3-9

 一陽さんが客席へと出てゆく。僕は小さくため息をついて、そのあとに続いた。


「ああ、店主さん……」


 ご婦人が一陽さんを見て、深々と頭を下げる。

 その後ろで藤堂も――相変わらずぶすったれているけれど、一応頭を下げる。


「さきほどは、大変申し訳ありませんでした」


「……すみませんでした」


「こちらも、乱暴にたたき出すような真似をしまして…」


 一陽さんも頭を下げて、二人に座るようにすすめた。

 ご婦人が恐縮しながら正座する。その隣に、藤堂はため息をつきながら胡坐をかいた。


「貴さ……いや、君。どうして、あんなことをしたんだ?」


「は……?」


「あんなことをした理由を聞きたい」


 二人の向かいに座り、戸惑う藤堂をまっすぐに見つめて、一陽さんが言う。


「君が人を殴ったとして、その理由が、『大事な人を侮辱されたから』と『相手が男前で金持ちで女にモテて気に入らなかったから』とでは受け取り方が大きく違う。因果関係をまったく無視して『人を殴ったこと』だけに対して善悪を問うたところで意味がないし、個人的には間違っているとすら思う」


「そ、それは……」


「だから、聞きたい。君はなぜ、あんなことをした?」


 その真摯な眼差しに怯んだように、藤堂が視線を揺らす。

 そして、一陽さんの隣に控えた僕をチラリと見ると、唇を噛んで下を向いた。


「……は、腹が、立って……て……」


「腹が立っていて? 何に?」


「お袋、に……」


 一陽さんを前にすると大半の人がそうであるように、藤堂もまた一陽さんの目を見ては話せないらしい。俯いたまま、モゴモゴと言葉を紡ぐ。

 はたから見ていると、かなり失礼な態度なのだけれど、一陽さんは気にする様子もなく質問を続ける。


「それは、なぜだ?」


「お、お袋が……家事を一切、しなくなったから……。もう、半月近くに……」


 藤堂が隣のご婦人を見て、少し苛立ったようにため息をつく。


「い、家の中は、もう荒れ放題で……親父も兄貴たちもピリピリしてて……。それなのに、お袋は、『イケメンに癒されてくるわ』なんて言って……毎日ここに……」


「家の中が荒れ放題?」


 一陽さんが眉を寄せ、首を傾げる。


「なぜだ?」


「は……? だ、だから、お袋が……家のことをしないから……」


「だから、なぜだ? お袋さんがしないのなら、自分たちですればいいじゃないか」


「は……? で、でも……」


「凜は、家のことはすべて自分でしているだろう?」


 一陽さんがこちらを見る。思いがけないところから話が飛んできたことに戸惑いつつも、僕は頷いた。


「そうですね。僕は一人暮らしですから。掃除も洗濯も料理も、全部自分でしてます」

 一陽さんが「そうだろう?」と言って、藤堂に視線を戻す。


「親父さんもお兄さんたちも君も、なぜやらない?」


「お、親父は外で働いてきて、忙しくて……」


「凜もバイト三昧だぞ? 三つも掛け持ちしている。おそらくトータルの勤務時間では、君の親父さんよりも多いと思うが」


 一瞬眉をひそめたものの、一陽さんは、「まぁ、そこはよしとしよう。年齢的な問題もあるしな」と肩をすくめて、言葉を続けた。


「では、お兄さんたちは? 君は? 働いているのか?」


「い、一番上の兄貴は働いてます。親父と同じ商社マンです」


 父親と兄が『商社マン』であることが自慢なのか、そこだけ妙にスラスラと話す。


「二番目の兄貴も自分の店を持ってます。洋食屋なんですけど、結構人気で……」


 なんだろう? だから仕方がないとでも言いたいのだろうか? 眉を寄せた僕の前で、一陽さんはその経歴自慢のようなものをあっさりとスルーし、藤堂を見つめた。


「君は?」


「え……。あの、大学生……です、けど……」


「では、夏休み中のはずだな? それでなぜ、家が荒れる?」


「……それは……」


「家が荒れてピリピリするぐらいなら、なぜ自分たちでやるという選択をしなかった? 親父さんとお兄さんには仕事がある。そして、君にもさまざまな用事があったのかもしれない。だが、一人では無理でも全員で協力すれば、家の中を片づけるぐらいできたのではないか?」


 藤堂が再び下を向き、沈黙する。考えもしなかったのだろう。


「私は先ほど言ったな? 因果関係をまったく無視して物事を判ずることに意味はないと。間違っているとすら思うと。君は、一度でもお袋さんに尋ねたか? 知ろうとしたのか? 暴力的な言葉で殴り、侮辱する前に」

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