3-13
「お袋の、味……」
「そうだ。これぞ、本物のお袋の味だ」
一陽さんが大きく頷き、藍色の小皿を見つめる。
「自慢じゃないが、うちの玉子焼きと出汁巻き玉子は美味しいと評判なんだ。そのために来てくださるお客さまも少なくない。それでも、君の胸に刺さるのは『お袋の味』なんだ。『巷で人気の味』ではなく。おそらく、親父さんやお兄さんたちにとっても同じだろう」
「…………」
「もちろん、玉子焼きだけじゃない。味噌汁も、漬けものも、ほかの料理だってそうだ。君たち家族のためだけの味など、君のお袋さん以外作ることはできない」
卓を指でトンと叩いて、一陽さんが藤堂を見据える。
「唯一無二だ。――これほどの宝があるか?」
「っ……」
その鋭い視線に、藤堂はビクッと身を震わせると、あらためて頭を下げた。
「ほ、本当に、すみませんでした……」
「心から反省したのなら、中身を磨くといい。『イケメン』とは、見てくれがいいだけの男を刺す言葉ではあるまい。大事な人の笑顔を守れる男になれ」
「はい……」
「ヤキモチ焼くぐらいなら、大事にしろ。母親を大事にすることは、恥ずかしいことじゃない」
そのとおりだ。むしろ、家族にひどいことしてドヤってる男のほうがみっともない。
『マザコン』なんて言葉もあるし、必要以上にべったり甘えたり、精神的に依存したりはたしかにどうかと思うけど、大事なものをちゃんと守れる男は絶対にかっこいい。
「や、ヤキモチ、焼いたわけじゃ……」
藤堂が顔を赤くして、バツが悪そうにモゴモゴ言い訳をはじめたけれど――いやいや、立派にヤキモチだろ。お袋さんが着物着ておしゃれして『稲成り』の店主(実は僕だったらしいけど)に会いに行くのが嫌だったんだから。
「わかってくれたのなら、もういい」
恥ずかしさからか下を向いてしまった藤堂にそう言って、一陽さんが微笑む。
「食べてくれ。今日の米は、岩手県産の『銀河のしずく』だ。おむすびにはもってこいの特A米だ。食感がよく、口ほどけもよく、甘みがあって冷めても美味い」
一陽さんに「さぁ、あなたも」と言われ、ご婦人がおむすびに手を伸ばす。
「味噌汁は、賀茂なすと油揚げだ。油揚げは手作りだぞ。味噌は白」
茄子の紫が鮮やかなお味噌汁。茄子は少しも荷崩れしていなくて、変色も色移りもなく、完璧な状態だ。
藤堂があらためて手を合わせてから、お味噌汁を一口啜る。
「――本当だ」
そして、しっかり味わってから、唇を綻ばせる。
「お袋の味噌汁のが美味い」
その言葉に、ご婦人が恥ずかしそうに、でも少しだけ嬉しそうに、「そんなことない。私がプロに敵うわけないのよ」と小さな声で言う。
玉子焼きでもお味噌汁でも『お袋の味』に完敗した一陽さんは、だけどひどく満足げに微笑んだ。
「そうだろう?」
◇*◇
「本当に、お世話になりまして」
店を出て、ご婦人が再度深々と頭を下げる。
その隣で、藤堂も僕を見て小さく肩をすくめた。
「わるかったな」
「もういいって」
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