられる。
なんだかこういった善意で成り立っている場所は良いと思う。
「君は、どういった理由で来たのか訊いても?」
「私もそれ待ってた!」
「僕? 僕ですか……」
当然、僕自身ここが悩みを打ち明ける場だと理解していた。
そのため、悩みはあるのだが……。思わずたじろいでしまう。
「あの……本当にしょうもないことですけど」
「良いから良いから!」
「…………僕、彼女がいるんです」
僕の独白に、彼等は何の嗤いも懸念もなく傍聴した。
僕はつい震えそうになってしまう手を珈琲のカップに覆わせ、力を込めた。
「高校の時に出会って、卒業から今も続いているんです。けど、高校の時に僕は一度フラれていて」
「フラっ!?」
「多分、相手はそこから僕を意識しだした……みたいで。でも僕はそこから数か月、憔悴してて……。そこからなんです、僕の友人が彼女を好きになって」
「僕はすぐに気づきました。けど彼女は好かれているなんて気づかずに、友人もバレまいと加速していって」
「三角関係だ……」
男性は苦虫を嚙み潰した顔で手元にある珈琲を手に取る。
女子高生の方は「ホントにあるんだ……」みたいな顔をしていたため、僕は内心ほくそ笑んだ。
「けど、僕も彼女が僕のことを意識してきていることに気付いたんです。そこからは、僕は全容を知っていて、二人は知らないまま」
「でも、僕も友人を信じていたんです。アイツは横取りをすることもなければ、友人や思い人の不幸を願う真似なんてしないって」
「実際、その通りでした。ただ、何も言わず――――――――アイツは、本当に何も言うことなく、アイツ自身の中で完結したんです」
珈琲を啜り、コトンと置く。二人は暗い表情を灯している。
僕は「気負わないでください」と宣うと、二人ははっとした表情で苦笑を作った。
これは現実にあった話である。脚色なんてない。ありはしない。
「ただ、僕はその時どうすればよかったのか。未だに分かんないんです……」
「…………そっか……」
「辛い経験をしたんだね…………」
彼女は未だにそのことを知らない。伝えてしまえば、友人を裏切ってしまう気がしてならなかった。
彼の真意は未だに分からない。どうして欲しかったのか、どんな言葉をかけて欲しかったのか、どうあって欲しかったのか、どうなって欲しかったか。
考えれば考えるほど思考は目まぐるしく回ってしまう。僕は何度目か顔を俯けた。
「自分からは下手に言えはしないけれど……君のその選択は間違っちゃいなかったと思うよ」
「うん。それは私も同感」
ふと発された二人の発言に、僕ははっと顔を上げた。
その彼等の表情からは、からかいや雑念は全く見えない。本心からの発言だろう。
「君は人が良すぎる。君が背負うまでもない不快までもを君が背負おうとしてしまってる」
「僕が……背負おうと?」
「あぁ。『知って』しまったからこそ。君は罪悪感を抱いてしまった。――――…………まぁ、だからといって知らないことを
「…………そう、ですね」
男性は珈琲をぐいっと飲み干すと、両手を固めて机の上に置く。
僕はほんの少し、報われた気がした。
だが、対に座るその女子高生はティーカップを音を立てて置くと、これまでとは打って変わって凛とした声つきで言った。
「私はそれでも、伝えて欲しかったと思うよ。貴方のとった行動ももちろん褒められるべきことだとは思う。けど、それよりも私がその女の子側だったなら伝えて欲しかったなって――――――そう思う」
「……理由は?」
「だってそれを知らなかった側にも問題があるでしょ? さっき会社員さんが言ってた通り、『知らなきゃ罪にはならない』なんてことはないじゃん。友人さんも伝える努力をして、彼女さんも受け止める覚悟を持って。そうすればちょっとは――――」
「それだと、みんな傷つくじゃないですか」
女子高生の弁論を思わず遮ってしまい、後になって自分の口を手でふさぐ。
折角良い意見をもらっていたというのに、僕は何をしているんだか。
「だって! それだと貴方だけが傷ついて―――――――」
「そんな不安の中で、それぞれが思い人を思いながら受験や生活に奔走できはしないんですって」
「だから貴方の負担をほんの少しでも分けてあげたらって―――――」
「結局。二人とも互いを思いやってるから。だよね」
荒くなりそうな僕と女子高生の声を男性が制止する。
反射的に謝辞を述べ、咳ばらいを一つ。珈琲を飲んだ。
「あぁもうどれだけお人好しなんですか!? 危うく惚れますよっ!?」
「惚れっ!??」
口に含んだ珈琲を吹き出しそうになる。すんでで止めたが、眼前の女子高生に疑心の眼を向けた。彼女は半分冗談半分本心といった顔でこちらを見ていた。
もちろん、求愛されたとしても断るしか選択肢はないのだが。
「とにかく! 私は不安を、心配を共有してくれる相手の方が良いです。そうで言ったなら貴方の過程は百点中ゼロ点です」
「ッ! …………心配を、共有か」
「そこは確かに、自分も共感するかな。もし相手に隠し事されていて、自分のためだったとしたら。君はどう思う?」
「―――――――――…………確かに、ちょっと嫌ですね」
相手の為を思う行動がかえって相手を不安にさせてしまうことがある、と。
人生において経験の少ない僕に、初めて刻まれたことだった。
貴重な意見を聞けたことに、再度二人に礼を述べた。
これは確かにハマるのもおかしくないだろう。
それからもう少しだけ会話を続けていると、会社員の男性は「そろそろお暇させてもらうよ」と言い残し、そそくさと退散していった。
女子高生の彼女は、「もう少しここで話していこうかなぁ」と新しいドリンクを注文した。
僕も珈琲を飲み切り、席を跡にした。
「…………また来よう」
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